比翼のアルビノ

05.お前の嵐を花に喩えたりしない

■R18
■前話に続き、モブによる強姦シーンを含みます。スキップ頂いても差し障りはございません。



砂の女に似ている。

信頼していた担任に裏切られたあの日から私は学校を休んでいた。眠れば悪夢として忌まわしい記憶が再現され、目を開けていてもふとした瞬間に蘇るのは私にのしかかる先生の、あの歪んだ顔、そしてもしも身籠っていたら、という懊悩だ。
しかし欠席して7日目の夕方、唯一の心休まる場所であった私室という最後の砦は、砂の城さながらにあっけなく壊される。
家庭訪問に来たという先生を親が家に上げてしまったのだ。

撮影された痴態を人質に取られている私は当然両親にも乱暴されたことを明かしていない。担任の人のいいよそゆきの笑顔に騙された親は、あろうことか善人の仮面を被った暴漢を私の安息の地に招き入れてしまう。
私は籠城を決め込んでやり過ごすつもりだったが、先生の仮面に懐柔された親によって寝間着のままリビングのテーブルにつかされる。椅子に座ったきり黙殺を通す私に、先生は「ご両親の前だと言いにくいのでは」「お嬢さんと二人きりで離させてはくれませんか」などと言葉を重ねて、両親から私と二人きりになる許可をもぎ取った。
そうして正攻法で私の部屋に踏み込んできた先生は、例の写真を表示した端末の画面を私に見せつけながら、言う。

「――わかるよな?」

頷く以外に択があったというのだろうか。
カーテンを締め切った私室のベッドの上で、私は再び先生によって性器同士を交わらせられていた。
「今日はゴムつけような」という先生の言葉に安堵している自分がいた。性行為自体したくないのに、逃げ道がないからそんな小さな妥協にさえ喜ばざるを得ない。私の人生はもう私のものではないみたいだ。
私をうつ伏せにし、腰を高くあげさせ、柔らかい尻を押し潰すように背後から挿入した先生は、片手で私の口を塞ぎ、もう片方の手で重力に従って下向きにこぼれている胸を乱暴に揉みしだく。
先生は私の背中に覆いかぶさると、携帯端末の画面を見せてきた。ぼんやりと見遣った液晶画面には肌と肉の色が絶えず蠢いており……。

「ほら、ここ、ここのなまえの顔がたまらないんだ……」

という先生の言葉でそれが先日の私への乱暴の様子を記録した映像であることに気づく。
鎖骨までめくられた制服の上とキャミソール、指定のソックスだけを残し、下肢を裸に剥かれた自分の、大きく広げられた脚の間がはっきりと写っている。赤い肉で先生の猟奇的な性器を咥えさせられ、揺さぶられるたびに唾液を被って濡れた胸が上下に弾んでいた。
目を背けようとすると背後から先生に後頭部を鷲掴みにされ、画面に視線を向けさせられる。

「あ、あぁ、あ……け、消してくださっ――んぐっ!」
「先週より素直になってくれて嬉しいよ。このときは抵抗されて大変だったもんなあ」

あの空き教室でのことを懐古でもするように染み染みと物語る先生は、狂人だ。
消して、と声を上げた私の口をまた後ろから塞ぎ、ぬちぬちと現実の性器を擦り合わせながら、画面に指を滑らせた。

「着替えてるなまえ……これは身体測定のとき、これは体育の前、こっちが後、プールのとき……プール実習は下着まで着替えるからいい眺めだった。それから先週のプール中の水着のなまえ。ペン型のカメラでずっと撮ってたんだ……」

更衣室で下着姿になっている自分、下は体操着のまま上半身は下着をつけるのみで、ブラのカップをずらして汗を拭いている自分、水着に着替えるさなか胸は裸で少し腰を突き出している自分、タオルで濡れた体を隠しながら水着を脱いで裸になり、荷物の中から下着が消えていることに気づいて蒼白している自分。自分、自分、自分……。

「ああ、そう、この写真……」

続いて見せられたのは、給食のカレーを食べている私の写真だった。遠くから限界までズームアップして撮られたのだろう、画質は悪い。
私のポルノとは異なり、その何の変哲もない食事風景は教師の端末に入っていたところで生徒との思い出の一枚として幾らでも言い逃れ出来そうだが。
スクロールのたびに心がぐちゃぐちゃに踏みつけられる。目を逸らしたくても顎を強く掴まれて見ることを強いられる。

「不味そうな顔して、頑張って食べてて、かわいいなあ。覚えてるか? 給食のカレーが変な味がするって言ってた日があっただろ。あのカレーな、なまえのだけ俺の精子が入ってたんだ。俺の精子入りカレー、どうだった? おいしかったか?」

言葉が出ない。気持ちが悪い。

「給食は残すわけにはいかないもんなぁ。それがうちのクラスのルールだもんなぁ。タンブラーのお茶の中に俺のおしっこを混ぜたときはなまえが味が変だって言ったせいで降谷が捨てちまっただろ。だから思ったんだ、絶対に残せないものに入れればいいって……」

記憶の中まで犯されていく。これまで怯える必要のなかったものさえ恐怖の対象と化していく。
いままでの生活の中で当たり前に口をつけていた飲み物や給食が、突如として靴底で踏むことさえ厭われる汚物と成り果てた。カレーも緑茶も嘔吐してしまいたいのに、忌まわしいことにすでに分解されて私の血となり肉となっている。
きもちのわるいものが私の一部を象っているという事実に全身の皮膚をかきむしりたくなった。きもちがわるい、自分が汚い。汚くて仕方ない。
いく、とかいう卑しい宣言のあと、先生はお決まりのように射精した。感慨なく先生の荒い息を聞き流していたけれど、不意にどろりと粘性のある液体が胎の中に広がっていく感覚に、目を皿にする。

「え……、避妊してくれるって……」
「あれ、着け忘れちゃったな。ごめんな、なまえ。次な、次」

先生はからりと笑って私を谷底に突き落とす。
忘れたというのが嘘であることくらい愚かな私にもわかる。暴漢の言葉に耳を貸し、信頼を預けてしまった愚かな私にさえ。

「はぁ、かわいいな、なまえは絶望してる時が一番かわいいよ」

汚いキスにも心が揺らがなくなり始めていた。胸の中は空っぽで、涙だけが頬に寄り添ってくれた。



先生は数日置きに私を訪ねた。
悪夢は昼も夜も続いた。先生との時間は目を閉じずに魘される悪夢だった。
臓を抉られる痛みに耐え、全身を手や舌でまさぐられる屈辱に脳を焼かれ、耳元で吐かれる汚い息や卑しい脅しに吐き気を催し、妊娠の可能性に怯え……安寧とは程遠い暮らしに自律的な思考さえままならなくなっていく。
両親の不在を見越してやってきた先生に玄関で犯されたこともあった。汚れた雄の芯を性器ばかりか口に入れられることもあった。窒息するかと思うほど、それを喉に詰め込まれた。締まりが悪いと首を絞められたり、臀部を叩かれた。腹を殴られたこともあった。「あの子は先生には心を開いているようですから」と母が出したシュークリームのカスタードを胸や股に塗りたくられ、それごと舐められたこともあった。

犯される都度、私の肉体が私のものではなくなっていく。誰かに好き放題犯されてもいい、無価値でとるにたらないものにされていく。
たすけて。はやくこんなところから抜け出したい。でも無駄だってわかってる。運良くこの砂地獄から引き上げてもらえたとしても、なにひとつ終わってくれやしないって。
先生の端末の中には私の裸のデータが幾つもあって、次に生理が来るまで私の不安は終わらない。未来で悪夢とフラッシュバックから開放されているという保証もない。

――私は砂の女だった。
『砂の女』。安部公房の長編小説で、或る男がひょんなことからひとりの女が暮らす砂の穴の家に閉じ込められてしまう物語。男は必死に砂の城から逃げ出そうと試みるが、施行と失敗を絶え間なく繰り返すうち、やがて砂の世界での生活に染まっていく。最初こそ不条理とも思えた世界に順応してしまった男は、ついに眼前にぶらさがる縄ばしごというわかりやすい脱出の機会が訪れても、それに挑むことはなかった……。
私はこれを降谷君に勧められて読んだ。その降谷君は国語の評論文でこの作品について綴り、厳しいことで有名な国語教師から手放しの賛美を受け、表彰もされていた。
ありふれた日常の一片が、美しい記憶として枕に埋めた眼球の裏に蘇る。
降谷君、降谷君、降谷君。綺麗な金の髪の男の子。欲に傷つけられる前の私の、清らかな思い出の中に住んでいる。今の私じゃ触れることも思い出を愛でることも憚られる。
涙が流れる。彼の言葉を、思い出す。

――“学習性無力感”……。『砂の女』の主人公にはそれが起こっていたんだ……。人は、行動に対して結果が伴わないということを何度も経験するうちに、行動の無意味さを学習してしまい、行動そのものを起こさなくなってしまう。……例え、結果の実りそうな場面に遭遇してもね。
例えば監禁事件の被害者は、最初は脱出しようと試みるけれど、失敗を繰り返すうちにその意欲を失っていく……。仮に加害者がわかりやすい隙を見せたとしても、それに飛びつくのもやめてしまうらしい。よく「なぜ逃げなかったのか」って被害者の責任を問う輩がいるけれど、人間の心理を考えれば仕方のないことなんだ。被害者に落ち度はない。
……まあ、これは極端な話だとしても、僕らの身近にも“学習性無力感”は溢れてるんだよ。どんなに勉強しても成績が上がらないからやる気が失せるとか、良かれと思って家のことを手伝ったのに何も言われない、なんなら余計なことをするなと怒られてしまったから、余計なことはしなくなった、とかね……。

記憶の中の降谷君がずばずばと今の諦めの海を漂う私の状態を言い当てていく。
降谷君なら、私のせいじゃないって言ってくれるかな。抵抗しなかった私のせいじゃないって。相談しなかった私のせいじゃないって。私が自分に突きつけた数多くの非を、彼の優しい小麦色の手は取り払ってくれるかな。
そんなことを考えて逃避する今この瞬間も私は先生に犯されていた。
涙が染みてぐっしょりと濡れた枕から顔を剥がしたとき、裏側になにか硬いものが挟まっていることに気づく。後ろから私に挿入している先生に気づかれないように、そっとそれを手繰り寄せ、枕をよけてみると、自分の携帯端末が埋まっていた。

――何かあったら僕にかけろ。いいな。

瞬間、降谷君の凛とした声が頭の奥で響いた。
あの日……面談だと偽られ、初めて乱暴された日。降谷君の救いの手を突っぱねた日。
心配する降谷君と諸伏君に対してなんでもないの一点張りである私に、降谷君はこれ以上は追求しないからと約束してくれた上で、代わりにひとつの折衷案を呑ませた。
降谷君が私に携帯端末を貸せと言うので、ロックを解除した状態で手渡す。一応隣から覗き込んで何をするつもりなのかを確かめていると、彼は端末の設定アプリを起動させた。そして迷いのないスクロールである項目に辿り着くと、それをタップする。
その後、幾つかの操作を行った上で、端末を私に返してくれる。そして、言った。

――スマホの背面をノックすると電話アプリとカメラを開けるようにしておいた。シングルタップでカメラ、ダブルタップで電話だ。電話帳の僕の名前も「あああ降谷零」に変えておいた。設定、五十音順になってるだろ? これで僕が一番上に出るから、何かあったら僕にかけろ。いいな。それが何も聞かない条件だ。

気づいてしまって、息が詰まった。今、私の手の中に蜘蛛の糸がある。私をこの地獄から……蟻地獄から引き上げてくれるかも知れないか細い糸。

――どうしたらいいの。

答えは一つ。降谷君にかければいい。
目を瞑らずに魘される、このおぞましい白昼夢を打破するにはそれしかない。なのにできない。
砂が私の脚をとる。砂に思考が沈んでいく。諦めの蟻地獄はもがけばもがくほどにそれらしい御託で私を引き込むから、いつしかそれもやめていた。

――『砂の女』の主人公は、どうしたらよかったの?

それはあの小説を読み終えた私が降谷君に投げかけた問いだった。
降谷君は、なんと答えてくれたのだっけ。

――“学習性無力感”の克服には、成功体験を積み重ねていくことが必要になるらしい。小さな目標を達成し、自分はやればできるんだということを少しずつ思い出していくんだ。あまり論理的とは言えないが、結局、やらなきゃ何も変わらないってことだな。

やらなきゃなにも変わらない。記憶の中の降谷君の言葉を口の中でなぞった。
先生に気づかれて、また殴られるんじゃないかと思うと怖かった。どうせ先生が射精したら終わることなのに、彼に自分が穢れていることを知られてまで中断させる意義もわからない。待てば終わるんだから、と耐え忍ぶことに手を伸ばそうとする。
でもこの思考の全てが、本来の私の考えではなく、私にまとわりつくただの砂でしかないのだとわかったら、枕に隠した端末にふれることができた。
端末の背面を指で二度叩く。その一瞬は途方もなく長く感じられた。電話アプリが起動し、眼の前で魔法でも見せられたかのように目を開いてしまった。私はそのまま連絡先の一番上に表示されている降谷君の名前を選ぶ。
発信中の画面を自分の体で隠し、祈る――――繋がった。

たすけて、と叫びたい衝動に駆られるも、ぐっと堪えた。
私は携帯端末の画面を爪で三度叩き、シーツを指で長めにひっかくのを三度繰り返し、また画面を3度叩く。
「・・・ーーー・・・」
次は一度叩いて、一度ひっかく。
「・ー」
一度ひっかいて、一度叩いて、三度ひっかく。
「ー・ーーー」
一連の信号を繰り返し、繰り返し奏でる。
昔、降谷君と諸伏君と合図を交わすために覚えたモールス信号。色褪せた記憶を頼りに必死に指で信号を紡いだ。
ぶつり、と通話が切れる直前、向こう側で幽かに三つの音が立てられたのを私は聞き逃さなかった。

「・ー・」

助かるのかな。一筋の希望に熱い涙があふれる。嗚呼、けれど。
他人の精液に濡れた裸の私は、降谷君の清廉潔白な双眸にどう映るのだろう。


2023/06/13
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