比翼のアルビノ

41.幾つもの夜に幾つもの名前があるように

コナンを毛利家まで送り届けたあと、安室は降谷としての職務に就いた。彼女の捜索や事情聴取に時間を取られていたせいで予定されていた業務は滞っているかに思われていたが、そこは右腕として風見が指揮を執り、奔走してくれた甲斐もあり、日付が変わる前に帰宅することができた。
家ではなまえが夕食を用意して待っていてくれた。食卓を彩る料理は品数でも味の練度でも降谷の作るものには劣るが、彼はそれを愛している。自分で拵えた料理に、他人からの愛は宿らないからだ。

「怪我は? なんともないのか?」
「ほとんど掠り傷だよ。零君が偶にしてくる怪我に比べたら、全然」
「そっか。よかった」

種井に乱暴に扱われた際についた傷は、聴取の前に一通り手当を受けている。特筆すべき負傷がなかったことはわかっているが、どうにも心が落ち着かない。
使い終えた食器をシンクに置くと、それを洗おうとする彼女の手を引いて、引き止める。

「傷、見せてくれ」

その言葉によってまばたきの数を急速に増やしたなまえだったが、やがて頷いた。
なまえは子供のように降谷に手を引かれ、リビングへと連れてこられる。風呂を済ませたらしい彼女のパジャマに手をかけると、胸を広げてその鎖骨を眼に映す。

「僕のこと、怖いか?」
「多分、怖くない……」
「よかった。拒否感がすぐにあったら教えて」
「う、うん」

肌よりも心の傷を刺激してしまわないために、降谷は彼女にそう硬く約束させると、上も下もすっかり服を脱がせた。
照明のよくあたるソファに座らせると、裸身の彼女をくるくると廻して、尚も念入りに調べていく。彼女の四肢には細やかな切り傷や擦り傷が多くあったが、中でも目立つのはやはり手首と足首の拘束の痕だろう。腕輪や足輪のようにそこにくっきりと残る赤い色を指でなぞり、キスをした。打撲に依るものと思われる腿の側面の痣の数を数え、キャミソールを脱がせた脾腹にも続くそれに触れていく。
降谷に対して背を向けさせると、ブラホックを弾いて、遮るものの無くなった背筋に手を滑らせた。続けて正面を向かせられ、ぶら下がっているだけのそれも奪われると、なまえはショーツだけの姿にされてしまう。

「痛かったな」

なまえは林檎のような顔色で、しんから恥ずかしそうにこくこくと頷いた。
彼女以上に彼女の躰を細かすぎるほど気をつけているだけあり、降谷からは大切にいたわられた。つくづく見て、ところどころ指で押してみて、こんな風に大丈夫か、痛くないか、と尋ねてくる。
明るみに出され、恥ずかしい裸の姿をさんざんに弄り廻されても、降谷を突き飛ばす気になれないのは触れてくる指先に情欲の色が微塵も乗っていないから。いっそもみくちゃにしてくれたら、とまで考えながら、永久になまぬるく悶えるしかない。
漆を重ねて塗るように、降谷がなまえの痣ひとつひとつに口づけていく。慈しむような力加減で皮膚に落とされる唇は、そのささやかさに反して骨も溶かすような甘さを帯びていた。

「ひゃ……っ」

何度目かのキスが降った瞬間。恐らくその甘えた声で、降谷もなまえの気配が変わっていることに気がついた。
互いに今更だとわかっていても、いざ視線が触れ合うとなんと言葉をかけていいのかわからなくなる。
なまえは、最後に残った自身のショーツに指を引っ掛けて、少しだけそれを下ろした。

「こっち、は……見なくていいの……?」
「……さすがにそこにはないだろう」

傷の確認など方便だと、賢い降谷がわからないはずもないであろうに。
はぁ、という嘆息と共にぐしゃりと金の髪を掻き毟った降谷は、自身に甘く誘いをかけてきた彼女の唇を指で縁取る。

「そりゃあ僕もしたいけど……怖がらせたくないから。諸々落ち着いた後で、な」
「うん……」

なまえは時折無自覚に蠱惑的になる。今も、自分があられもない姿であることを忘れ、降谷にぎゅっと抱きついてくる始末であり、禁欲の宣言を取り下げたくなった。

「キスマークだけつけていいか?」
「いいよ」
「素直だな。いいの?」
「いい。零君のものになりたい」

刹那、降谷は噛みつくようにその首筋に吸いついた。きゃ、と跳ねる背中をきつく抱いて、ソファの上に押し倒すと、肩から胸へ、腹に、腿に、と唇を押し付け、青痣と見紛うような所有の印を結んでいく。打ち身で蒼く染まっている側面には、痣をキスマークに書き換えるように、全ての痣に唇を寄せた。

「零君、名前呼んで? 他人の振りした分、いっぱい呼んで欲しい」
「嗚呼……なまえ……好きだよ、なまえ。大好きだ」

なまえのかわいらしいお願いを叶えてやり、何度も何度も唇同士を合わせるだけのキスを交わす。本心では深く舌を突き刺してしまいたかったが、名前を呼んでくれと言われた手前、喋る余裕が消えるのは困る。それにあまり欲をぶつけ合うようなことをすれば、どうしたってその先を望んでしまう。純情なついばみあいで、丁度いいのだ。

「ん……っ、好きだ、なまえ。無事で良かった。本当に……」
「零君……私も好き、助けてくれてありがとう。零君大好き」



約束を守った降谷は、彼女に対してそれ以上のことはせず、満足するまでキスを繰り返した後は彼女にしっかりと服を着せた。

「色々落ち着いたら、話したいことがある。――ヒロのことだ」

それだけ言うと、彼女は降谷の言いたいことの全てを察したように瞳を動揺に震わせ、そしてそれを叱られる子供のように伏せた。

「勝手なことして、ごめんなさい……」
「積もる話は君が元気になったあと。今は気にせずしっかり休め。そんなぼろぼろの君にお説教するほど鬼じゃない」

ごめんね、と降谷の胸の中に零すなまえ。降谷は果たして自分は彼女を叱れるのだろうかと、その愛らしさにだけはほとほと弱い自分を嘲った。


2023/07/26
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