比翼のアルビノ

03.芥に滲む花のいろ

中学時代。
僕、諸伏景光、みょうじなまえは三人でよくつるんでいた。小学校の頃などは男女の区別なくめいめいに友人を作っていた同学年の人間たちも、中学生になると同性同士で行動をともにする者が増え、一番の友人といえば僕ら男子二人であるなまえは周囲の女子から少し浮いていた――事実に即した厳しい言い方をすれば、白い目で見られていた――。
すれ違いざまに「色目使ってんじゃねえよ」と女子生徒に囁かれているのを目撃した折り、言われた彼女本人ではなく僕が食って掛かろうとし、彼女と景光に止められたのは記憶に新しい。

グループ単位で生徒が固まる教室内では彼女は孤立しているように感じられたが、性格に尖りがないのでランダムに組まされたグループや、日直や隣席などの一対一の付き合いではそれほど困ってはいなさそうだった。
友人は細切れに作れていたようだが、席が離れれば話すきっかけも失われるようで、結局のところ親しい友人は僕とヒロに限られるようだったが。

まだ黒の学ランとセーラー服を着る前……ランドセルを背負っていた頃、彼女が明かしてくれた秘密の白い雀と同じだ。
周囲との髪色や目鼻立ちの差でやっかみを買いやすい僕。東京に転校してきて間もなくは失声症で喋ることができず、新しい環境に馴染むことのできなかった景光。昔からの交友関係を保っているだけだというのに異端児を見る目で見られるなまえ。
アルビノの雀と同じく、それぞれ群れから弾かれた経験を持つ僕ら。しかし雀と僕らの運命を明確にわけたのは、はぐれもの同士で寄り合い、互いが互いの居場所となれたことだろう。
あの子雀は、自身と同じ羽根の色の仲間に巡り変えていなかった、イフの僕らなのだ。



やがて中学二年生になると、なまえだけクラスが離れてしまった。
若葉の季節を迎え、新しい顔ぶれにも慣れ親しんできた頃、なまえはよく物を失くすようになった。
ハンカチやペンといったものが主だったが、アルトリコーダーを紛失したと聞いたときは男子生徒の犯行を疑い、僕も景光も血眼になって探し回った。しかし彼女の担任の教師が音楽室に忘れ去られていたものを預かってくれていたらしく、幸いにも杞憂に終わる。
体操服を失くしたと聞いたときも同じことを考え、更衣室に出入りした人物がいないか聞き込みをして回ったが、目撃者はいなかった。そしてその件は未だ未解決である。

「あ、なまえ」

なまえのクラスの連中が続々とプール実習が凱旋する、小休憩の時間。そわそわと何かを気にするような足取りで階段を降りるなまえと廊下ですれ違った。

「どうかしたのか?」
「えっ、と……ほ、保健室、いくとこ……」

いつものようにヒロがにこやかに声をかけると、なまえは困ったように目を逸らし、答える。

「ふうん。具合悪いのか?」

という僕の問いになまえは壊れた蓄音機さながらに吃音気味にまた答えた。

「いや、あの、ちょっと……その、な、なくて……」
「足りない? オレらが貸せるものなら貸すけど、何?」

望まれている気遣いはそっちではないぞ、という意を込めてヒロを軽く肘で小突けば、自分のしくじりに気づいたようだった。

「あっ、あー……、ごめん! それじゃあオレら行くから!」

赤らんだ顔でわざとらしく誤魔化すヒロと共に僕は階段を駆け上がる。
彼女の姿が見えなくなったところで、そういえば、と僕が切り出す。

「……なまえ、プール入ってたよな?」
「見学……いや、今朝水着持ってきてたし……」
「……」
「……」

どちらともなくこの話題は切り上げた。
男女の区別も曖昧な頃からの幼馴染の僕たちなのに、性差は平等に開いていく。常磐のように変わらないままありたいと願っても、長い時間をかけて雫に削られる岩のように気づかぬうちに移り変わる。



「……でね、相談に乗ってくれることになって。……って降谷君聞いてる?」

変わったことといえば、なまえが僕らを苗字で呼ぶようになったことも忘れてはならないだろう。
小学校低学年の頃は幼稚園の延長という感じで、同級生のほとんどが下の名前で呼び合っていた。高学年になってもグループ付き合いは解体されないことが多く、苗字で呼び合うおとなびた奴もいたにはいたけれど、低学年の頃の繋がりを持ち越して名前で呼び合うやつもそれなりにいたはずだ。しかし中学に上がり、他の学区出身の人間と同じ小学校の人間が混じり合ったことで、苗字で呼ぶのがベターになった気がする。
それになまえも合わせているのだ。自分の羽に塗られた異彩のペンキを洗い流して、群れの鳥たちに馴染もうと躍起になっている。

「――おい、なまえちゃんの話聞いてるか? ゼロ」

おーい、とヒロが僕の眼前で手をひらひらさせている。
昼休み。男子連中とサッカーをするのも好きだったけど、屋上へ続く階段に屯することも同じくらい僕らは好んでいた。安全のために屋上は何年も前に閉鎖されており、使う機会のないただそこにあるだけの階段は、人の往来がほとんどなく、休み時間の間話し込むには最適である。

「え……? なんだって?」
「今日遅くなるって言ったんだよ」

思考の海からあがったばかりで話についていけていない僕に、なまえが改めて教えてくれる。

「へえ、なんで?」
「ゼロ本当に聞いてない……」

ヒロが嘆息する。

「先生と面談が入ったの」
「嗚呼、体操服の件?」
「う、うん、そう……」

なまえの返事はやけに歯切れが悪い。
今日の午前のプールの授業の後、保健室に行こうとしていたときといい、嫌にもじもじとしているというか……。

「よかったじゃないか。もし犯人がいるなら、盗まれる度に買い直すのは金銭的にも打撃だし、単純に気持ち悪いからな」
「話聞いてないのに話早い……。そういうことだから、二人は先に帰っててね」

前半の一言は余計だ。
彼女は気遣いのつもりで帰っていろと言っているのだろうが、今日もテニス部の活動がある。

「いや僕は待ってるよ。どうせ部活だし、なまえの方が待つかもな」
「ならオレもゼロと待ってるよ」
「なんだ、結局いつもと一緒だね」

なまえの微笑みの裏で予鈴が鳴り響く。僕らはそれぞれの教室へとつま先を向けた。



放課後。掃除が済んだ後の教室に居残って、帰宅前に課題を済ませたり、友人や教師らとの談笑に時間を溶かしたりする生徒はどこの組にもまばらにいて、教室に僕と景光のふたりだけになる頃には随分と日が落ちていた。
出された課題はやり尽くし、僕は手持ち無沙汰に部活で使うテニスラケットの調子を確かめたりもしていたが、手入れをするにも家でなければ道具を用意できないので暇潰しにもならない。
やることも尽きると景光と最近発表された新しいアルバムの話に花を咲かせる。次の金曜日の音楽番組にあのアーティストが出るとか、テニスの世界四大大会の開催が近しいだとか、昨日のボクシングの試合のことだとか、ヒロのなかなか会えない兄の話とか、他愛もないことを語った。

「……それで、兄さん今こっちの大学に通ってて、偶に会ってるんだけど、今度二人のこと紹介したいと思ってさ。どうかな?」
「ああ、僕は別に構わないけど。部活ない日ならいつでも」
「じゃあ練習の日程出たら教えてよ。なまえちゃんにも聞かないとだな……」

そう言ったヒロの視線が教室の扉へと移ろいだ。十分か二十分程度で終わるかに思われた面談だったけれど、随分と時間をかけて行われているらしく、彼女の影は未だ見えない。

――ていうか、お兄さんになまえを紹介するって……絶対彼女だと思われるだろ……。

懸念を一つ心に転がす。自宅に遊びに行ったときに顔を合わせた友人の家族に名乗るだけなら小学校時代には珍しくなかったが、友人が自分を家族に紹介をするために場まで設けられるのはさすがに初めてだ。それだけヒロが僕らを大切に想ってくれているということの裏返しでもあるのだろう。親友としては誇らしいが、それはそれとしていまから緊張する。

「……ヒロのお兄さんて、ことわざ多用するんだっけ」
「そうそう、中国の軍師の教えとか詳しいんだ」

――言ってること、わかるかな……。不安だ……。
頭いいからゼロと話し合うと思う、なんて笑うヒロにそれはさすがに買いかぶりすぎじゃないかと思う。勉学に困った経験がないとはいえ、一介の男子中学生が現役の東都大学生と渡り合えるわけないじゃないか。
唇を尖らせたそんな折り、廊下で足音が反響した。僕らの話し声だけが控えめに響く茜色の教室に、彼女らしきのろついた歩みは存在感を放つ。

「あっ、なまえちゃん、ちょうどいいところに! 2人のこと、離れて住んでる兄に紹介したいって話てたんだけど、予定って……」

妙だ。
言葉を途中で打ち止めた景光も、きっと同じ訝しみを胸に抱えていた。
乱れた髪。しわくちゃのセーラー。腫れた頬。くるぶしまで靴下がずり落ち、晒された脹脛には、転んだような……転ばされたかのようというべきか……昼休みにはなかったはずの痣や掠り傷が散らばっている。
傷だらけの脹脛を濡らす雫と、それに入り混じる血の意味は、このときの僕らはまだ知らない。
なぜ嫌がらせの疑惑の相談をしにいった彼女がまさにたった今嫌がらせをされたようなぼろぼろの姿で帰ってくるんだ。わけがわからない。やるせなさが頭に火を点けて、僕は彼女に詰め寄ってしまう。

「っ、誰にやられた!? あの女か!?」

僕は男子二人と行動を共にすることの多い彼女を“色目を使っている”と称したあの女子生徒にあたりをつけていた。
燃え盛るような頭では早る気持ちを押さきれず、僕は半ば怒鳴りけるような勢いで問い正してしまう。すると俯いている彼女の肩がびくりと跳ねた。


「嫌……っ!」

ぱんっ、と。虚しくなるほど乾ききった音を響かせながら、彼女の肩に触れた手を弾かれる。さわんないで、と血を吐くような痛ましい声が続いた。

「ゼロ落ち着いて。なまえちゃんが怖がってる。……なまえちゃん、大丈夫か? 何が起きたか言えるか?」

景光のあやすような声に、彼女は首を横に振る。そしてひとこと、「言えない」と消え入りそうな声で言った後、堰を切ったように泣き始めた。
たったいま涙を流し始めたばかりの目尻がすでに赤く腫れているところを見ると、乱暴されている間にも泣きじゃくっていたのだろう。どうしてこれほど静やかな校舎で、僕らの談笑と同時刻に行われていた蛮行に気づくことができなかったのだ。歯噛みなどしてもし足りない。

「落ち着け、なまえ。大丈夫だ。そいつのことは僕がどうにかしてやるから」
「……どこいくんだ、降谷」
「職員室。まだ誰かしらいるだろ。こんなの立派な暴行だ。大人に動いてもらうしか……」

苗字で僕を呼びつける景光に答えて、開けっ放しの扉から廊下へ出ていこうとしたそのとき。

「やめて!」

僕らの問いにも口を噤んで華奢な肩を哀れなほど震わせているばかりだった彼女が、喉が爆ぜたように突如として声を上げた。

「でも……」

戸惑う景光がちいさな反抗を唱える。

「……わかった」
「降谷……」

彼女の懇願を飲み下した僕に、それでいいのか、と景光の猫目が言外に確かめてきた。

「これ以上は追求しない。ヒロもそれでいいな」
「あ、ああ……」
「降谷君、諸伏君、ありがとう……」

景光の面持ちを見れば納得していないことは明々白々だったが、ここまで必死になる彼女の手前、強く出られないのは僕と同じだ。
静かに感謝を述べるなまえだが、伏せられた瞳は濁った水底のように暗いままで、とても安堵しているようには見えない。
しかしなまえの身を危ぶませるような危険をこのまま放っておく僕ではない――僕はこう付け加える。

「ただし一つ条件がある」


2023/06/14
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