比翼のアルビノ

28.名ばかりの幽霊になる

ヒロのいない日々が当たり前になり、3年。潜入捜査官としてバーボンや安室透と数々の顔と名前を操る毎日の中で、僕は29歳になっていた。
その年の13日の金曜日、宿敵が殉職した。
諸星大――組織随一の狙撃手で、コードネームはライ。その素性はアメリカ合衆国のFBI捜査官であり、本名は赤井秀一。
親友を見殺しにした男の喜ぶべき訃報を、僕は信じなかった。

「俺以上に奴を嫌っていたお前にとって、これは吉報か。それとも赤井を殺れるのは自分だけだと息巻いていたお前にとって――」
「ええ、とんでもない悲報ですよ……」

吉報だなんてとんでもない。むしろ怒りが湧いてならない。
バーの少ない明かりの中でも、僕に訃報を持って寄越したその男の背中を隠す程の長い銀髪は、闇を弾いて眩しいほどに浮き上がって見えた。ジンは悪趣味なカクテルを口に運び、くつり、と喉の奥で不敵に笑う。フランシス・アルバート――バーボン・ウィスキーの著名な銘柄のひとつ、“ワイルド・ターキー”と、“タンカレー”という銘柄のドライ・ジンから成るカクテルは、僕と彼の会合を彩るに相応しい、それぞれの名前を関した酒を溶かし合わされていた。口ではいい趣味ですねと褒めそやしつつも、逆三角形のカクテルグラスの中で僕とこの男が混じり合っているのだと思うと反吐が出る。ジンは僕のリップサービスを鼻で笑って吹き飛ばした。

「――死ぬわけがない」

この僕の宿敵であった男だ。やつの身分に確証を持ち得なかった頃からとかく馬が合わず、されど背を預けるに値する実力と認め、二律背反の元、憎らしく思っていた男の殉職。結果的にやつの本性が僕と同じだったというだけで、仮にライが裏表なく悪のカリスマであったとしても、俺は敵組織の幹部としてやつを正当に評価し、警戒していただろう。

「信じねェつもりか」
「あなたこそ信じているんですか、ジン。聞いた限りでは直接その眼でご覧になったわけではないんでしょう。えぇ、確かに赤井の頭部を撃ち抜かせたのも、始末の舞台に来葉峠を指定したのもあなたですよ。しかし、ジン……あなたはただキールが首につけていた隠しカメラのモニター越しにチェックしていただけ……。幾らでも小細工のできる状況にあったと思いますが……」
「だからキールは暫く組織の監視下だ、動向には常に目を光らせている」
「そうでしたね。――いいですよ。僕が裏を取りましょう」
「監視に人員を割くのも燃費が悪い。奴の死が証明されるのならそれに越したことは無ェ……」
「赤井が生きているという証拠を白日のもとに晒します。それでこのくだらないディベートも終結だ」

――赤井は生きている。許すな、やつが死ぬことを。
性根は最悪であったし、スコッチを自決に追い込んだことは毎夜呪詛を吐き連ねるに足る非道だ。死んでくれるに越したことはないが、僕の掛け値なしの評価を買っておきながらのうのうと死なれてはまるでこちらの審美眼に泥を塗られたようで気にくわない。
やつの所在を暴いて、墓石の下が空虚であることを証明し、それ見た事かと鼻で笑ってやろうではないか。

「ついでにあなたがご執心である裏切り者のシェリー……彼女の情報も手土産としてお持ちしましょうか。それでは」
僕はジンに勘定と挑戦状を叩きつけ、席を立った。



公安警察という身分を利用して、来葉峠で炎上した漆黒のシボレーに関する情報を悪の立場からも正義の立場からも徹底的に調べ上げた。
まず、なぜ焼死体の身元が割れたのか。キールが来葉峠で頭を撃ち抜いて、車ごと焼却した赤井の遺体の指紋と、ある少年の携帯電話に残っていた赤井の指紋が一致したことが証拠とされたらしい。それを確認したのは日本警察で、確認を命じたのは違法捜査中のFBI。即ち赤井の仲間だ。
焼死体から指紋が採取されたのは、耐火加工されたズボンのポケットに手を差し入れたまま死に絶え、焼かれたため……。

――奴らしい。

喉から乾いた笑みが漏れる。あれは人を舐め腐ったような男だった。しかしそんな“らしさ”を逆手に取り、後々指紋を採取させるためにわざとそうさせていたと解釈することもできる。それには代替品の死体が必要、ということが前提として立ちはだかってくるが、果たして……。

「赤井の捜索、ね」

どんな美麗秀句さえも見劣りする、鮮やかな美貌の大女優は、退屈そうに頬杖をつく仕草すら絵になってしまう。ふわりとうねるブロンドを肩から背に流しながら、ベルモットは首を傾げた。

「そのためにあなたの力を借りたいことは二つ……。一つは僕を赤井そっくりに変装させること。もう一つはボスへの連絡です。この作戦をあの御方に提案して頂きたい。赤井に化けている間に組織の人間に背後から撃たれでもしたらたまったものではありませんからね。なので承諾を得ておきたいんです……」
「ボスにメリットはあって?」
「あの方は確か慎重居士なんですよね。でしたら、ジンのモニター越しのチェックには少なからず不信感を持っているのではないでしょうか。奴の死に100パーセントの確証がないことは、ボスにとっても不安なはずです。それを僕が晴らす……充分なメリットでは? あなたとしても、自分の秘密を握っている人間を野放しにするよりも、同行して傍で監視したほうが安心なんじゃありませんか。だって、困るでしょう、僕が約束を破って暴露なんてしたら……」

僕の消息が立たれた場合、組織内に彼女とボスにまつわる或る秘密がリークされる――そういう手はずになっているのだ。それは彼女の心臓にひとつの杭を撃ち込んで、僕らを対等にさせていた。

「悪趣味な男」

呆れ顔で煙を吐いたベルモットに、僕はにっこりと笑って返す。

「光栄です」



ライとシェリー、二人の裏切り者の行方を追いかける日々が始まった。かたや好敵手で、友の仇。かたや初恋の女性の忘れ形見で、ジンも異様に執着するほどの組織内の重要人物。“ヘル・エンジェル”とあだ名された彼女の母親も、その長女も知らぬ間に命を散らしてしまった今、疾走したシェリーの生存を信じていたかった。赤井とは全く真逆の縋るような気持ちでその足取りを追った。
シェリーは科学者だ。人に害をなす薬品の研究をしていた彼女が、宮野エレーナや宮野明美と同じ心根の優しい少女とも限らない。しかしもし彼女が悪に堕ちていたとして、そのときは裏切り者として組織に差し出し、自分の昇進の餌にでもすればいいだけのこと。もし彼女が人の心を忘れていなければ守れば良い。保護の手立ては幾らでもある。
どうか生きていてくれ、いい人間であってくれ――シェリーに願う。
生きている、死ぬはずがない、死ぬなんて許さない――赤井を恨む。
僕は全く異なる原動力から、二人の人間の生存を洗うのだ。


2023/08/05
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