比翼のアルビノ

02.野ざらしのパレード

「ねえ、零君。とっておきの見せてあげる」

ある日の放課後、帰路につくランドセルの群れをかき分けてボクのもとまでやってきたなまえは、得意げな笑みを満面に浮かべてそう言った。履き替えたばかりの上靴を下駄箱に戻したボクは、段差のある玄関の床に放り投げたスニーカーにつま先を突っ込みながら、怪訝に問い返す。

「何?」
「いいから来てよ。見て欲しいの」

放課後の用事といえば釣りに虫取りにボクシングだから断る理由もないけれど、無邪気に差し伸べられる手を取るのが無性に恥ずかしく、憚られた。周囲に同性のクラスメイトの眼がないかを横目に確かめていると、痺れを切らしたらしいなまえがぱっとボクの手を取ってしまう。

「お、おい! 待てよ!」

手を引かれるがままに連れてこられたのは彼女の家の近所の公園だった。住宅街の一角にある狭い敷地面積の貧相な公園で、遊具といえば砂場とブランコ、申し訳程度に動物のオブジェが建てられている程度。遊び場にするにも退屈だろうに、嬉々として人に見せつけるような代物があるとは思えないが、果たして……。
ボクは訝しみの色を宿した眼差しで公園全体を舐め回し、なにもないじゃないか、と肩を竦めた。
そして遅まきながらなまえと手を繋いだままであったことに気づき、ぱっ、と離す。
とうのなまえはといえば気にもとめていない様子で、「あれ?」とか「どこかな」とか呟きながら公園の周囲の茂みを掻き分けたり、木の根元を覗き込んだりしている。

「なぁ、見せたいものってなんなんだよ」
「――あっ、いた! 見て、零君」

二本目の木の陰を探っていたなまえが木漏れ日のような明るい笑顔でボクを振り返る。控えめにはしゃいで手招きをする彼女の姿に怪訝も不機嫌も取り払われて、ボクはそちらへと歩み寄った。
なまえの影と木の陰が重なっているところに、白い影が知覚できる。なんだろうか。

「これ……」
「ね? すごいでしょ」

なまえが得意げに笑った訳を知る――草葉の影からつぶらな瞳でこちらを伺っているのは、白い小鳥だった。子供のボクらの手にも収まるほどの小躯は、雲にも紛れるような純白の羽毛で覆われており、瞳は眼窩にイチイの木の実を嵌め込んだような赤色を呈している。羽の輝くような美しさとは裏腹に、その眼の色には恐ろしさを覚えた。
小さな体全体がまっさらなので模様から種族名を特定することは困難だったけれど、鳴き声から雀であると判断できる。

「……知ってる。こういうのアルビノって言うんだ」
「アルビノ?」

しゃがみこみ、白い雀をまじまじと観察するボクの横で、なまえが聞き慣れぬ語句に首を傾げた。

「先天性色素欠乏症、または先天性白皮症、白子症……遺伝子疾患で体の色素が生まれつき不足している生き物のことだよ。メラニンが欠乏しているから体毛の色や瞳の色が薄くなる。大抵は薄い金色らしいけど、こういうふうに真っ白になることもあるって」
「へえ……薄い金色なら零君の髪の色と一緒だね」
「……ボクのは遺伝だよ」
「へえ、すごいなぁ。零君はほんとになんでも知ってるね」

喋りすぎたことを自省するも、すとんと膝を折ってその場にしゃがんだなまえがボクと同じ目線でそんなことを言うので、照れ臭い。自分の正義感と口数の多さが嫌厭されていることはよく理解していたので、教室という箱庭で浮かないためにも、その場で求められていないであろうことはいかな正論や知識であろうとも口を噤むように努めていたが、うまくはいかない。
ボクの心など知る由もないなまえはランドセルから米粒の入ったビニール袋を取り出すと、中身をさらさらと自身の掌に載せ、それをアルビノの雀に差し出す。

「この子ね、動きが鈍くて餌取るのも下手なの。だからお米あげてたら懐かれちゃった」
「アルビノって目が悪いらしいし、それで下手なのかもな」
「そうなんだ。可哀想……」

零君もどうぞ、となまえが袋の米をボクに手渡す。彼女を真似て掌に数粒の米を転がし、雀のこぶりな嘴の前に恐る恐る差し出してみると、気がついたそいつはちびちびとそれを啄み始めた。小さいながらもしっかりと尖った嘴が掌にあたり、痛いようなこそばゆいような。鴨なんかは嘴の先端が丸みを帯びているから手ずから餌を与えてもまるで痛みはないけれど、それとは大違いだと思った。

「あれ……」

雀を愛でていたなまえが不意につぶやく。

「ここ、怪我してる」
「ほんとだ。こいつ、目が悪くて鈍いんだろ、怪我しやすいのかもな」
「零君みたい」
「一緒にするなよ! ボクの怪我は別に……」

言いかけて、言い淀む。ボクの怪我は口実だ。でも淡い恋心の矛先をこいつに明かすくらいなら、この雀のように鈍くてどんくさいやつだと思われたままのほうがマシだと思い直した。
人に慣れた白い雀――ローカルニュースの特集程度ならば容易に張れるであろう希少な存在。きっとこの町でボクとなまえしか知らない、秘密の白い鳥。
明日登校したら真っ先にこのことを伝えるであろう相手として、ボクはある一人の友人の顔を頭に描いていた。

「あのさ、今度、ヒロも連れてきていいか?」

諸伏景光。ボクとはゼロ、ヒロ、と呼びあって、放課後や休日には釣りや虫取りに出かける仲だ。

「ヒロ? ひろみつくんのこと? 私喋ったことないよ」
「すぐ仲良くなれるって。いいやつだから」
「零君がそう言うなら……」

それから。
なまえの手持ちの米粒を全て雀にやったあと、ボクらは公園をあとにする。
か弱くて、ボクらを屈託なく信じて餌をねだったあの雀と別れてしまうのが名残惜しくて、道路に出てからも一度公園を振り返った。すると、一般的な色彩の雀の群れが遊具も子供も少ない公園に降り立ち、なまえかボクが少し零してしまっていたらしい米を嘴の先で拾い始める。アルビノの雀は仲間の訪れに喜び、寄っていった。
しかし、甲高い威嚇の声を上げ、群れは白い翼のあの子を追い返す。戸惑う白い雀を威圧し、懲りずにまた一歩寄れば、今度は嘴で羽を毟る始末だ。
それがなんだか、髪色を変だと誂われた自分に重なって見えて、踵を返すことも目を逸らすこともできず、立ち竦んでしまう。

「……動物も、見た目が違うやつは仲間外れにするんだな」

あいつはボクと同じだ。
なまえはボクの顔を覗き込んで、なぜだかボク以上に泣きそうな顔をする。

「零君……」
「ほら、帰るぞ。寄り道したってばれたら怒られる」
「ねぇ、私は零君の髪、好きだよ。金色に光るきれいなものを見ると、零君を思い出すんだ」

一瞬、息の仕方が脳から零れ落ちた。
眼が皿になるとなまえの笑顔がより鮮明に眼球を締め、内側から肋骨を叩く心臓が喧しくなる。打算などひとつも知らないような無垢な笑顔を向けてくる彼女に背を向けた。
熱を逃がすようにずんずんと大股で歩道を歩く。

「……お、お世辞ならいらない!」

わかりやすい照れ隠しだった。



本当は白い雀との邂逅の翌日には景光に雀を見せたかったけれど、なまえの習い事や景光の家の用事が重なり、あの素晴らしい白い羽の小鳥を友人に見せびらかすのは数日後まで持ち越しとなった。

「なあ、ヒロ。今日学校終わったらいいもの見せてやるよ」
「いいもの?」
「そう、とっておき」

あの日、ボクに白い鳥の秘密を明かしてくれた彼女の口ぶりを真似て、予告する。放課後になると首を傾げているヒロの手を引いて玄関の下駄箱の前でなまえと合流し、相変わらず行き先は伏せたままであの公園へと向かう。
――でもその日、雀は死んでいた。
誰かの忘れ物のスコップが刺さった砂場の隅で、風で舞い上がった砂で白い翼を覆われて。赤い瞳は瞼の奥に閉ざされている代わりに、毟られた羽毛の奥から覗く肉の赤が鮮烈に目を突き上げる。
誰もが言葉を失い、沈黙が降りる中、景光が顔色を青白く変えて震えていた。ボクはこの顔を知っている。釣った魚を捌くとき、飛び散る鱗や飛沫いた鮮血が指を汚すとき、翅を一枚失くした蝶が今にも息絶えようとしているさまを目撃したとき、住宅街で入れ墨の男を見かけたとき……、景光は決まって突風に煽られた枝葉のようにざわつく胸を抑えて恐怖を押し殺すのだ。

「ご、ごめんね、死体……とか、怖いよね……。変なもの見せてごめんね、景光君……」

自身も涙を堪えた声色だというのに、なまえは動悸を抑え込むように服の胸元を掴んでいる景光を宥める。景光はぶんぶんと首を振って、大丈夫、と掠れた声で答えた。
景光のことは公園の外で待たせ、ボクとなまえだけで白い雀の墓を拵える。ちょうど砂場に忘れられていたスコップを借り、あの日こいつがボクらの手ずから米を食っていた樹の下に、その白い小躯を埋めてやる。ざくざくと雑草を踏み倒しながら掘った穴に雀の亡骸をそっと寝かせ、なまえはそのうえに優しく砂を盛っていく。

「白い体は目立つからもっと強い鳥に見つかりやすい。目立つってことは、襲われやすいんだ。そのせい、かもな。仲間も、いなかっただろうし……。目が悪いことも多いんだって。ああ、これは前言ったか……えっと、あとは、体も弱いことが多い」

だから。気にするなよ。なまえのせいじゃない。いつ死んでもおかしくなかった。もしかしたらもうずっと昔に餌にありつけなくて死んでいた命だったのかもしれない。それをなまえの優しさが長らえさせていたのかもしれない。
拙い語彙ながら懸命に言葉を尽くし、ボクはお前は悪くはないのだと彼女に伝えようとした。
彼女は、うん、うん……、と次第にか細くなっていく声で頷いていたが、いよいよ白い翼が砂の奥に隠れて見えなくなると、堰を切ったように泣き出してしまった。

嗚呼、こんなことを教えるために学んだことじゃないのに。慰めるはずが、白い雀の理不尽な死を裏付ける結果となってしまう。
帰り道、誰も何も、喋らなかった。教科書とノートを詰めたランドセルよりもよっぽど重い沈黙と、小さな命の終わりを垣間見たという衝撃を、僕らは共有していた。


2023/06/20
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