比翼のアルビノ

26.いつか忘れてしまうくらい沢山の約束

帰宅してすぐに覗いた彼女の寝室がもぬけの殻だったあたりで、彼女が僕の寝台に潜り込んでいることを察してはいた。とはいえこんな時間だ、さすがに寝ている。
それに子猫が寄り添う体温を求めて母猫の懐に潜り込むように、下心なく僕に添い寝を求めていただけだという線もある。期待をするなと暗示をかけていざ開いた自室のドア、広いベッドですやすやと身を横たえている彼女は下着姿で、帰った僕を誘うつもりであったことは明々白々。
彼女が纏うショーツの形状は尻の部分が丸く切り取られたOバックで、尻たぶの丸みとそれをくっきりと分かつ臀裂を惜しげもなく晒している。ブラジャーも心なしか薄い生地のものであるし。
参ったな――僕は前髪をかき上げた。首輪として僕に自制を促すネクタイをほどいてしまえば、野獣になることは必至。気持ちよさそうに寝息を立てる彼女を起こすのは気が引けるが、男を誘惑する身なりの好きな女の隣で朝まで乗り切る自信はない。

――今日はソファで寝るか……。いや、キスくらいは、したい。

連日の激務で鈍った倫理観が、疲労困憊の頭を甘やかす。できれば抱き締めて眠りたいが、きっとその次に思うのは、性器をこすりつけたいとか、そんないかがわしいことだ。
よろよろとベッドまで歩み寄った僕は、横向きに眠る彼女の顎を掬って上を向かせ、昏倒する白雪姫の唇を奪った王子のように真上から自分の唇を重ねた。ん……、と眼下の喉が鳴る。なまえの吐息めいた声は、僕とのキスにもみ消された。

――駄目だ、かわいい。襲いそうだ。

僕は潔く身を引き剥がし、部屋を後にしようとする。

「ん……、零君……? おかえり……」

最悪なのか幸いなのか、彼女が目を覚ました。立ち往生した僕は、ただいま、となるべくその艶やかな姿を眼界に入れないように務め、答える。

「あ、あの、待ってたん、だけど……疲れてる、よね……?」

シーツを素肌が引っ掻く音が耳朶に吸い付いた。ベッドの上にぺたんと座り込んだなまえが照れくさそうに身を捩るただそれだけの仕草に、顔に熱が集まる。

「疲れてるけど……癒やしてくれるの?」

シーツに突かれたなまえの手の甲をつつつ、と指でなぞりながら問いかけた。
僕はなまじ人より体力があるばかりに疲労を理由に性の発散を諦めるということが中々できない。
浅く、だが確かに顎を引いたなまえの唇を今度は深く奪って、急ぎ足に歯並びを確かめた。

「ふっ……んっ……」
「前に言ってたもっとえっちな下着ってこれか?」
「うん……これが一番際どいやつ」
「そっかぁ」

我ながらだらしのない声色だった。
マットレスに乗り上げようとしたところで、自分が清潔とは言い難い状態であることに気づく。

「僕、風呂まだなんだ。先に入ってきていいかな」
「このままでいいよ。零君の匂い好き」
「そうは言ってもな……」

なまえに甘えるように頬や顎にキスをされると我慢ならなくなってしまう。僕のぐらつく精神に追い打ちをかけるように彼女の手がネクタイの結び目を緩め、ワイシャツの裾の中から腰を撫でてきた。

「汗臭くても知らないぞ――」

八つ当たりのように吐き捨てて、僕はなまえの腰に馬乗りになる。彼女に脱がされかけていた服を剥ぎ取って、僕は上半身裸になった。
寝室は暗く、開け放されたままの扉から廊下の向こうのリビングの灯りが差し込んでいた。頼りない照明の中、慣れつつある夜目だけを頼りに、押し倒した彼女の躰に視線を這わせていく。見れば見るほどすごい格好をしている。
シースルー生地のブラの胸元にはスリッドが入っており、ただでさえ透けている柔肌が、少し生地を指で寄せるだけで顕になるのだ。男を煽るためだけに隠すのではなく見せつける下着は、ほとんど胸を寄せて形を整えるためだけに作用していた。
僕はシースルーのチュールの上から胸の膨らみに触れ、寄せられた胸をそのまま手中に収める。ブラを脱がせなくて済む分、揉みやすい。穴の空いたカップに指を乗せ、薄いチュールに埋もれた中央の飾りを探った。

「ぁっ……っ」

指と乳首の間に介在する薄い障壁。ざらつきのある触り心地のそれが指によって敏感な箇所に擦り付けられ、きっとただ触れられるときとは違う感覚があるはずだ。

「薄手の生地だからこのままでも充分感じるんじゃないか。それとも直接触って欲しい?」
「ひあ……うっ」
「答えて。どっち? なまえ……」
「ち、ちょくせつっ」
「了解」

中指と人差し指で左右にぱっくりと切り込みを広げ、素肌を曝け出すとそこにちょんと尖らせた舌先で触れた。ぴくんっ、と震えるなまえの顔を仰ぐと、どうしてやめちゃうの、とばかりに眉を寄せている。焦らすように見つめ合いを続けた後、今度はねっとりと舌を突起に這わせていった。
反対の胸も、動揺にスリッドの隙間から指を挿し入れ、くるくると飾りを愛撫してやる。

「零、 君……っ! あっ……!」

ちゅぱ、と恥ずかしい音を立てて吸うと下敷きにしている躰が弓なりに反り返った。舌先で飴玉を溶かすように延々と舐め続けていると、腰は寝台から浮き続けるようになり、なまえは唇に指を当てて声を噛み殺す。僕は、「駄目」と胸を口に含んだまま戒めて、彼女の口元の手を捕まえるとそのまま指を絡めた。

「だ、だって声、変、だから」
「どうしたんだ、今まで聞かせてくれていたじゃないか」
「今更だけどなんか恥ずかしくなってきて……」
「教えたように僕のこと呼んでてくれ。寂しいから」
「うん……零君」

頼めばなまえは極めてそれを真面目に叶えようとする。
セクシーランジェリーもそそられるが、やはりそのままのすがたも見たい。ブラを外すと、汗の粒がアクセサリのように飾っている彼女の胸の谷間をぺろりと舐めて、舌先で胸から臍までなぞっていく。足の付根にまで辿り着くと、腿の横で結ばれているショーツの紐を軽く噛んで、引こうとした。

「ま、まって、これ、脱がなくてもできるやつ、なの……」
「へえ……」

大事なところを守る気概の感じられない恥丘の皮膚を透かしたショーツに、彼女の指が伸びる。くぱ、とまるで肉のひだを広げて見せるような所作で、二本の指がオープンクロッチを指で左右に割ってみせた。

「ぬ、脱がなくてもいれれるの。だから、私のこと……」
「ちょっと待って」
「零君、」
「大事にしたいんだよ。痛いことはしたくないし怖がらせたくない」
「我慢しないで」
「……無理そうだったらしないからな」

僕はクロッチのスリッドから指の先端を差し入れた。茂みを濡らしているぬめりを指に絡め、ひだを割ると熱く柔らかい肉壁に出迎えられる。抜いては挿して、挿す度に少しずつ深めて、時折陰核を親指で撫でてやる。
おとなになってからはまだ一度も僕を受け入れさせていないそこはきついけれど、はじめに比べれば随分と抵抗を示さなくなった。

「あっ! れ、零君っ」
「クリ、気持ちいい?」
「ん、あっ……きもち、ひあ、れーくん……っ」

芽も蜜壺も大切に育てた。淫らな練習は実を結び、彼女はもう並の女のように快感を追えるようになっている。頃合い、なのだろう。しかし誘われるがままその掌の上で踊らされるのは、浅はかだった高校時代の過ちが呼び覚まされて、僕に足踏みをさせる。
そんな折、シーツを握りしめていたなまえの手が、彼女の脚の狭間に差し入れられている僕の手に重ねられ――あろうことか彼女は其処に自身の指を差し入れた。すでに僕の人差し指と中指に選挙されている狭い窪みに、なまえの人差し指が追加で割り込む。

「あ、おいっ」
「だってれーくん、ゆび、増やしてくれな、っいから……っ!」
「だからって、な。焦るな。ちゃんと順を追ってやるから」
「はいった、からぁっ。はいったら……っ、あっ、ん、最後、まで、してくれるんでしょ……っ?」

めちゃくちゃに動き始めた彼女の指は和を乱すようだった。こちらがどんな気持ちで優しくほぐしていたと思っているのか。

「ん……っ、あっ、きもち、い……」
「全く、僕を差し置いて自慰とはな……」
「あぁっ、んっ……、零君っ、れーくんとしたいっ」
「ちょっと黙っててくれないか、煽られるときついんだ――」

誘惑するようなことばかり言う唇をキスで塞ぎ、ひとまずの誤魔化しとして舌を絡める。なまえのもたつく舌の相手をしながら僕は次第にのぼせていく頭の、まだ冷静さを残している部分で思案を巡らせた。
彼女が快楽を得られるようになり、指が三本入ったら彼女を抱くという約束だった。なまえの指は僕のものよりもずっと骨が細いとはいえど三本は三本、男に二言はあってはならないのだが。

「……っ!?」

――僕は彼女を見くびっていた。息を跳ねさせたのは、舌を奪われたからではなく、彼女にのしかかる僕の股間を小さなその手がぬっと撫でたから。

「ん……っ、落ち着け……、って!」
「きゃっ!」

不埒な手を掴み上げると、そのままシーツに縫い留める。

「何焦ってるんだ? お前……」

僕はなまえの瞳を覗き込むと、その瞳孔に宿る色が一体何なのかをそっと探ろうとした。

「零君こそ……何で焦ってる以外の可能性考えないの。警察官でしょ。もっとあらゆる可能性、考えてよ。なんで私がこーふんしてるとは思わないの? 私に性欲あるの、嫌?」
「は……性欲?」

目が点になる。

「れーくん私に夢見過ぎだよ……。私だってここまで教えられたらえっちなことしたいって思うよ」

大切に扱うあまり、所詮は一人の人間に過ぎないなまえを聖女として祭り上げていた節があることを自覚させられた。男の汚い欲望に苦しめられ、それを厭う彼女には、当然欲など存在せず、この毎日の練習とて、全ては僕のエゴだと――。

「ずっと怖かったし、今も少し怖いけど、それでもしてみたいっていう気持ちは前より強いよ。私、零君に触られるの好き。もっと触って欲しい。好きだから出来ること全部したい」
「わかったわかった、わかったから! ちょっと待ってくれ、なんかこっちが恥ずかしい」

赤らむ顔を背けようとすると、彼女の手に両頬を掴まれて視線をきつく結び合わされる。熱く濡れた瞳がベッドの上から僕を真摯に仰ぐ様は、鮮烈だ。

「零君……っ、零君が、好き。好きなの。零君になら何されてもいい。痛くてもいいくらいなの」
「何されてもいいなら優しくさせて」
「いっぱい優しくしてくれて嬉しいよ。待ってくれてありがとう。我慢させてごめんね。でももう平気、だと思う」

なまえは僕の頭をぎゅうと抱きしめると、耳殻を焦がすような熱い声で耳元で囁くのだ。

――零君、抱いて。

早鐘を打ち鳴らす僕の心臓を暴くように。なまえは指先だけで僕の鎖骨や胸板をくるくると撫でてきた。
僕のこの手は彼女を抱きしめることは容易にやってのける癖に、再びその甘く濡れた下半身に伸ばすことはできない。あれだけ指先に湛えていた熱を汗として表に吐き捨ててしまった手は冷え始めていて、まるで怖気づく子供のよう。
――嗚呼、僕も、怖いのかもしれない。僕のために覚悟を決めてくれた彼女とは裏腹に、彼女を引き剥がすことに躍起になっていた僕にはそれが足りなかった。

「零君?」
「ごめん……僕が怖いんだ」

どれだけ丁重に触れても加害性を否めない行為だから。

「じゃあ、今からして、怖くないことだって確かめて。零君が毎日私に怖くないって教えてくれたみたいに、私も教えてあげる。だから大丈夫」

彼女に手櫛で髪を梳かれるのは夢心地だった。



軽く手で握って硬度を調節した自身にコンドームを被せると、どちらともなく息を呑む。
獣の交尾と同じ後背位の方が女性への負担は少ないと耳に挟んだことがある。なまえの腰に触れ、うつ伏せになるように促すと、彼女は今日始めて不安そうな表情を見せた。

「零君は後ろからの方がいいの……? 零君の顔見えないのやだよ……。私、零君にされてるってわからないとできない……」
「僕も顔見えないのは寂しいからこっちの方がいいな。単に負担が少ないって聞いたから、なまえのためにもいいんじゃないかと思っただけさ」

正面から抱擁して繋がる方が犯されているのではなく愛されているのだという実感も濃くなるだろうし、キスもできる。僕だってその方がいい。

「顔見たいなら、こっちも電気、つけようか」

ベッドの近くのランプを灯すと、淡い照明が夜陰を追い払い、夜の中に裸の僕らの影をありありと刻んだ。
自分の枕を一つ取ると、なまえの腰の下に挿し込んで少しだけ傾斜をつけさせる。律動をかける際に衝撃を諸に浴びるのだから緩衝材となるものがあった方がいいと踏んだのだが……彼女が協力的に脚を開いてくれたこともあり、厭らしいクロッチの切れ目から覗くそこが目に飛び込んでくる。
僕は腿の間に我が身を差し込み、膝立ちになった。

――嗚呼、ついにしてしまうのか。

「零君の初めて、私にください」
「……っ、あぁ、もらってくれ。僕のこと、君が大人にしてくれ」

そんな殺し文句にわかりやすく心臓を跳ねさせる自分がなんだか情けないと思ったが、彼女にも散々恥ずかしいことをさせて言わせているのだからこれくらいでおあいこだろう。
手を広げて僕を見上げる彼女に覆いかぶさり、背中に腕を回させる。こちらからもはやく抱き締め返したいけれど、ペニスに手を添えていたため塞がっていた。念のためローションを纏わせておいたそれはぬるついていて掴みづらい。
屹立の先端を握り、彼女の窪みの位置を間違えぬように触れて確かめながら、宛てがって。

「ひ……っ!」

つぷり、と押し入り、熱同士が浅く混ざりあった瞬間、なまえが悲鳴を上げた。

「ごめん、痛かったか」
「痛くない、けどっ……へ、へん……。」
「やっぱり指と違う?」
「ん。ふと、い……っ。びっくりしただけ、だから、大丈夫……。来ていいよ」

眼下の結合部に視線を這わせてみると、亀頭がぬかるみの奥に姿を消していた。自身の根本を手で支え、もう少しだけ埋め込ませると、肉壁が絡みついてくるのもあり、少しだけ固定されて安定してくる。根本を支える必要もなくなると、体重をかけないように気を配りつつも彼女の上に身を倒した。
「零君」と呼ばれるままにその腕に囚われ、自らもまた彼女の背中を腕に囚える。

「う、きつ……。なまえ、大丈夫か?」
「はっ、うぅ……、んんっ……は、う……」

乱れる吐息が互いの鼻先で混ざりあって不協和になった。力んだり、首を反らしたり、僕の背中につねるように縋ったり、必至に耐えてくれている彼女の髪を撫でるが、その僕の手つきも平素に比べれば随分乱暴だ。
なまえの息が止まらないようにその様子を伺いつつ、ゆっくりと挿入を進めていく。

「おなか、くる、しー、よ……。れいくん……っ、ちゅう、して……」
「尚更苦しくならないか?」
「はっ、ふ……苦しく、して……っ」

僕はその唇に噛み付いて、望まれるままに呼吸を奪った。僕の手で苦しくしてやろうという判断で、彼女が喜ぶ裏顎をしつこく撫でて、そっと触れてくるその舌にも構う。舌同士が絡まり、口腔の隙間が余すところなく埋められるに伴い、なまえの躰からは力が抜けて、背中に回されていたはずの腕はぽとりとベッドに落ちてしまった。シーツの上でその手を捕まえ、指を絡めて繋ぎ合わせる。口も、手も、性器も、キスをしている。
脱力したくたくたのなまえにぐりぐりとペニスを押し付けると、びくん、と敷いている腰が跳ねて、また舌にも手にも力が籠もる。
キスに意識を引き付けさせながら性器の繋ぎ目も深めていくと、ついにそれ以上進めなくなった。先端にこつんと当たる壁はないので、真の意味での行き止まりというわけではなさそうだが、痛みなくこじ開けることは難しいだろう。

「よしよし、頑張ったな……」

酸欠に喘ぐ彼女を一旦解放し、自分も上下する肩を休ませながら言った。

「はい……った?」
「入った。全部じゃないけど」
「う、うそ」
「本当さ」

彼女の腰を軽く持ち上げて結ばれているところを見せてやる。大部分が突き刺さって見えなくなっているけれど、根本はまだまだ残していた。嘘、と彼女がまた信じられないというように声を上げる。

「ほら、な? そのうち全部受け入れてもらうけど、今日のところはこれでいい」

頑張ったな、とまた言って、触れるだけのキスをする。
嗚呼――やっと初夜だ。
彼女の胎のうつわが僕のそれに馴染むまで、小さなキスをその頬や額や鎖骨に散らしながら、幾つもの睦言を囁いた。

「もう少しだけ頑張れるか?」
「ん、がんばる」
「ありがとう。いい子だね。なまえ、好きだよ」

そう言って彼女の頭を撫でたとき、きゅ、と中のペニスに圧が加わる。

「……んっ。締まった……。もしかして褒められるの、好き?」
「す、すき」
「じゃあうまくできたらいっぱい褒めてやろうな――」

動くよ、とその耳元で断って、僕は少しずつ動き始めた。
なまえは一瞬だけ息を止め、反射的に顔を背けてしまったので、丁寧にその顎を掬ってこちらを向かせる。

「こっち、向いてろ。誰に何されてるのか、誰がお前を抱いてるのか、ちゃんとお前が確かめて……」
「んっ、あっ……ふ、れいくんっ! 零君に……されてる……っ!」
「そう……、っ、なまえを抱いてるのは僕だ。そうやって僕だけ見ててくれ」

自身に纏わりつく肉を振りほどくようにして腰を引き、手繰るように空けた隙間を埋める。互いにきつく抱き締めあって、愛おしさが増すほどに腕の力を強め、そして何度もキスをした。
どうしたって蕩けそうな下半身に意識を奪われてしまうから、僕もなまえも平素よりもキスが幾らも下手糞になっていた。笑えるほど歯がぶつかるのに、それでもやめられない。その間も彼女の中に入ったままの自身が壁と擦れ合って、そこからじわじわとした快感が生まれてくる。キスをしながら身体を重ねていくうちに、次第に彼女から漏れる声に甘やかな色が付き始める。

「れ、くん……っ、ん、あぁ……」
「は、ん……すきだ、なまえ……」

本当は振り落とさんとする速度で激しく欲を打ち付けて、彼女にひしとしがみつかせたいけれど、やさしく、やさしく。己で慰める折よりも、ずっと緩やかに。徐々に速まりそうなピストンをその都度理性で抑制して、いつも指でしてやっていることを繰り返すように、芯を軸に腰を廻した。

「ぁ、あ……あ! どう、しよ……っ、れいくんっ」
「っ、なに、どうした?」
「きもちい、きもちいのっ……! こわっ、い……、きもちくて……っ、ぇ、あっ、こわ……怖いよぉ……」
「は……ははっ、そっか。きもちいかぁ」

僕の躰を支配していた緊張の強張りが、先を引かれた蝶々結びのようにあっけなくほどけていくのを感じていた。安堵に綻んだ僕の口元を汗が伝う。
ようやく毎夜の営みが実を結んだ実感を得られた。彼女はこの手に握った欲の彫刻刀で、快楽の感じ方をひとつひとつ掘って刻んだ、僕だけの作品だ。

「零君――、ねぇ、セックスってこんなっ……こんなだったんだね……。こんな、よかったんだ……」

僕に抱かれるこの子が、はらはらと流すこの熱い涙が、嬉し涙で本当によかった。
彼女の中のずっと崩せなかった性への怯えという柵を、やっと絶てたのだ。

「んっ……嗚呼、僕も知らなかった……」

これほど幸せなことを僕は知らない。火花が散るような鮮烈な性感を求めるだけなら己で芯を握った方が早い事は確かだが、そんな間に合せの処理ではなくて、使い古された陳腐な言葉だが本当に身も心も一つに合わさるようなひととき。
セックスは、深いキスを砂糖で煮詰めて濃縮したみたいだと思ったが、近からず遠からずだ。ぴとりと身を寄せ合っている僕らは総身でキスに耽っているといっても過言ではない。

「零君は……、っ、痛くない……?」

わざわざそんなことを聞いてくる辺り、彼女にとってのセックスとは痛みと密接に結びついたものなのだ。僕は事実を伝えるためにも彼女の不安を晴らすためにも首を振らなければならない。

「痛くないよ。なまえの中、きつくて気持ちいい」
「そっか、よかった」

むしろもっと大仰に腰を揺さぶりたいくらいだったのだが。しかしなまえのぽうっと夢を見ているような顔をくしゃくしゃに歪めてしまうのは忍びなかったので、焦れったいほどゆっくりと、繋がりを味わうように中をかき回す。
波のない気持ちよさが、ずっと穏やかに続いている。いかんせん彼女の中が狭いので時折くらりと持っていかれそうにはなるのだが、がむしゃらに擦り上げてスパートをかけられないとなれば、射精そのものは難しいかも知れない、などと考えた。とはいえ高められてはいるので、彼女を至らせたあとにでも引き抜いて2、3度扱けばすぐだろう。

――パンツ、脱げてるのに引っかかってる。えろいな……。

両脇の紐が摩擦と律動でほどけたそれは、クロッチの穴を僕のペニスで串刺しにされているせいで脱げ切っていない。
はらり、と彼女の肢体の上に零れてゆく自分の数滴の汗を眼で追った先。再び目尻に汗ではない雫を溜めたなまえが、眉を寄せて震えていることに気づく。

「……? なまえ? 痛いか?」

力加減は変えていないはずだが……。ともかく律動を止めて、様子を見る。目尻から米神へと筋を引いていく雫を親指で払ってやれば、ひぐひぐとしゃくりあげる彼女が口火を切った。

「――っめんね……!」
「なまえ……?」
「ごめんねっ、初めてあげられなくてごめんね……っ! わたしだってれいくんがよかったよぉ……っ! うぇっ、ひう……っ」

泣きじゃくるなまえが余りにも愛おしくて力一杯抱き締めた。そう思ってくれるだけで僕が泣きそうなくらい嬉しいことを、なまえは分っているのかな。
君は時折自分を汚れていると言うけれど、君を汚した人間とは誰なのかということを失念している。それは君の落ち度ではないし、あの男をどれだけ憎めどこの子自身を汚いと思ったことは一度もない。
責任の所在を内向きに求め、疑ってしまうことは、それによって以降同じ轍を踏まないように対策を講じるための人間の本能だ。効率化された思考が引き起こす自責。だからその都度言って聞かせ、ぬくもりで氷をちいさく削ってくのだ。

「謝るな。今こうやってなまえを抱けていることが、僕はたまらなく嬉しい。なまえは? 嬉しくない? 昔のことが気になる?」
「嬉しい……っ」
「じゃあそれでいいじゃないか。ね、泣くなよ、もう」

心と涙腺の機能がはぐれてしまったのか、彼女の涙は止まらなかったが、ゆるりとキスをするとその表情は晴れやかになる。
そしてまた、僕らは夢の中に帰るように混じり合った。「続けて良いか?」と問いかけると彼女は小さくこくりと首肯したので、再び腰を動かす。

「れいくっ、きもちい……きもちいよ、すきっ」

湯気でも上げそうなくらいに火照ったその顔は蕩けていて、でも寄せられた眉は切なそうで、なまえが感じ入ってくれていることが伝わってきた。
呼吸と甘い喘ぎを漏らす隙間にたどたどしく紡がれる、僕の名前と、好きや気持ちがいいという前向きな語句は僕を安心させるためのもの。それを口ずさむことももう彼女の癖になっているのではなかろうか。

「いい子だな……ちゃんと、僕ので、んっ……気持ち良くなれて偉いな。心配したけど、よかった。はぁっ……ん、そろそろ、じゃないか? いけそう?」
「んっ……あ! い、ちゃう……っ! も、だめ――」

そしてついにその時が来た。絶頂を迎えた彼女はかわいらしくもなめかましく声を上げながら腰をしならせる。僕の腰を挟み込んでいる彼女の脹脛がぴんと引きつった後、つま先諸共腑抜けたようにシーツに落ちた。
絶頂に伴う中のうねりに、背中や首筋の汗腺がぶわりと開く心地がした。一度目は射精感を飲み下して耐え抜いてしまい、登り詰めることができなかったものの、二度、三度とうねうねと締め付けられて僕も果ててしまう。
負担を考えて絶頂を促す刺激を得られる動きをするつもりはなかったので、今日自分が気持ちよくなることは半ば諦めていたため、それは不意打ちだった。なにひとつ覚悟のできていなかった脳裏が雷のような快楽に焼き切られ、明滅と目眩に襲われる。

「はっ、はぁ……ん、は……」
「零君……」

腹上死――というろくでもない単語が乱舞する脳を沈めてくれたのは、そっと僕の頬を撫でる彼女の指だった。
僕は息を整えながら、彼女を抱きしめた。重いよ、と笑ったなまえだったが、すぐに抱き返してくれる。汗だくのままくっついて、昂ぶった体温を互いの神経に見せつけ合う。このままずっとこうしていられたらとさえ思える幸福に、酔いしれる。

「零君、泣かないでっ。泣かないで……」

なまえに慰められて初めて、自分の頬を伝うものが汗ではないと知った。

「ごめんね、私なにかしちゃった? 痛い?」
「違うよ……痛くない。ただ、嬉しいんだ……君が僕のものになったんだと思うと、嬉しくて。はは、柄にもないな」
「私は零君のものだよ」

優しく諭すような言葉は僕を安心させ、余計に涙を誘った。情けなさを自覚しつつもなまえの腕の中で鼻を啜る。
すると徐ろに彼女は僕をあやしながら言った。

「零君も……」
「うん? 僕?」
「零君も、私のだよね……? 思い出なんかやだよ。ずっといて。ちゃんと、帰ってきて……それでずっと――一生私にキスして。これで最後なんて嫌だからね」

“君との思い出が欲しい”――思えば僕のそんな言葉が引き金となったのだった。

「それは……またしてくれるってことか?」
「したいよ……。して?」

空きっ腹に蹴りかかる砂糖菓子の甘い香りのような言葉に、欲が首をもたげた。吐いたばかりの精の溜まる膜の中でまた硬度を取り戻してしまったそれが、出したての精液と絡んで居心地が悪い。
わ、と眼を丸めた彼女も多分それに気づいている。何しろそれはまだ彼女の中に埋まっているのだから。

「おっきくなっちゃった……?」
「言わないでくれ……」

恥ずかしさの余り俯きながら、僕は自身を引き抜いた。僕という栓が消え失せたことで、どろ、と溢れ出した愛液がベッドを濡らす。

「ね、もっかいしてもいいよ」
「それは駄目だ。これ以上は君の負担になる」
「零君ずっと私のために我慢してくれてたんだよね。ありがとう。私にも何かさせてほしいな。駄目?」
「僕が体力ある方なのはわかるだろ?」
「うん。むきむきでかっこいいよね」
「あと1回で終われる気がしないんだ」
「……頑張るね」
「頑張らなくていい。ほら、いい子は寝る時間だ」

心から愛し合った後の心地よい疲労感の中で迎える眠りというのは、どんな快楽よりも勝るものだ。
僕の片腕を枕にまどろみはじめる彼女を、もう片方の腕で抱き込んでしまう。頬に触れれば柔らかく温かく、そのまま唇へと触れていけば、彼女はうっすら目を開けて微笑んだ。嗚呼、なんて可愛いのだろうか。手放したくない。離れ難い。
こんな時間がずっと続けばいいと思う反面、すぐそこまで迫っている潜入捜査の話が思い起こされ、いつまでもこうしているわけにはいかないという焦燥も同時に煙を上げる。
しかし逡巡は、明日の朝まで待って欲しい。
今夜は、この幸福をドライフラワーのように永遠に変えてしまえたら、なんて非現実的な夢想をいだいて、この温度に溺れていたい――。


chapter.01
fin.

2023/07/29
- ナノ -