比翼のアルビノ

01.ふつつかな黎明のとなり

野生界も人間の文明社会と相違ない。排他も蹴落としもありふれた日常だ。
――アルビノ。遺伝子情報の欠損による先天的なメラニン欠乏の個体は、純白の毛並みや皮膚を持ち、動物によっては毛細血管が透過することから虹彩や瞳孔が赤く見える場合もある。
日本では古くから白蛇が神の使いとして神聖視されてきたが、文化や文明を持つ人間ゆえの特異な例だ。
動物たちは異分子を恐れて排他する。色彩の違いから白化したアルビノの個体を仲間と認識することができず、迫害する。しかしアルビノの個体は群れの仲間たちに絆を求めて寄っていく。どんなに異様な様相を呈していたとしても本質は自分たちと変わらない同胞だとは知る由もない群れは、構わず追い返し、やがては殺してしまうことさえある。
更には生まれつきのからだの色が同じであったとしても、塗料を塗りたくられて色を変えられてしまった動物は、あとだしの異彩によって仲間に仲間と気付いて貰えなくなることもあるのだそうだ。


周囲の児童よりもませていたボクは、その頃にはすでに子供は純粋な天使だという大人の思い込みが嘘であることに気づいていた。
所詮子供は大人の蛹で、人間という生き物の幼体でしかない。子供は無条件に清らかであるという裏付けはない。大人の世界に悪意が満ちているというのなら、それが子どもの世界にはないなんていう道理もない。

小学校高学年の頃の出来事だ。
読んで字の如く異彩を放つ髪色を、ことあるごとに外人と揶揄され、誂われて黙り込むほどおとなしくもなかったボクは幼い拳を振り上げて、言葉のナイフに殴り合いを仕掛けることで採算をとろうとしていた。
或る女医との出会い、そして彼女にかけられた言葉をきっかけに、対話での解決という道に舵を切ったことで、この頃から同級生との喧嘩での負傷は目に見えて減っていく。――最も、その女医さんの顔満たさにわざと転んで膝を擦り剥いたり、といったことも同じ頃から増え始めていたのだけれど。

春になると進級とクラス替えを契機に、教室という狭い箱の中の力関係は揺れ動いていた。
その日は掃除当番で、ボクの班は遅くまで教室に残っていた。
――取るに足らないことだったと思う。同級生のちょっとした無礼を指摘したら、急に相手が不機嫌になって、不貞腐れて。「降谷ってそういうとこあるよな」「ルールに細かい」そいつの負け惜しみめいた言葉に誰かが共鳴して、別の誰かも同じようにさえずり出す。
咄嗟に口をついて出たボクの反論が、これまた子供に似つかわしくない妙に的を得た正論だったから、ぐうの音も出なくなった彼らは必死に論点をずらして抵抗する。そのあとは売り言葉に買い言葉。
カン、と音を立てて仕舞い忘れていたモップの柄が床に倒れ、同時にある男子児童がボクの肩を強く押す。よろめいたボクは列を整えたばかりの勉強机のうちのひとつを押し退けながら、床に尻餅をついた。
何をするんだよと睨んだ矢先、別なやつに髪を引っ張られる。

「へんないろ!」

無邪気な嘲りが頭の上から降ってきて、かっと頭が煮え立つほどの怒りが湧くけれど、あの女医さんがくれた言葉がボクの拳の矛を収めたままにさせた。
でもそれは、そいつらの理不尽な暴力を甘んじて受け入れる姿勢を示すにも等しくて。
散々ボクの容貌について悪意を持って言及してきたやつらとも、あの人の出会いを機に友だちになれた。けれど新学期に同級生の顔は半数近くが入れ替わり、この班に至ってはほとんどが面識のない児童で構成されている。急激に変動した環境が、全部を無に返した。またしてもボクは、排他と、それに抗おうと懸命に己を尖らせる日々に押し戻されていく。

「ちょっとやめなよお」

なんて、止める気もないくせにけらけらと笑って紅一点の女子が遠巻きに眺めている。
ボクの髪を掴み上げている奴の顔を睨みつけると、なんだよ、と舌打ちをされた。振りかぶられた拳の影が目元に落ちる……。痛みを覚悟して歯を食いしばり、目を瞑ったとき。

「――先生! こっちだよ! 殴られてる子がいるの!」

茜色の光が幼い悪意をくっきりと浮かび上がらせる教室にメスを入れたのは、廊下から響いてきたひとつの声だった。
「うわ」とか「やべえ」とか、そんなことを言いながら、班の奴らは蜘蛛の巣のように散っていく。それが腹を抱えて笑い出したくなるほど無様で、でも少しも笑うことができなかったのは、その救世主のような声が割って入ってきてくれたことに心底安堵していたからだった。

立ち上がることも忘れ、しばらくは曲がった机と転がったモップのすぐ横で冷たい床に尻を乗せていた。
眼球に突き刺さる夕陽が嫌に痛かったのを覚えている。
ばたばたと忙しない足音が遠ざかり、奴らの影がすっかり消えた頃。がらり、と控えめに教室の扉が開けられた。
足音は一つ。彼らが戻ってきたというわけではない。なら先程の声の主なんだろう。机と机の間の狭い通路を縫い、足音が肉薄してくる。そいつは座り込んだままのボクの存在に気づくと、少しだけ足を早めた。

「大丈夫?」

顔を上げると視線が交わる。眉を下げて心配そうにこちらを見ている女子がいた。
――確か、今年から同じクラスになったみょうじなまえ。
ボクが彼女の名前を思い出していると、彼女は「立てる?」と続け様に問いかけてくる。

「……先生は?」

差し伸べられた手は情けなくて取れなかった。ひとりですくりと立ち上がって、短く問う。だって先程の言葉だと彼女は先生を連れて助けに入ってくれたということだったが、教室には彼女一人だ。

「あれね、嘘なんだ」
「嘘?」
「職員室、下の階だし。呼んでる場合じゃないと思って」
「へえ」

短い返事の裏で、やるじゃん、とボクは少し感心していた。
そのあと、ボクの体についた擦り傷を見つけてしまった彼女の提案で、保健室に寄ってから帰ろうということになったのだが、肝心の保健室の扉には『不在』のプレートがぶら下がっている。救急箱だけでも借りようと言って彼女が扉を開けようとするが、鍵がかけられていてそれも敵わない。

「先生、帰っちゃったのかな」
「職員会議かもな。これくらい舐めておけば治るからいいよ」
「じゃあ私の絆創膏、あげるね」

何が「じゃあ」なんだよ。いいって言っているのに。でも笑顔で渡されてしまうと断ろうにも忍びない。
かがんで、膝の血の乾いた切り傷にもらった絆創膏を貼る。すると、彼女の手が伸びてきて、勝手に頬の方にも貼り付けていった。お節介な。

「……絆創膏足りないね。もうちょっと持ってくればよかった」
「いいよ、手当してくれる当てなら……」
「あるの? よかった」
「……喧嘩の傷は手当しないって言われてるんだった……。でも今日はやり返さなかったし……でも……うーん……」

ボクの頭に浮かんでいるのは無論、宮野医院という看板を掲げる町の病院で、そこで医師をしているあの女性だった。
会いに行く口実のために拵えた傷を転んで怪我したと日頃から偽っているけれど、一方的に痛めつけられていたとはいえ喧嘩をしたというのが事実な以上、嘘を吐くにも罪悪感が募る。
喧嘩の手当はお断り、と医師直々に言い付けられているのだ。仲直りのための名誉の負傷なら構わないとも付け足されているが、今回はなまえが割りこんできたおかげで中断されたというだけで、ごめんなさいの言葉はお互いに紡いでいない。

「私がついっていってあげる」

なまえが名案のようにそう言った。

「い、いらない! 先帰れよ! 別にボク一人で行けるし」
「私が零君が怒られちゃわないように、零君は殴ってないって言ってあげるよ。こういうのなんていうんだっけ?」
「……証人?」
「それ! 私が証人になるから大丈夫だよ。零君頭いいね」

いやでも先生が好きってこいつにばれたくないし……。渋るボクだが頭がいいだなんて真正面から賛美の言葉を贈られては悪い気はしない。

「好きにしろよ」

でもついておいでよだなんて自分から誘うようなことは照れが勝って口にすることができず、とぶっきらぼうに彼女に判断を委ねるかたちとなった。

「うん、好きにする」

なまえはランドセルの肩当てのところに両腕を添えたまま、ことんと首を傾けて笑う。鴨の雛の行列のようにボクのあとを追いかけてくる彼女を連れて、宮野医院への慣れた道を行く。

「零君が変な道通るから足痒くなった……」
「変じゃない、探検だ!」
「普通家の裏とか通らないよ。あんな草ぼーぼーなとこ」
「お前が勝手に着いてきたんだろ」

膝を曲げ、赤くなった脹脛を掻きながらなまえが不貞腐れて言う。
ボクは病院のドアを開けると待合室に入った。待ってよ、と駆け寄ってくるなまえのためにドアを開けて待っていてやると、彼女は無垢に礼を言うものだから調子が狂う。
宮野エレーナ先生は診察室まで付き添うなまえの姿を目に入れても、「あら、今日はお友達と一緒なの」といつもの落ち着きのある綺麗な声でひとこと紡ぐだけだった。

「別に友達なんかじゃないし……」
「あらそう? とっても仲良しに見えたけれど。その子、随分零君を心配しているみたいだったから」
「見間違いだろ」

治療中は唯一の先生と二人きりで話ができる特別な時間だったのに、先生はなまえの存在ばかり取り上げるのでそれがどうにもつまらない。――寂しかった、と今なら表すだろうか。

「ねえ、それよりせんせ――」話題の転向を測って顔を上げた次の瞬間、不幸にも先生がボクと全く同じタイミングで「はい、終わり」と無情にも幕引きを告げるのだから、うまくいかない。

「零君はよく転ぶから心配だわ。ちゃんと気をつけるのよ。それに今日は転んで怪我したわけでもないみたいだし……」
「えっ、わかるのか?」

ボクは驚く。医者の目ってすごい。

「わかるわよ……痣が多いから……。まさかまた喧嘩したんじゃないでしょうね」
「違います! 喧嘩じゃないです。零君やり返さなかったもの」

それまで診察室の隅っこのほうでおとなしくにこにこ待っているだけだったなまえが、突然声を荒らげ、割って入ってきた。
なまえと同級に割り当てられたのは今年が初めてで、今までもクラスを飛び越えて彼女の話題がなされることもあまりなかったから、平々凡々なやつ、という印象だったが……先生を呼んできたと偽って単身でボクを暴力から遠ざけてくれたり、初対面の大人を相手にはっきりとものを述べたり、存外度胸がある。正直感心したくらいだ。

「そう……先生との約束、守ってくれたのね、零君。偉いわ」

眼鏡の透明なレンズの奥で、先生がふっと淡く笑む。その微笑みがあんまりきれいだから、おさなげな恋心がまた加速した。


2023/06/04
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