比翼のアルビノ

10.蝶結びのコンプレックスハーモニー

大学生になった。
なまえは僕や景光と同じ大学を受験し、合格こそしたものの、結局滑り止めで受けていた女子大への進学を決めた。
もしも同じ大学に進めることになったら、なるべく彼女と同じ授業を選んで、彼女が女友達の輪に馴染むまでは周囲を固めなければと意気込んでいたが……幼馴染3人揃ってのキャンパスライフは泡沫の夢と消える。残念がるのは期待の裏返しであろう。
彼女に女子大を選んだと聞かされた時は僕と景光は二人して肩を落とした。同時に、彼女が危険を感じなくて済む場所で勉学に励めることに安堵もしていた。僕らが傍らにいてやれないことは遺憾ではあったが。
彼女にとって“あの日”が昨日に替わる気配がないことも窺い知れ、尚のこと時間の許す限りそばにいようと決意を新たにする。

彼女にインターカレッジ・サークルを勧めたのも主にそれが理由だった。これは異なる大学の学生達が所属するサークルのことで、特定の大学内のサークルであっても外部生の加入を歓迎しているところなどもそれにあたる。
僕らの大学にも外部生を受け入れているサークルは複数存在し、テニス、音楽、ボクシング、天体観測、映画、美術……など様々だ。
ノートPCでサークル募集ウェブサイト、テーブルの上には片っ端から貰ってきた僕らの大学内のインカレサークルのパンフレットを並べ、三人でああでもないこうでもないと言い合う。

「思ったんだけど、なまえちゃんの大学のインカレサークルにオレたちが入った方がいいんじゃないか? 女子大なんだからその方がなまえちゃんも安心だろ」

そう提案したのはヒロだ。しかし当のなまえが首を振る。

「あ、それ、先輩にやめろって言われちゃった。女狙いの他大生がうじゃうじゃ沸く魔窟だからなまえちゃん来ちゃだめだよって。他の大学のサークル入るならなるべく難しめの大学のところにしておくと育ちのいい社会の上澄みしかいないからリスクヘッジになるって」
「女の子って大変なんだな……」

ヒロが苦笑いをする。
大学での交友関係の垣間見える会話の内容から、彼女が先輩に可愛がられているらしいことがわかり、少し安心した。

「……結局うちの大学か」と僕が呟くと、
「いいなぁ、高学歴」なまえが羨むような声を出す。
「なまえも受かりはしただろ」
「進級はできなかったかもよ。受かったのだって二人が勉強見てくれたからだし」

元々成績も悪くなかったのだからそこまで卑下する必要はないだろうに。確かに高校時代にいっときがっくりと成績を落としたこともあったが、理由は男性教師の授業中に体調不良やフラッシュバックを頻発したためだった。僕と景光が教えてやればすぐに持ち直したし、それなりに水準の高いうちの大学にも合格自体はしている。
ヒロは「外部生歓迎!」の文字が踊る女子大のサークルのウェブサイトを閉じ、僕がかき集めてきたパンフレットのうち一枚を手に取ると、口を開く。

「インカレならうちか他校から選ぶのが丸いだろうけど……そっちで外部生なしのところに入るのは有りだと思うよ。そっちの方がやりやすいんじゃないか?」
「……ずっと男の子を避けてたら就職もできないよ」

萎んだ声で答えたなまえに、「ごめん、それもそうだな」とヒロもまた悲しそうな顔をした。

「僕らと一緒に男女混合の環境に身を置いて徐々に慣れてくって言うのが多分一番いいだろうな。それなら助けてやれるし、慣れた僕たちがいたほうが安心だろ」
「ごめんね、二人には迷惑かけるよね」
「気にするなよ。こうやって声かけたのだって、家まで送れるからっていうのも勿論あるけど、そもそもはオレもゼロも入りたかったからなんだし」

ヒロが長い睫毛に縁取られた猫目を柔らかく細めてそう言えば、なまえはありがとうと控えめに笑う。僕らが幼馴染として半ば当然と捉えている献身を、いつもどこか遠慮がちに受け取る彼女はいとおしい。
鳥籠の外に羽ばたいていくことを躊躇うその子のために、籠の錠を外し、蒼穹の風をその翼でいだくことを助けたい。反面、彼女が空の青さや広さを身を以て知り、籠を帰るべき家と思わなくなり、外に新たな巣を持つようなことになれば、耐え難く思うだろう。
彼女の中の傷と恐怖が癒えることを祈りながら、自分の手元から羽ばたいていく可能性に今から恐れている。相反する2つの感情を胸中で幾度も衝突させた。決して彼女にそのくだらない葛藤を悟られないように。



それから1週間ほど経過した頃――僕と景光の大学のインカレサークルに、なまえ共々加入した。制服を脱ぎたての初々しい顔ぶれは僕ら以外にも複数おり、そんな新人達がおいてけぼりとならない程度の活動を連日積み重ね、お互いの中で顔と名前の認識が共有された頃、新人歓迎会の誘いが来た。
男子学生もそれなりの数が集う騒がしい場だ、てっきり彼女は参加を見送るものだと思っていたのだが。

「新歓、どうする?」
「行ってみたい。いいかな?」

以外にも彼女は乗り気のようだ。……前向きな気持ちで臨むというより、精神的なリハビリという側面が強いのだろうが。
それなら当然僕とヒロも参加一択である。グループメッセージ内で三人一緒に参加の意を表明する。
そして当日。集まりの場として用意されたのは以外にも雰囲気のいいイタリアン料理店だった。大学の集まりといえば居酒屋というイメージがあったので驚くと同時に安堵していたが、大半が未成年であろう新入生が主役となる新人歓迎会なら、酒の席を避けるのも妥当といえる。
あたたかみのある木のテーブルに大皿のサラダやマッシュルームのアヒージョ、モッツァレラチーズや生ハムの盛り合わせなどが並べられた。それぞれで取り分けるビュッフェ形式らしい。

「ほら、なまえちゃんが食べれるやつ、取っといたよ」
「こっちもうまいぞ。好きだろ」
「あ、ありがとう、ヒロ君、零君」

メニューの豊かさに圧倒されている彼女に先んじて、僕とヒロで彼女の分を皿に取り分けた。
ビュッフェではなくめいめいに一皿ずつ振る舞われるカルボナーラのパスタには、黒トリュフと、彩りのためのミントの葉が添えられていおり、あまり拝む機会のないおしゃれな品に柄にもなく舞い上がってしまう。

「すげーうまいな、このパスタ」
「お、ゼロも気に入った? 具を炒めるのにオリーブオイルを使ってるのかな……あとは香りづけにワインが入ってるっぽい。トリュフはさすがに難しいけど、今度家で挑戦してみようかな」
「へえ、それは楽しみだ」

ヒロによるレシピの憶測に耳を傾ける。料理上手なこいつなら明日には再現できていそうだ、などと思いながらカルボナーラに舌鼓を打っていると、僕らと同じ新入生らしい女子学生が迎えの席から声をかけてきた。

「モロボシミツヒロ君、だったよね?」
「ごめん、オレ諸伏景光」
「え、ご、ごめん、諸伏君……。それにしてもちょっと食べただけでそこまでわかっちゃうなんてすごいね! 料理好きなんだ?」
「って言っても普段は簡単に済ませちゃうし、そこまで凝ったものは作れないけど。慣れ、かな。子供の時からやってるから」
「かっこいいー! 降谷君も諸伏君の料理、食べたことあるの?」
「え? あぁ……休みの日に家に行くと色々作ってくれるよ。高校のときはヒ……諸伏が家の食事当番の日に僕とこいつもついでにご馳走になるってことが多かったかな」

こいつ、と言うと同時に、僕とヒロに両脇を挟まれてちびちびと生ハムをつついていたなまえを横目に見やる。突然話題のスポットライトを当てられた彼女は、慌てて咀嚼していたものを喉の奥に流し、向かい席の女子に愛想笑いをした。

「へえー、じゃあ三人は高校の時から友達なの?」
「小学校からの幼馴染だよ。この子だけ高校と大学は違うところに行ったけど、諸伏と僕はずっと同じだ。でも大体三人一緒にいたかな」

そうなんだ、と相槌を打ち、その女子は喧騒の熱に乾いた喉を潤すように手元のオレンジジュースのストローに口をつける。こくり、と喉を鳴らしたあと、彼女は僕とヒロの間の席のなまえに話題を振った。

「みょうじさん……だったよね?」
「あ、はい」
「どっちがみょうじさんの彼氏?」
「え?」
「諸伏君と降谷君、どっちと付き合ってるの?」
「えっ……いや……」
「――どっちだと思う?」

綺麗に目を細めて恙無い笑顔をなしたヒロの一言によって、フリーの方狙っちゃおうかなー、なんてのたまっていた女子学生の顔が凍りつく。
僕らはそういう関係ではない、と事実を告げれば、それを聞き及んだ野獣共が彼女に目をつけないとも限らないし、僕としても恋人がいると思ってもらえるのは面倒事の予防となるから大いに助かるところだ。

――ヒロ、ファインプレーだな。

幼馴染の聡明な立ち回りに感心しつつ、くるくるとパスタをフォークに巻き付ける。ヒロの即興劇に目を白黒させている彼女にそっと耳打ちした。

「次からこれで誤魔化せよ」
「誤魔化せてはないんじゃないかな……」

なまえはモッツァレラチーズを箸で摘みながら苦笑いする。
その後……何度か交流のための席替えも挟まれたが、なまえの隣席や向かい席は僕とヒロがなるべく抑えるようにしていた。
彼女が女性の新入生や先輩と談笑している間は割って入らずに、こちらも料理を楽しんだり他の学生との話に花を咲かせたり……。先輩らしき男が明らかに獲物を狙う眼で彼女の隣席を確保したときは、いつでも話に割って入れるように密やかにその会話に耳を澄ませる。
僕の気持ちだけを優先するのであれば、すぐにでも引き剥がしたいところだが、異性への恐怖心を克服したいという彼女の意志を尊重するとなると、影から目を光らせるのが精一杯だった。

誰かが終電の心配を口にしたあたりでお開きとなり、新人歓迎会は終幕へと向かう。
店を出て、同じ駅を使う学生たち数名で固まって、飲食店が軒を連ねる夜道を行く。楽しげな賑やかさに当てられ、注意力が空中で散り散りとなっていたのもあり――媚びるような面持ちで僕ら二人に群がってくる女子が眼界の壁として妨げとなっていたのもあり――数分目を話している間に、帰路を共にする参加者の集団の中で僕らはなまえと引き剥がされてしまっていた。

視線を彷徨わせ、彼女の姿を探せば、いつの間にやら随分と後ろを歩いているではないか。若者たちの肩の隙間に視線を通して背後を伺うと、ひとりの陽気な男子学生が携帯端末を片手に彼女と距離を詰めていた。
連絡先の交換を求められているだけとも取れたが、背を屈めた男が彼女と顔を寄せ合って何事か言葉を交わしている様を見せられるのはいい気がしない。彼女も特別嫌悪感を滲ませているようにも見えないので、割って入るにしても助け舟という大義名分がないがためにどうにも憚られた。
ヒロも彼女が男に距離を詰められていることには気づいたらしい。僕同様に歩きながら時折背後を伺い、彼女の表情に変化が現れないか慎重に見守る。
と、そのとき、学生の列から、なまえとその男が外れた。

「ちょっとごめん!」

え〜、と残念そうな声を上げる女子たちを掻き分け、僕とヒロも駅へ向かう集団から外れ、駆け出す。

「あっちって……」

ヒロが顔を引き攣らせるのも当然だろう……何しろ男がなまえを連れて行こうとしているのはホテル街である。

「ったく、あの子はなんでこうひょいひょいへんなのを引っ掛けてくるんだ……!」
「見るからに人が良さそうだからね。付け込まれるんじゃないのかな」

ヒロの発言はご尤も。……最も、優しく育ちのいいこいつは敢えて柔らかく耳朶に触れる言い回しを選んだわけだが――言ってしまうと舐められやすいのだ。
なまえを男から引き剥がし、飲食街の道に連れ戻すと、彼女は「飲み直そうって言われただけだよ」と首を傾げた。いや、口実。それが罠なんだよ。


2023/06/20
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