比翼のアルビノ

09.夜のすべてを見たこともないくせに

■R18



今日も僕はなまえの学校まで自転車を転がす。
何の変哲もない、強いて言うなら夕立が肩を濡らす平日。折り畳み傘は持ってきていたが、漕ぎながらでは指すことはできないので、これから後ろに乗せることになる彼女に差して貰おうと、僕は雨晒しのままペダルを漕いでいた。
女子校前に着き、いつものようにメッセージを送ろうとして、濡れたアスファルトに転がる2つの雨傘を見つけた。ひとつはシンプルな男物だったが、もうひとつは見覚えのある……確か、そう、あの子が使っていたものだ。
ぴちゃん、と音を立てて誰かの靴が雫を蹴り飛ばす。音の発生源を確かめるように2つの傘から視線を持ち上げた先――黄昏の校門前で、男女が影を重ねているではないか。

――う、わ……。きまず……。

嫌なものを見てしまったと、気まずい視線をその逢瀬から外そうとした刹那。学校の目と鼻の先で堂々とキスを交わしている二人の生徒の顔貌に既視感を抉られた。b田と――奴に唇を奪われている女子生徒は、なまえだ。
教室で待っていろと再三注意したにも関わらず、またあいつはのこのこと他校の男子生徒の誘いに乗ったのか。
まだ男が怖いと言った彼女の言葉を疑わないのなら、あいつと彼女は交際しているわけではない。一方的に口説かれているだけか、進展があったとしても思いを告げられたくらいのはず。あの彼女が、顔見知りに過ぎない他人と喜んでキスなんかするだろうか。
頭が熱を帯びたのは、雲間から差す夕陽に穿たれたせいではない。

「な……に、やってんだ、お前ッ!!」

ハンドルを捨てて駆け出すと、ガシャンッ、と音を立てて背後で自転車が倒れた。その物音と自分の口から溢れた咆哮が重なって、圧のある音が鼓膜をがつんと叩く。
水溜りを靴底で踏み砕いて、道路の砂利を跳ねさせながら、大股で二人に肉薄すると、b田の学ランの胸ぐらを力いっぱい掴み上げた。泥のついた踵が浮きかけ、鯉さながらに口をはくはくとさせているb田に拳を振り上げる――が、しかし。

「やめてっ! 零君、お願い、やめて……! 私っ、わた、し、平気だから……っ!」

僕の腰にしがみついて懇願するなまえが僕に拳を止めさせた。腰を抱き竦めたまま「なぐらないで」と乞う声はすでに濡れており、横目で見遣ればまた彼女は泣いていた。
天高く振り上げられたままぴたりと止められている僕の腕を仰ぎ、b田は目を白黒させている。怒りのままに怒鳴りつけたいのを堪え、僕はそいつの襟を離す。すると腰が抜けたらしいb田は雨の降りしきる道路に臀部を打ち付けた。

「チッ……」

去り際にそいつを睨み、舌を打ち鳴らした。
半分ほど僕にもたれているなまえを抱き起こし、手を引いて歩かせる。
道端に倒れた自転車を抱え起こす自分は、不格好だ。
お互い、頭上で水桶をひっくり返されたように肩が濡れそぼっていた。
酷い言葉を述べて彼女を泣かせたあの日をなぞるように、僕は慈しみたいはずのその子の手を強く掴んで、無理に引いて、帰路に就いている。

「……大丈夫か。他になにかされた?」

僕の問いに、隣を歩く彼女は首を振った。涙は止まっているようだが、ひくつく喉には嗚咽が残っている。

「され、てない……キスされただけ……」
「警察、行くか? それか、あいつの学校に報告すれば対応くらいは、」
「やだ、誰にも言わないで。お願い、零君」

彼女はそう言うが、俺は嫌だった。警察に突き出すか、例えわいせつ行為を立証できなくても、生徒の迷惑行為として学校側になんらかの処罰でも求めなければ、腹の虫がとても治まりそうにない。

――なんであいつなんだ。あんなぽっと出。

ずっと彼女と生涯を共にできるのは僕と景光以外にはいないと思っていた。彼女の傷の在り処を知り尽くし、彼女が屈託なく笑いかけてくれる絆が間にある僕らでなければ、彼女の人生は預かれない、と。その僕らですら、彼女の傷を刺激しないように努めて接していたのに。
あいつは僕らの努力も踏み躙って、横から奪った。

「何回も聞かれるの嫌なの……もう思い出したくない……。だから、黙ってて。私は平気だから」
「平気じゃないだろ」
「平気だよ」

こんなに泣いているのに平気な訳がない。こんなに、雨粒と涙の区別がつかないくらい頬を濡らしている癖に、そんなはずはない。
もしフラッシュバックを起こしているのなら尚更平気という語句とは対極の状態だ。
しかし、平気、平気、とこうも復唱されるとまるであいつにキスされたことすら些事だと言っているようじゃないか。

「じゃあ俺ともキスしてくれよ」

口をついて出た言葉になまえが瞠目する。
足を止めたなまえに次いで僕も立ち止まると、静かな道路に二人の足音さえ響かなくなり、あたりはいよいよ雨のノイズに包まれた。

「平気なんだろ?」

だってなまえが言ったことだ。
俺はずっと我慢していたのに、あいつに簡単に触れられて、奪われて。頭が煮え立っていた。あの男に突きつけたかった怒りを持て余して……。
なまえは濡れた瞳の縁に溜まった涙の粒を拭うと、一歩僕に歩み寄る。僕が掴んでいるのとは反対の手がこちらに伸ばされ、触れるか触れないかの加減で頬を包んだ。今から重なるのかと思うと自然と彼女の桜色の唇に視線が向いてしまう。
それまではいかにも戦々恐々とした所作であったなまえだが、背伸びをした次の瞬間にはひとおもいに僕の唇に自身の其れを重ねている。ふにゅ、と柔らかいものが自分の唇を押し、目と鼻の先に彼女の顔があった。キスは一瞬で、味を知る間もなく終わった。
踵を地面につけ、上目遣いに僕を見つめる彼女を見つめたその瞬間、勢い任せに自分が重ねた罪を自覚する。
耳を塞がれたように聞こえなくなっていた雨の音が、断罪の如く押し寄せた。

「なまえ、ごめ、」
「降谷君なら、いいよ。これ以上のことしても」

――えっちしてもいいよ。
僕の謝罪を遮って、彼女は制服の上から僕の鎖骨を指で撫でた。
撫でられた制服のシャツは濡れて中に来ているタンクトップや僕の肌を透かしている。それは同程度に雨を被ったこの子も同じ。華奢な肩の素肌の色が夏服の奥からこちらを見ている。



帰路の記憶はない。どこでバイト先に休むと連絡を入れたのかも覚えていない。
両親の帰宅が深夜だというなまえの家に転がり込んで、ベッドに彼女を組み敷いた。濡れた2人を受け止めたシーツはすぐに水を吸って色を変える。
数分前に通学路でおずおずとしたキスを初めて交わしたばかりなのに、二度目で早くも彼女の唾液の味を知る。効率的な息の仕方も知らないで、割った歯と唇の間から舌を押し付け、奪うように絡めた。
ほどなくして鼻で息を吸えばいいと気づいた僕は、すぐに呼吸を覚えて調子を取り戻し、一度舐めたときになまえが喉の奥で鳴いた裏顎に再び舌先を這わせた。またなまえが声を漏らすが、そのほとんどが合わせている唇から僕の喉へと消えていく。
テニス部だった僕はそれなりに肺活量もあったが、ひ弱で鼻で息をすればいいという知恵も働かない彼女は、すでに肩を上下させて息を上げている。要領が悪いところもかわいい。枕に散らばる髪をくしゃりと指に絡めた。

「は、ふ……んん……っ」
「鼻で息、吸ってみて」

こくん、と健気に頷いた彼女に「いい子」と囁いてまた唇を吸う。
歯列をなぞるように舌を這わせ、彼女の口腔のつくりを感触で確かめていく。下の前歯の小ささと、それゆえの隙間の多さにさえかわいいと思った。歯並び自体はいいほうだと思っていたけれど、多く神経の通った敏感な舌で触れてみると爪も通らないくらいの隙間や、歯の傾きもよくわかる。
僕の中も確かめてほしいのに、息を繋げるのが下手な彼女は事あるごとに唇に隙間を作り、酸素を取り込もうとするからキスが続かない。僕はそれを叱りつけるように上からまた唇を押し付けて、酸素の入り込む余地さえ潰す。
薄く眼を開けてみれば、閉じた瞼を震わせて懸命に僕を受け入れる彼女の顔が飛び込んでくる。唇の端から垂れていた唾液を拭ってやったとき、こく、こく、とか細い喉が上下した。

――嗚呼、僕の涎、飲んでくれてるんだ……。

脳も躰も熱くて堪らない。雨水で冷えた皮膚とは裏腹に、芯が火照っている。
キスをしたまま自分のワイシャツの釦に指をかけるも、うまく外せないので名残惜しいが唇を離した。
寂しそうな瞳で僕を見上げるなまえに、熱を帯び始めていた腰が一層ずんと血潮を集めた。
乱暴な手付きで釦を弾き、脱いだシャツとタンクトップを床に投げ捨てる。上裸になって彼女の方を見ると、なぜか顔を手で覆っている。

「どうかした? こわい?」
「ちが、くて……かっこよくて、びっくりしちゃって」
「あんまりかわいいこと言うな……」
「だってすごい引き締まってるし」

なまえに覆い被さると、彼女の手が僕の腹筋をそろりと撫でた。性的な触れ合いではなく純粋な好奇心で伸ばされたらしい手は、くすぐったい。
中学校3年間、テニス部で培った筋肉はまだ廃れずに残っていた。トレーニングとランニングは欠かさずしていたし、学校までの道には坂道もあり、帰りはなまえを乗せてペダルを漕ぐから、それで維持されていたのもあるだろう。
僕は彼女の襟に手を添える。

「脱がせていい?」
「ん、大丈夫……」

怯えないでくれ、とまじないのようにその瞼にキスを落としてから、僕はブラウスに手をかけた。女性ものと男性ものでは前立が逆になっているから釦を外すにも手間がかかるし、水を吸ってぺたりと肌に張り付いているせいで脱がしにくい。指先の毛細血管まで脈打っている熱い指は操作が効かず、童貞丸出しの自分に恥じらいを募らせた。
釦を外しきったブラウスの前、少しめくれたキャミソールの隙間から臍がちらりと覗いている。

「あの、脱ぐね……?」
「あ、ああ」

お互い紡ぐ言葉はしどろもどろである。
なまえはマットレスに手をついて起き上がると、ブラウスから袖を抜いた。両手でキャミソールの裾を掴み、そろそろとめくりあげ、残っていたリボンタイと一緒に首から引き抜く。
女子の制服のリボンタイは結んであるのではなく輪状のゴムにリボンが着けられていて、首から被る作りらしい。どうでもいいが新しい知見を得た。
白い腹、そして色気のない無地の下着に包まれた胸が眼前に晒される。
顔を赤らめて潤む瞳を伏せたなまえは、続けて下着の留め具に手を伸ばそうとしていた。

「待って、脱がしたい……。いい?」
「う、うん」

半裸のなまえを抱き込んで、背中に手を回す。なまえはされるがままに僕の腕へと納まるので、下着越しとはいえ胸が自分の胸板に押し付けられて、とても平常心ではいられない。
僕が外しやすいように髪を肩から前に流し、うなじを晒してくれた。
風呂に入るのも惜しんでベッドに押し倒したから、汗で際立った彼女の香りをそのまま感じる。
初めて外すブラジャーのホックは構造がよくわからなかったが、少し摘んだら存外簡単に外れた。背中のバックベルトとかいう名称の部分が、するり、と2つにわかれて白魚の肌を滑る。ストラップが軽く抱き込んだ肩の上で緩んで崩れ、胸を支えているカップが少し浮いたのがわかった。

――や、やばい、頭真っ白になった……。このあとどうしていいのかわからない……。

思考が氷結して固まっていると彼女が先んじて動いた。僕の腕の中を離れ、胸の上で浮き上がっている下着を潔く……いや、その手は少し震えていたが……取り払うと床に落とす。
消し損ねた証明の元、目の毒になるほどよく見える彼女の裸の上肢に釘付けになった。
恥ずかしそうに見をよじればよじるほど腕に寄せられて強調される胸と谷間。総身が男の僕にはないまろやかな輪郭を描いているが、胸の双丘は別格だ。
きっと尻も柔らかいのだろうと、一切乱していないスカートとソックスの奥に想像を働かせる。なにひとつ手を付けていない下半身余計に上裸が際立たせていた。

「あの、あんまり見られると恥ずかしい……」
「僕のも見たくせに?」

きゅう、と目を瞑る反応があんまりかわいくて、つい意地悪を言ってしまう。
とさり、とまたシーツの上に彼女を転がし、見慣れた枕に沈む首筋に鼻先を埋める。首の付根に唇を寄せると、絹さながらにすべらかな肌は、雨に濡れただけでなくしとりと汗をかいており、舌先に潮の味を感じた。
鎖骨をごく弱いちからで甘噛したあと、ぢゅう、と強く吸ってみる。びく、びく、とシーツに溺れて躰を震わせるなまえ。唇を離すと、白い肌に真っ赤な華が咲いていた。服で隠れるから大丈夫だろう。うまく痕がついた。肌の上の赤い花をぺろ、と舌で舐める。
僕は彼女の胸の膨らみにもキスを落とす。寝転んだことで左右に広がっている双丘を手で掬って、そっと揉んだ。彼女を自転車に乗せているとき、無防備にもこれが押し付けられていたのだと思うと、日常の一幕すら背徳的なものになる。
「舐めていい?」と聞くと、なまえは息を詰まらせたような面持ちでこっくりをした。胸の先端に触れるだけのキスをしたあと、舌先でそれをつついてみる。

「ひゃあっ……ふ、るやく……」
「なんで降谷? 零って呼んでよ、いつもみたいに」

言ってから、ぱくりと先端を口に含んで舐めあげる。

「れ、零君……あっ! 舐めちゃ嫌……」
「嫌? さっきはいいって言ったのに」
「ごめんなさ……っ、ひゃっ」

舌先で乳輪や先端をくるくると撫でながら、空いた手で反対の胸も弄ぶ。
自分でもなにかと飲み込みが早い方という自覚はあったが、流石に今日始めて触れる女性の体の扱いにはまるで自信がない。彼女の口から時折上擦った甘い声が出るのは、単にくすぐったいか、技というより状況に酔っているだけだろう。幼馴染と半裸で戯れているという状況に、脳が痺れているだけ。

「れ、くん……っ」

なまえの腕が僕の後頭部に回された。くしゃり、と悪目立ちする色の髪を乱したその手は震えを帯びている。僕は楽天家ではないから、快感に打ち震えているとはとても思えない。怖いのか、それともあの教師との体験を脳裏に蘇らせてしまっているのかは、わからないけれど。

「なまえ、怖い?」
「ん、平気」

へにゃりと笑う彼女のその頬に口づけた。髪を撫でて抱きしめる。子猫のように僕の肩口に額を擦り寄せるなまえに、いとおしさと、おなじ量の情欲が込み上げた。

「大丈夫だから、続き、して?」

飴玉みたいな瞳を震わせ、僕を仰ぐ彼女の甘やかさたるや。
心には恐怖を残しているのに健気にねだってくる彼女をいまいちどぎゅっと強く抱きしめた。
腕に感じる体温だけでは足りなくて、覚えたばかりの大人のキスを繰り返す。つい先ほど帰路で子供染みたキスをして舞い上がっていた自分が信じられない。

やわらかな胸の丸みを掌で確かめ、そのままするりと腰のくびれにかけてを撫でていく。僕の手が下へとくだったことで、ぴくり、と震えた彼女は、きっとこの先の展開を読めている。彼女はつま先でシーツに皺を刻みながら、膝同士を少しだけ寄りあわせた。
腰まで降りた僕の手は制服のスカートにかかる。側面の留め具を外し、ファスナーを下げると、そのまま緩んだスカートに指を差し込んだ。なまえは泣きそうな顔をしながらも腰を浮かせてくれたので、それは滞りなく膝から引き抜けた。

明るすぎる部屋の中でなまえの肌は余すところなくよく見えた。身につけているのはパンツだけで、脱がせ損ねたソックスが無意味に足を隠しているのが妙に性的で、喉が鳴る。
パンツ一枚なんてスカート以上に簡単にひん剥いてしまえるはずなのに、心臓がうるさくて頭が熱くて気が滅入りそうで、途方もなく難しいことのように思えた。
遠慮がちに下着に引っ掛けた指で降ろしていく。徐々に晒されていく下腹部の肌に眼の前がちかちかした。
なまえが持ち上げてくれた踝から最後の下着と靴下を引き抜けば、名実ともに裸である。彼女は一糸まとわぬ躰を横向きに転がして、僕の視線から脚の間を隠そうとしている。

「それじゃ見えないし触れないだろ。こっち向いて欲しいな……。だめか……?」

横向きの腿にそっと撫でて、僕は甘えた声を出した――本当は丸い臀部の奥に恥丘が見えていたけれど。

「……っ」

唇を指で隠して、なまえは頷く。
力んだ脚をそっと開かせると、その狭間に人差し指を這わせた。茂みをかき分けるように皮膚に触れ、二股に分かれているはずの恥丘を指で確かめる。肉の割れ目を見つけ、縦の筋を上から下へとなぞるように動かすと、指の先端にとろりとしたものが触れた。
彼女の躰はびくりと震え、指先を濡らしたそれを絡め、掬えば、「あぁ……っ」と聞いたこともない色を帯びた声をあげた。僕は其れに気を良くし、愛液を零している窪みに指を差し込む。声にもならない、息吹のような悲鳴をあげて、なまえがまた震える。
これが女性器……。教科書や映像で得ただけの知識に色がつくような心地だった。

「ひ、ゃ……」
「大丈夫か? きつくない? 怖くない?」
「こわっ、くな……っ、ん……っ! へい、き、」

なめかましくうねる秘部はとろとろと絶え間なく蜜を溢れさせ、彼女自身も細い声を漏らして腰をくねらせるのに、その表情からは陰りが消えない。
なまえはずっと震えていた。声も、躰も、瞳も。
その双眸に揺れているのが僕と同じ情欲ではなく、恐怖だということにも気づいていた。
中断すべきだという理性と良心の警鐘を無視して、僕は自分の情欲と嫉妬心を優先する。最低だ。罵ってほしいのになまえは大丈夫、平気の一点張りで、時には僕を誘惑するようなことすらのたまう。

今日、こんなことになって初めて僕は彼女への恋情と劣情を自覚した。
愛や恋への関心を持つ前にあの事件が起きて、心の何処かでそれは差し向けてはいけない感情だと認識していたからか、彼女への感情はすべて友愛と信頼と庇護欲に分類していた。彼女以上に大切な人間に巡り会えた試しもなく、いつしか抱いていた恋慕は、こうして薄汚い情動に化けるまで無名のまま持て余していた。

「あ……っ、んや……っ!」

泣き声にも似た嬌声だった。喘ぎと、この子からキスを奪った男の件で二度泣かせたときの嗚咽との区別がつかなくて、最悪なことに僕はその声にも興奮していた。
早く僕のものを迎え入れて欲しくて、性器と性器を合わせてみたくて、欲の前にせいた僕は新たに一本指を増やす。

「痛っ!」
「す、すまん」

痛みに顔を歪めたなまえを前に、すぐさま指を引き抜き、急ぎすぎたと自省するが、なまえの言葉がそれを止めた。

「だい、じょぶだから……続けて……っ」
「痛いなら少しずつしたほうがいいだろ」
「い、いらない。どうせ……処女じゃないんだよ」

がつん、ととんでもなく重いもので頭をぶたれたかのような衝撃が走る。
悲しい言葉だ。同時に、悔しさとやるせなさとあの男への憎しみを煽る言葉でもあった。
色欲に愛憎が垂れて、彼女への感情が一体何色を呈しているのかさえわからなくなる。

「痛くてもやめないで」

おねがい、となまえが畳み掛ける。
一瞬の躊躇のあと、僕は言われるがまま人差し指と中指をそこに差し込んだ。決意を強く持って拒んでおくべきだったのに。
胎の中の肉にきつく絡みつかれて、性感帯でもないはずの指からぞわぞわと性感がせりあがってくる。

「うぁっ! ひ、あ……っ」

泣いているの。それとも喘いでいるの。赤子の呻きに蜂蜜を垂らしたようななまえの声。これでは仮にまた彼女を泣かせるようなことがあったとき、僕はそれに今日の嬌声の破片を見出して欲情してしまうんじゃないだろうか。

「も、いいからっ、零君、入れていいよ……っ」

シーツから遊離したなまえの膝が、ズボンをぐっと押し上げて存在を主張するそこに押し当てられる。たったそれだけの刺激でびくついてしまうくらい余裕がない。
急いでトイレに駆け込んだ時みたいにがちゃがちゃとベルトに手をかける。手足の先が冷えるほど全身の血液を集め、隆起しているそれを下着の中から取り出したとき、避妊具の容易がないことに気づいて手を止めかけた。

「待っ、コンドーム……」
「零君、早く」
「いや駄目だろ、子供できたら」
「そんなすぐ妊娠なんかしないよ。おねがい……つづきしよう……?」

僕の腰に脹脛を絡めるなまえの色香は、幻術をかけるように現実を忘れさせる。
取り出した性器の先端で彼女の脚の間に口づける。ひやりとした愛液の感触とそれに濡れた恥丘の生ぬるさ、それを割ると現れる割れ目の、肌の比ではないほどの熱さに目眩がした。

「あ――、」

いまの、どっちの声だろう。
以前同級生に見せられた映像の猿真似で性器を差し込むけれど、男の発散のために作られたものであるうえに、モザイク処理が施されていたあれは教材とするには不十分で、やり方があっているのかはわからない。
菌の傘状にぽこりと張りでた先端の、くびれほどまでを埋め込んだとき、色が変わるほど力んだなまえの指がシーツを引っ掻いた。

「や……っ、やだぁっ」
「ごめっ、痛いよな」

狭い女性器に先端だけとは言え潜り込んで、自分も辛かったが、ぴたりと挿入を中断する。
苦痛に歪んでいるなまえの顔を間近で見下ろしながらおろおろと拙いキスを落としたりなんかしていると、焦点の合っていない彼女の眼が僕の象を捉えた途端、顔を逸らされた。眼界にいることすら許さないように、追い出される。

「ひ、う……痛いっ、やめて……やだ、やめて――先生っ!!」

先生。そのことばを聞いた途端、血の気が引いていく。
取り返しがつかないことをした。稲妻のように理解し、途端に動けなくなる。
なまえが何一つ大丈夫じゃないときにも大丈夫、平気だと笑うやつだと一番知っているのは僕だったはずなのに。
青褪めたまま腰を進めることをやめた僕を、きつく閉ざした瞼をゆっくりと持ち上げたなまえが仰ぎ見る。目が合うや否や、その瞳は戦慄したように見開かれた。

「あ……。れい、くん……ごめんなさい、ごえん、なさ……っ」

大粒の涙を流すその瞳孔に僕の象を結んで。自分を抱いている――犯している人間が誰なのかを認識して。僕の名前を呼んだあと、やっぱり彼女は謝った。

「ちがうの、ちがうのっ! ごめんね、零君。お願い、続けて……お願い、大丈夫だから……っ!」
「何が違うんだよ……。大丈夫じゃ、ないだろ……」

血を吐くように僕はそれだけ喉から引っ張り出した。
目の奥が熱せられたように熱い。鼻がつんとする。眼球を覆う水の膜が厚みを増し、ついには涙となって彼女の頬に零れ落ちる。僕が泣いている場合じゃないのに泣きそうだ。
なまえはほとんどパニックになりながら行為の続きを僕に求めた。

「大丈夫、だから……。できる、から。最後までできるから……っ。ちゃんとするから……」

泣きじゃくりながら、恐らく彼女自身が一番に恐れているであろう行為を懇願する姿は、はっきり言って異様だ。幼子のように泣き喚くなまえの髪を撫でてあやし、とめどなく溢れる涙を指で拭う。

「僕も冷静じゃなかったけど、それは君も、だよな……。やっぱりだめだ、こんなの」

この涙の量、指では埒が明かない。机の上からティッシュペーパーを取ろうと身を起こした瞬間、がばりと跳ね起きたなまえに抱きつかれた。

「やだぁっ、行かないで……! ごめんなさい……! ちゃんとできるからっ」
「行かないよ。どこにも行かない。だからもう謝るな」

生まれたままの姿でしがみついてくるなまえを抱き返し、ぽふぽふとその背を軽く叩いた。まるで子守のようになだめる僕の手つきから、僕にセックスを続ける気がないことを悟ったのだろう、腕の中からこちらを仰ぎ、彼女は尚もせがむ。

「なんでやめちゃうの? してよ、わたしとしてよ……っ!」
「なまえ……今の君に必要なのは心のケアだ、セックスじゃない!」

荒ぐ語気に反して、僕は、頼むから……、と抱擁を強めて祈る。
彼女は言った。全部無駄だった、と。

「やったよ……もう全部やった……。でもカウンセリングは蒸し返すか、負担になるからここまでにしようって、そればっかりで、全然進まない。楽にもならない。もういい加減大丈夫になりたいの……! もう思い出したくない! 怖い夢見るのもやなの! 助けてよ……れいくん……たすけて……おねがいだよ……」

たすけて、たすけて、れいくん、れいくん――。そればかり、繰り返す。叶えてやりたいのにやれない言葉がベッドの上に幾つも幾つも落ちていく。
言葉だけ切り取れば色に狂った女のように下品だが、僕の腕で泣きじゃくる彼女は過去の乱暴に怯える子供でしかなかった。きっとこれはあの教師に尊厳を踏み躙られ、助けを求める口を塞がれなきものとされた恐怖の発露なのだ。



――大災害を経験した子どもは、遊びの中で災害ごっこを行うことがあるという。積み木の町並みを破壊したり、「津波が来た」「自信が来た」と言って物陰に隠れたり、家具を揺らしたり。
一見不謹慎な悪ふざけに思われがちだが、それらは当面の間の身の安全が確保されたからこそ現れる、健康的な反応、と解釈されるらしい。
子供が被災者ならその保護者である大人たちも当然被災者で、自身が滅入っていることからも、災害ごっこをやめさせてしまうことが多い……傷ついている大人に完全に正しい対応を望むのは酷だが……が、監督者の立場で求められるのはそんな子供の行為を受容してやることなのだそうだ。理想的な対応としては「もう災害は終わったよ。みんな無事だったんだよ」と子供達の中の災害の物語をハッピーエンドに導き、解決してやることだという。

同じように、性被害者が自発的に自身のトラウマを呼び起こす真似に及ぶことも、ままあることらしい。
僕の腕の中ですすり泣いているのは、レイプごっこで本当の傷を癒そうとしている、傷ついた子供だ。
なまえは、まだあの日から出られていない。いまなお昨日に囚われ続けている。
同じ枕に頭をあずけ、同じシーツに包まれて。腕の中でまどろむ彼女の裸の肩を抱き締めた。涙の留まった目元は赤く腫れ、眠たげに瞼が落ちている。しゃくりあげていた呼吸も落ち着きを取り戻し、ゆうるりと鼻を抜ける吐息は僕の耳にも入った。

「ごめんね、最後までできなくて」
「それはいいって言ってるだろ」

互いに汗は引きつつあったが、彼女の首の裏はまだ少しだけ濡れている。
僕はなまえの鬢を指で梳いて、小さな耳の裏に流した。絹糸のような艷やかな手触りだ。こだわりのない適当なシャンプーで洗いっぱなしにしている僕とは違う。色だって、違う。誰かと同じ髪の色。純粋な日本人の色。ありふれたこの色彩を僕がどれだけ羨んだか。

「ごめんね、ごめんね、零君……。あんなことしたのに、なんでこんなに零君は優しくしてくれるの」

優しくない。優しいやつならあんなことはしない。自分を優先したりしない。今此処で裸のなまえと抱き合っている現実が、僕の醜悪さの証明だ。

「なまえ。こういうこと、他のやつとはしないで。頼むから俺だけにしてくれ……」
「……多分、最後までできないよ。今日、こんなだったし」
「なんでもいいから、それだけ約束して。約束してくれたら、それでいい」

僕と彼女はベッドの上でくすぐりあうように囁きを交わす。内緒話のような、未熟な睦言だった。僕に髪を梳かれながら目を瞑る彼女を眺める。
このまま朝まで一緒にいたかったけれど、9時を過ぎた頃に僕は帰宅した。

自宅の鍵を開けて自室に閉じこもると、僕は真っ先に自慰をした。
途中までとはいえ直前に犯してしまった過ちは最適な興奮材料になった。彼女の胸の膨らみを、キスの熱さを、頭に蘇らせ、怒張を張り詰めさせる。指で触れた膣と、愛液の香りを回想し、先端だけ埋めたあの窪みに自分の其れをすべて収めたらどうなるのか、と酷い空想を広げていく。
なまえ、なまえ、と声には出さなかったものの、何度も舌と吐息であの子の名前を象った。
輪をなした自分の指を彼女の膣に見立てて、ようやっと、堪えていた精を開放する。性器の先端からどくどくと溢れ出る白濁を眺め、苦いため息を漏らす。
ごめん。謝らなきゃいけないのは僕の方だ。君じゃない。
彼女のあのまるで泣き声と区別がつかない喘ぎ声が耳の奥に蘇れば、またそれは芯を持ち始めているではないか。僕は己の欲を嘲った。
だから、なまえ、優しくなんてないんだ。僕は。


2023/06/16
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