短編

むかしむかしの私たち




「――アイス」

ただ一言、自分の後ろを歩く彼女はぽつり、静かに言葉を落とす。足を止めて振り向くが、肩越しに見たなまえと視線がぶつかることはない。不思議に思って、ただ茫然と投げられた彼女の目の先を首だけ回して見遣ろうとするが、さすがにそこまで視界に収めることは敵わないので、シルバーは体ごと向き直った。
そこには一軒のアイス屋が。

「食べよう、シルバー!」

輝かしい笑顔がこちらに向いた。
きらきら、煌めく星を宿した瞳はこの炎天下の中ではオアシスとも呼べる涼やかな拠り所に寄らない、という選択肢は見えていない。一直線な道を見出した途端に、先ほどまでのばてっぷりはどこへやら。一目散に駆け出したなまえの背中を追いかけて、その手首を掴むと強引に制止を呼び掛ける。

「っおい、待て! アイス屋は逃げない!」
「逃げるよ!! だってあれ車で巡回してる系のやつだもん! もたもたしてたらすぐ行っちゃうんだよ、知らないの!?」

なんでこいつはアイスに関する情報を熟知しているのだろうか。
そういえば甘党だったような気もしなくもないが、そんな単純な理由でわざわざ駆け出すほどに好きなのか。これだけの――それこそポケモンバトルでも十分生かせるレベルの洞察力と情報処理スピードを兼ね備えておきながら、すべて屋台の追っかけにつぎ込んでしまうほどに好きなのか、アイスが。
宝の持ち腐れとはこのことだ、なんてぼんやり思っていたその矢先、ぐいと重心を崩しにかかるほどの力で強く腕を引かれた。

「私は、オレンジソルベをひとつ。シルバーどうする?」
「あー…、ラムレーズン。を、ワッフルコーンで……ってどうした」
「だ、だってワッフルコーンてちょっと高いやつだから、意外だなぁって」

なんだそんなことか。
些細な事で口をとがらせる彼女を微笑ましく思う。

「やっぱり両方ともワッフルコーンで」
「え、ちょっ」

脇で肩を跳ね上がらせたなまえに構わず、注文の訂正を口にすると二人分の会計を早々に済ませた。

「なんで勝手に……」
「これくらい奢ってやる」
「そうじゃなくって」
「不満か? 言っておくが世間一般的には彼氏が彼女に対する接し方としては正常だ」

不服そうな様子は拭い切れないようであったが、それでも渋々納得してくれたらしく、小声でぼそりとありがとうを言ってきた。



「さっき、改めて恋人同士なんだなぁって実感したよ」

二人が友達以上の関係を持つようになってから、一ヶ月が経とうとしていた。
恋人の定義も距離感も、それらはまさに十人十色。“恋仲”という新たな肩書きでゼロから始まる関係性。しかし、長らくの間、友情というつかず離れずの間合いを保ち続けてきた彼らにとっては、それは踏み出そうにも踏み出せない微妙な一歩。双方が揃いも揃って、そこにあるはずの特別な恋愛感情を友情の延長線という受け止め方をしていることが深刻な問題であるのだが、なかなかそれを自覚する機会とは無縁なわけで。
少女の言葉の意味を理解して、少年はこっくり相槌を打つ。
今日だってそうだ。何となく、彼女とぶらぶら自然公園の付近を散歩している途中だったのだが、恋人たちの戯れの場と化した公園では明らかに二人の開き過ぎた距離は不自然だった――精神的にも、物理的にも、どこか遠慮がちな子供二人は、逢引き場所にはどう見たってつり合いがとれてはいない。
それは、恥じらいからくる一種の逃げかもしれない。
冷たい舌触りと、甘ったるい味が口の中に広がって、燦々と降り注ぐ日差しが本格的な夏の到来を感じさせる。

「シルバーと出会ったの、いつだったかなぁ…」

暑さに頭がやられたか、はたまや聞き役に徹していたシルバーが知らぬ間に彼女の中での話題がすり替わってしまったか。元より気まぐれな性格のなまえだ、話題変換は唐突に起こる物だとどこかで認識は持っていた。

「2年前、じゃないか?」
「あぁそうそう。マダツボミの塔だっけ。手配書と顔とか全っ然違くてびっくりしたんだ、あの時」

聞けばあのモンタージュ作成を手伝ったのはゴールドとのことで……。少なくとも双方の関係性は劣悪だったあの頃、何が目的で偽装させたのかまではいまとなっては定かではない。

「あのときのシルバー、すごく感じ悪かったもんね。目つき鋭い、態度は悪い、ゴールドと並んで不良の代名詞って感じで」
「……その不良と付き合ってるくせに、何を言うんだ」
「しょうがないでしょ、恋ってどこから始めるかわからないんだから」

何気ない一言だが、自分の心臓がどくりと波打つ音を確かに聞いた。
柄にもなく、恥じらいというものを覚えて口元を緩ませながら、顔を背ける。

「で、その後がヒワダ! ヤドンの井戸らへんでまた会って〜エンジュでも一緒に閉じ込められたっけね。なーんか思い出してみると行く先々で遭遇してない? 私たち」
「どちらかといえばお前がオレをつけてたんだろう」
「いやいや。追いかけてたのはシルバーの方だよ」

想いを馳せる、視線の向く先は明後日の方向。話に夢中でなかなか手の進まない彼女に対して「溶けるぞ」と短く注意を入れれば、肩を揺らして瞠目しながら大半が色付きの甘い液体と化したアイスをせかせかと口に運び始めた。
なまえのたった一言で閉ざされていた蓋が開かれ、過去の回想録が順繰りに脳裏を掠めていく。
マダツボミの塔、出会い頭に天井から転がり落ちてきた大玉の仕掛け。金目の少年が繰り出したヒノアラシと自身のワニノコ、そして彼女のパートナーの“てだすけ”もあり、なんとか潜り抜けられたこと。
ヤドンの井戸で悪事を働くロケット団員を縛り上げたところで不意に感じた人の気配に、振り向けば何故だか草むらに彼女が身を潜めていたこと。
エンジュシティ、地盤沈下現象の調査中にまたしても少女と少年と遭遇し、スズの塔に閉じ込められたかと思えば周囲をロケット団に囲まれてしまっていたこと。
いかりの湖においては氷柱の中で力尽き、目覚めればそこは見知らぬ海の孤島、うずまき島でルギアとの戦闘に巻き込まれたこと。
どれも、鮮明に覚えている――。

「ごめんね」

意識を呼び戻すのは、彼女の声。
突然の謝罪に、我が耳を疑った。

「ずっと謝ろうと思ってた。私、あんまり人のこととか信用できてなくて、だから『仮面の男』との決戦の時も、協力とかしなくて……。クリスに怒られて、やっとだもん」

最後まで協力を拒み続けた彼女に対し、水晶色の目の少女が頬を叩いたと聞く。

「私、馬鹿だった。子供だった。何でもひとりでできるって、そう思い込んでた。けどそんなの全然違くって解決したのは、力を合わせた“図鑑所有者”」
「それは……」

それは、自分だって同じだ。
自分一人で事足りると多くの選択肢の中から誰にも頼らない単独行動を選び取り、しかしながらそんな幼稚で浅はかな考えなど強敵相手に通用するはずもなく、結局は大勢の人の手を借りて。本当に馬鹿なのは、子供なのは、どちらだろう。

「ごめんね、こんなおこちゃまが恋人で」
「いや、オレも……」

言葉を発するのは、自分と相手との距離を遠ざけるため。これ以上は踏み込んで来るなと強く拒むため、だったのに。
いつかを境に大きく変化していく価値観や心情に戸惑う反面、喜びを感じていたのもまた事実で。
自分の中にある感情を伝えたい。そんな想いを芽吹かせてくれた彼女には、たくさんの感謝の意があって、伝えきれない“ありがとう”がそこにはあって。
シルバーがうまく紡げずに困っていれば、きっとなまえはどんなに時間がかかろうともせかすことなく待ち続けていてくれるのだろう。ゆっくりでいいよ、待っているから。柔らかくそんな言葉を投げかけて、口元には優しい微笑みを称えまっすぐに、その瞳はこちらを見つめてくれるのだろう。
だけど、それじゃあだめなんだ。

「なまえに、会えてよかったと思ってる…から、」

拙い語彙で、懸命に繋ぐ。
穴を掘り続ける中でようやっと目当ての物の一部分がスコップの先端にこつんと当たったかのように。そのときふと浮かび上がったのは、たった一言――たった5文字の短い愛情表現だった。

「なまえを……愛してる」

顔を上げて隣を見遣れば、飛び込んできたのはりんごのように耳まで真っ赤になったなまえだった。からんっ、と力の抜けた彼女の手元から滑り落ち、虚しく地面に転がったアイスクリームのスプーンが、意識を現実へと呼び戻す。
あれ、いま自分はなんて……なんて……。
あい、してる――?
思考回路が混戦状態に陥ると共に、やはり頬を染めたままの彼女が恥じらい混じりの声色で口を開く。

「もっかい、いって……?」
「絶対嫌だ」
「おねがい。私すごくうれしかった。だからもう一回だけ聞きたいの」

その言葉にたぶん嘘など含まれてはいない。これだけは断言して良いだろう。
…だが、彼女が後ろ手に何かを取り出し、操作しているということはシルバーにはお見通しであった。

「おい、そのポケギアはなんだ?」
「な、なんのことかな?」
「まさか録音する気じゃないだろうな」
「……チッ。ばれたか」

舌打ちと共に視線を外される。これだから、気を抜けたものじゃない。
あどけない表情でねだってくる彼女に押されるがまま同じことを口走っていたら……そう思うと、ぞっとする。
何も言わないシルバーに諦めたのだろう、取り落としたスプーンを拾いにベンチから腰を浮かせたなまえはいまだ不服の残る表情のまま言葉を紡いだ。

「…いいよ、恥ずかしいなら。でも言ってくれなきゃ私だって不安な時とかあるんだから。それは覚えといてね」

ほら行こうよ。と踵を返し、歩き出そうとしたその背中を腕を掴んで引き留めた。
喉に詰まった言葉を押し出すように、少し掠れた小さな声で。

――すきだ。

出会った当初の記憶よりも少し低い場所にある耳に向かって囁けば、勢いよく振り向いた少女は見事に赤面していた。


2016/06/06

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