短編

捧ぐメゾピアノ


横顔が左右どちらかから見るかで印象が違うものだから、少しばかり驚いてしまったというのが4月の初めの事だった。
冷たい美貌と威圧感はやや排他的とも云える。本人が交流を望んでおらず、こちらも用があるわけでもないというのに、とこれまでむやみに干渉はせずにいた。それでも。視界の中で色濃く存在を示す髪色と顔立ちは多少離れていても人の眼を惹き付ける。座席の関係上、眺めることの多かった白い髪は私に故郷の景色を染める新雪を思い起こさせ、移動の際や食堂内で目に付く半分だけの赤髪はまるで別人のようで。赤の髪とは反対色の、碧の左眼。左眼の周囲の肌を広く焼く火傷跡が痛ましくて。可哀相、とそんな身勝手な感想を抱いたことは無いけれど、どこかでは同情にも近しい何かを寄せていたのかもしれない。
ショウケースの中の宝飾品や美術品を厳重な警備越しに愛ででもするように、私は彼をよく見つめていた。
見つめる事でしか知らない轟は、怜悧で、秀麗で。どこか冷めているようだったり、それでいて妙なところで火を点けて冷静さを欠いたり。だけどなんだか最近はぽわんとしていて、実は天然、だったりするのかもしれなかったり。嗚呼なんだかかわいらしい、そう感じることが増えたように思うのは、変化というものが何よりも目に留まりやすく、胸に引っかかり易いものだから、だろう。くっついていた色々な物が外れ、中和されたらしい今では時折ぽやんと気が抜けたような表情も伺えるようになって。同級生と言葉を交わしているところを見るのが増えたのもここ最近の話だ。だが今の今まで傍観者に徹していた私には、他の生徒達のように轟が纏う柔らかな雰囲気に誘われて軽く言葉や挨拶を投げかけることもできない。取られているような気がして、こちらも取り続けてきた距離を埋めるのもそのために歩み寄るのも、どんな行動を選び取っても“今更”のように思えてしまって、たった一歩されど一歩、私は踏み出す踏ん切りがつかないのだ。いつまでも。

「ねぇ緑谷。図書の調査明日までだからあるなら早めに、って轟に言っておいてよ」
「えっ、あれ強制だった?」
「ううん。あってもなくてもいいやつ。轟が本とか読むタイプかわからなかったから、一応」

ごめんね、と小さく胸の前で合掌をすると、緑谷は快諾してくれた。だけどほわほわとしたシルエットの彼の頭上から疑問符が消えていないことを私は見逃してなどいない。不思議そうな顔と結びつく、はてなマークは恐らく数分経てば自然消滅してくれるだろうけれど。自分の事情に罪無き彼を巻き込んでしまったことを申し訳なく思う。
直接関りはしない癖に緑谷を介してまで小さな繋がりを持とうとするのだから私はずるい。
緑谷と話し終わった頃にふと彼を見ると、彼も私を見ていたのか、はたまた私の周辺の景色にその時たまたま目を向けていたのか、目が合った。目が合って、瞬間、電流が流れた。左右で対照的な色味の姿が頭に焼き付く。貼り付いてくる印象深さを振り払おうとするけれど、無意味に終わってしまいそうで嫌になってしまった。

***

「みょうじ。これ」
「あぁうん、ありがとう」

緑谷伝いに頼んだ図書の記入用紙を裏返しの状態で手渡されたので、他人の秘密に首を突っ込む趣味を持たない私は素直にそのまま受け取った。後から裏返して見てみよう、なんて気も毛頭ない。
バックパックを背負い直して踵を翻しかけた時だった。「みょうじ、」と轟の声に呼び止められる。
彼が人と自ら関わろうとするのはとても少ないとは思うけれど、それでも徐々に広がりを見せている。広がった範囲が1―Aの教室内だというのなら、A組生徒である私も恐らくはそこに入るのだろう。その変化にほんのわずかに、微かに、本当に少しだけ、心臓がきゅっと締まった。

「前から気になってたんだが……お前、俺の方見てねぇか?」

子供の成長を喜ぶ親か、近所のおばさんの気分に近いのではないだろうか、という自分の心に対する予想に罅が入った。
表情は頬が少々引き攣る程度で終わってくれたけれど、心臓の方は無事じゃない。びく、と。確信を突かれて飛び跳ね、直後から早鐘を打ち鳴らしながら怯える心臓が自分のものとは言え可哀相に思える。

「俺の気のせいなんならそれでいいんだが。見られてるような気はすんのに、眼合ったことはねぇし……。」

睫毛までもが白と赤の二色にはっきりとわかれているのか。離れた場所から見つめるだけでは知り得なかった彼の一部分だ。これは、これだけの距離に今いるからこその――。
にゅ、と這い出て、ついに姿を現した欲が建前を溶かす。

「否定するならしてくれ。でないと妙な勘違いしたまま終わっちまう」
「……勘違いじゃあないと思います、よ?」

やっぱりな。
彼は薄く笑んだ。


2017/06/19

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