短編

呼吸下手


目を奪う笑顔が眩しくて。耳朶を撫でる声音は涼風のように優しくて、心地良くて。くるくると映すものを変えていく双眸は凪いだ湖面のように綺麗で。気に入らない、幼稚な一単語の感想を頭の片隅に転がした。目についてしまえばもう全部が嫌で気に入らない。
瞳を閉ざせば瞼裏に微笑が閃いて、耳を塞いでも記憶済みの音声が頭の中で再生されて。脳を支配するかのように、いつだって自分の中には彼女がいる。それが、自分は。
自分は、それが気持ち悪くてたまらない。
彼女を形作る物全てが自分は嫌いで仕方がない。

***

抱える腕を押しつぶさんばかりの重みが消えてなくなり、突然開けた視界に、あっ、と女子らしい声が上がった。なまえを圧迫するようにその手中で積み上がるノートの山を見兼ね、半ば強引に奪い取れば刮目する両眼とかち合った。
すん、と澄ましたままの顔で歩み出そうとすれば、そこで漸く吃驚の衝撃から解放されたらしいなまえから「え、いいよ、重いでしょ」との言葉。

「うっせぇ。こんくれぇの量でふらふらされっとムカつくんだよ。てめぇの為じゃねーわ、クソ」

普段の調子を崩さない雑言が爆豪の声に乗った。
横目になまえの姿を捉えながら踵を翻し、放った言葉に偽りはない。返却された課題の山を抱えて職員室から姿を現したなまえに対し、まず胸中に浮かべたのは紛れもない苛立ちだった。たかが荷物運びの雑用で足取りすら危うくする彼女の無力さに、だけではない。ちらほらと生徒が行き来する廊下の中、遠目からでも退室してきた人影をなまえと認識出来てしまう自身にも、大いに、だ。
――瞬間。一番上に乗せられていたノートの反転した「みょうじなまえ」の文字が目に飛びついて来た。大きく舌を打ち鳴らして視線を外すも、次に爆豪が向いた先を歩くのはなまえの頭で。ノートと同時に抱え込んでしまったらしい苛立ちを必死に押さえつけつつ、目線よりも少々低く位置する旋毛を睨みつける。

「あ、ありが――」

だんっ、と教室に入るや否や、なまえの謝辞を遮り教卓に叩きつけるが如く乱暴に山を置いた。

「勘違いすんな。てめぇの心配してんじゃねーわ、クソ」

鋭い眼光で射抜いてやるだけで肩を揺らして怯む彼女はやはり弱い。



「……ツンデレ?」

***

ふうわり、笑むと刻まれる靨が厭わしい。放たれれば鼓膜に溶け込んでいく玉の声が疎ましい。広い世界しか見ていない癖にその瞬間に限っては自分を向いてくる都合のいい双眸が苛立たしい。
大嫌いだ。少女の全てが。少女を愛おしく思ってしまう自分が。――大嫌いだ。


2017/01/29

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