短編

テディベアはまだ離せない


※軽度ではございますが、気持ち悪い表現が入ります。


カーテンの締め切られた陰気なとあるアパートの一室。安っぽいプレートに彫り込まれているのは旧友の名。押し込んだインターフォンが雰囲気に似合わぬ軽快な音色を奏でた。
しばらくして、扉の向こう側に立つ気配。ぎぎ、と軋む開閉音。
どちら様ですか、とでも言おうと中途半端に開口していた家主の娘は、訪問者が俺だと知るや否や不機嫌になった。
彼女に、なまえにかけるには少し違うように思えた久しぶりに代わる言葉を自分の唇に乗せる。

「中1以来だな」

双方の視線がぶつかった直後、ぐぐ、と内側から引かれて閉ざされそうになった戸に自分の足を差し込んで防止する。「少し話させろ」と強く言えば俺の往生際の悪さに其奴も諦めたのか渋々といった様子で力を緩めたのが見て取れたので、ぐいっと力に任せて開く。招き入れられたことにしてずかずかと室内に上り込んだ。
みょうじなまえ。元同級生の優等生にして、現浪人生の引きこもり。
最後に遠くから見つけた中学2年の記憶よりもずっと痩せ細り、寧ろ衰えたという方が正しいような。ポニーテールに結べる長さで切り揃えられていた髪は長らく手入れを施されていなかったのか、ぼさぼさ。艶なんてどこへやら、無造作に伸ばされ背中を隠している。
踏む度ぎしぎし喚く床に濃く落ちる自身の影を、存在感が正しく幽霊である彼女が爪先で踏んだ。

「……何しに来たの、轟焦凍」

よりによってフルネームか。人付き合いとは無縁の生活を中2の二学期から現在まで送っているのだ、愛想はなまえにとっての余計なものであったのだろうが、その見る者を不快にさせる人相の悪さは如何なものか。
少し意地悪をしてやろうか。子供染みた反撃を頭の中で組み立てる。

「知ってるか。3年の時に一回、席隣になったこと有るんだぞ」

噛み合わない会話に苛立ちを隠そうともせずなまえが眉間を歪めたので何かに勝った気分だった。
何しに来たの? 乾いた唇だけで象ったように掠れて響く二度繰り返される問いかけ。

「いつまでそうやって引き籠ってるつもりだ、って言いに来た」
「わざわざ?」
「わざわざ」
「……暇なの?」
「んなわけねぇだろ。お前の親は?」
「……仕事」
「一人か」
「違うよ。……独りじゃない」

ひとりじゃない。口の中で復唱する。
両親は不在でここには一人だけでいたはずで、なまえはペットなんて飼っていないだろう――今は。

「……見る?」

成長の過程でどこかに覇気を忘れて来たようななまえの表情にここに来てから初めて柔和さを見た気がした。
おぉ、と二つ返事で頷く。が、直後。後悔の念が俺の頭を支配していた。

――気持ち悪い。

腐敗した肉も、それが放つ異臭も、辛うじて犬のような見た目を持った状態で動いている姿も、憶測だが異物としか見れない目の前のそれを可愛がっているのだろうなまえも。全部。
気持ち悪い。
嘘だろ。
これは、だって。
ただの死肉じゃねぇか。
それは彼女が昔飼っていた犬の成れの果て。体毛なんてすっかり抜け落ち、継ぎ接ぎだらけで死んだ色の肌を晒す醜い“生きていた物”。くたびれた死肉を寄せ集め、意志を持つかのように動かし、声帯を震わせ、生きているかのように見せて自分を欺く自作自演。
なまえを子供から成長させない、『ネクロマンサー』と名付けられた死体を意のまま操る能力こそ、本物の呪い、なのだ。

「…………おい、これ……」
「かわいいでしょ。覚えてる? 」

思い出す、異物の生前の姿。円らな眼が愛くるしいふかふかのコーギーの面影を見つけてしまいそうで、そこで思考を打ち止める。

「死んでも一緒にいてくれる友達ってなかなか居ないよ」

笑んでいるのであろう横顔を、どうしても視界に入れたくはなかった。

***

躊躇いを帯びた指先でインターフォンを鳴らすと昨日と同じ音色が埃っぽい空気を揺らして耳に届いた。

「……また来たんだ……」
「お前がまともにならない限りはな。ずっと来る」
「私はすこぶるまともだよ」

それをどの口が言うんだ。

「姉さんの料理本借りて来た」
「できるの?」
「ヒーローなら避難所とかで料理するだろ」
「できる人ってほんと何でもできるんだね」
「うまいとは言ってない」
「…………せめて爆発は防いで」

出来上がったものを口に運んで飲み下してからの第一声は「カップ麺ってよく考えるとすごいよね」だった。
至極不味そうに、しかし箸を持つ手は止めないなまえの中では恐らく味の悪さと空腹が天秤にかけられ揺れている。何者にも負けない食欲に従順に、しかめた表情のままからの胃袋に食物を詰め込むだけの作業をこなしていく。文句は一切口にしないところは昔と変わらない彼女のままだった。
徐に切る口火。

「俺が知らない間に何があった?」
「別に。何も無い」
「何も無かったらこうはならないだろ」
「どうかな」
「ペットが死んだくらいで」
「“くらい”じゃないの」
「……悪ぃ」

放っておいて、と言葉を象り動く唇とは真逆に伏せられる睫毛の奥で彼女の瞳は助けて欲しいと訴えていた。

「どうせ入れ込むなら生きてる人間にしろよ」

はた、と刮目。
眼は口ほどにものを言う。なまえの揺れる瞳に俺が見た感情の名前は何なのだろうか。


2017/01/16

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