短編

来年の桜も君と見れたらいいのに


暗殺教室を卒業してもうじき一週間になる。
超生物はE組生徒の手によって命を絶たれ、地球の寿命はずっと先まで伸ばされて。満月にさようならとばかりに砕かれた月は元の形に戻りつつある。暗殺、なんて物騒な任務は自分達の肩から消えてなくなり、周囲と同じ“普通の高校生”になる前準備としての春休みは破られていく日めくりカレンダーと同じ速度で緩やかに、しかし確実に、私の脇を通り過ぎて行った。
平和の実感が湧かないままコンビニで雑誌を立ち読む、なんて平凡を絵に描いたような行動に出てみるけれど開いた穴はそう簡単に埋まる物ではなくって。技術力の結集とも云えようクォリティーを誇るコンビニスイーツを数個棚から選び取り、レジを通すと店のロゴ入りの袋を引っ提げて表へ出た。
知らないメロディーが風と共に私の頬をくすぐった。駅前の路上、知らない誰かの一人ライブは春空に夢を謳う。いつでも前を向いて走り続ける、そうすれば夢は叶う。そんなフレーズがさして近くはないここまで届いた。そうできれば苦労はしない、と眼前にあった目標を達成し、ずっと先の未来を目指さなくてはいけなくなった私は思う。趣味はある。好きなことも、やりたいことも。しかしそれを何か職に生かそうとは思わない。仕事として金を受け取れるだけの技能を私は持たないのだ。最低限の暮らしを維持できるだけの金があれば、とはその命と引き換えに学びを与えてくれた担任の言葉で、本当にその通りだと死を受け入れられないまま過去に浸る。
死って何だろう。もうその人と同じ時間を歩めないこと。その人と共に未来を生きられないこと。話して殺して笑って教わる、当たり前だった日々が思い出に置き替えられ、自分だけが成長してそして老いていくこと。どれもこれも間違ってはいなくても、正解ではない気がしてかぶりを振った。
後ろから追い上げる風が私を追い越していく。風が抜けて行ったその先に馳せた視線が見つけたのは小柄な水色の頭の男の子。

「――あ」

瞬間、ぶわ、と巻く春風に煽られるようにして。ざわざわと頭上で木の葉が揺さぶられる音がして、はらはらと雨のように視界に散る薄紅の花吹雪。ひらり、舞う桜の花びらのひとひらが「あ」の形に開いた唇の隙間から口腔に舞い込んだ。慌てて閉口すると歯に潰された花弁からじわっと苦いような甘いような甘くないような不思議な味が滲む。塩漬けにされていないと草花の味しかしないのか、と感想を呟いて、せっかくだからと飲み下した。
空になり、嚥下後も嫌な後味が支配し続ける舌の上に水色の影の名前を乗せた。
渚、と。


ひさしぶり、の挨拶も早々に見つけたのは、空で染め上げたみたいな綺麗な水色の頭に貼り付いた桜色。そのまま彼の髪色に溶け込んで一部分だけ紫色に変えてしまうような気がして、指先でそっとそれを掬い取る。「ついてた?」と瞬きをしながら訊く彼に微笑んで頷き、人差し指に乗せた花をふっと息吹いて吹き飛ばしてみせた。

「渚はやっぱり髪、切っちゃうの?」
「あぁ、これ? うん……。そう決めてたから。一種のけじめみたいなものだよ」

そっか、と零して言葉を繋ぐ。

「終わっちゃった、ね」
「一応は、始まりなんだけどね。それ以上に終わった気がする。地球を救うって、やっぱり僕らには――少なくとも僕には――大きすぎたのかも」
「私も……そうだね、私は後悔してることもあるな」

きょとんと首を傾げてこちらを覗き込む渚は自分がその後悔のある相手であることをきっと知らない。話してみてよと言われているような気がして、実際彼はとても優しく聞き上手であるから、雰囲気と良く知る性格とに流されるようにして私は嘆息と共に独白した。

「好きな人、いて。卒業式に言おうって決めてたんだけど、あんな風に世界一危険な登校することになっちゃって。タイミングすっかりなくしちゃって、そのまんま」

喧しく過ぎる通り風に流される髪を抑えた。
未練は残さないつもりでいたけど、と隣の彼。伏せられた睫毛の下で青の瞳が揺れている。

「僕もひとつ、やり残しちゃったな」
「やっぱりそうだよね。1年って短いもん」

交わし合う言葉はお互い傷でも舐め合うように。少なくとも私はそのつもりで話していたのだが、しかし次の瞬間。

「みょうじさんが好きなんだ。僕と付き合ってください」

時が止まる。快晴の下、日差しを反射して踊る桜は煩いくらいに音を立て、散った。

「――って言おうと思ってた。E組の教室で、できればびしっと格好良く。でも無理だったな」
「……い、言ってるよ……?」
「男らしくやりたかったんだよ。ほら、いまはまだ髪もこんな、女子っぽい感じだし。格好付かないでしょ?」

そうはいうけれど、でも。
突然恋慕を告げられて何も感じない、訳がない。
困惑に表情が歪むのが自分でもわかる。熱を帯びていく教室の温度とは対照に、自分の掌が体温を逃がしつつあるのをひしひしと感じながら。でも、と私は紡ごうとする。
自分の中の小さな世界を容赦なく崩してくれた波乱の告白にはお構いなしに、はらり。降りてくる薄紅の花に一瞬程遮られた彼の顔は優しげな微笑を湛えていた。

「でも、……どきっとした」
「そっか。ならよかった。嬉しいな」

絶えず産み落とされては視界を掠める桜の花は幻想世界にいざなうよう。

「渚のせいだ」
「な、なにが?」
「バレンタイン、渡したかった。夏祭りも肝試しも一緒に回りたかった。好きって言いたかった。なのにできなかった。私の後悔は全部渚のせい」

私の中にある心残りは全てが潮田渚という人物を中心に、胸にある。
伝えたくて、伝えられなかったのも。渡したくて、渡せなかったのも。誘いたくて、誘えなかったのも。全部全部真ん中にいてそれでいて手に入らないのは渚なのだ。
だから渚のせい――嘘、あと少しのところで躊躇ってしまった自分のせい。

「言うならさ、もっと早くに言ってよ、渚。私もずっと好きだったんだから。なのに今って、遅すぎる」

でも、どう足掻いても3月には消えてなくなる、なんて絶望と隣り合わせの日々の中で愛し合うよりは何でもない瞬間を心から楽しめる今を二人で過ごす方がずっと幸せのように思える。もちろん振り返る過去に変わった1年を否定する気はないけれど。
別れと旅立ちを経験し哀しげに映る桜の季節も、来年が再び連れてくる頃には今とは違う色を以てささやかに鮮やかに景色を彩ってくれるだろう。


2017/01/20

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