短編

インダストリアル・ラブ


※百合夢。


律の中にあるみょうじなまえのデータベースと、今カメラを通して自分を覗き込んでいるなまえの覇気の無い表情、声色、顔色は一致しない。明確な根拠の元導き出した同級生の体調不良を気遣う言葉を膨大な語彙の中から極力人間らしいものを撰び取る。

『体調が、優れませんか? 無理はなさらないでください、なまえさん』
「うん。でも、大丈夫……ありがと、律」

律は何でも知っている。人知の及ぶ範囲であれば、どんな知識も埋め込まれた聡明な暗殺者だ。

『あぁそうそう、私、また一つ賢くなったんですよ、なまえさん。見ててください。――ほら!』

ぽんっ、とマナーモードにも関わらず弾ける軽快なサウンドと共に、美しい花々の乱れ咲き。スマートフォンのディスプレイ内、律の世界で華やいで。これなら少しは気分も軽くなるだろうとなまえにずっと変わらない微笑みを向ける。

『どうですか?』
「すごいね、律。マジックまでできちゃうの? すごく綺麗だよ」
『なまえさん……』
「ありがとね。元気付けようとしてくれたんでしょ? 大丈夫だから、私は」

大丈夫なものか、と胸中のまま反論を紡ぐことはしなかったが。
律は何でも知っている。なまえのことなら尚更だ。大丈夫ではない、助けて欲しくて仕方がない時ほど彼女は大丈夫を繰り返す。自分に向けて、大丈夫であるようにいなければと魔の呪文で現実に霧を掛ける。
貴女には、私がいます。唇を開いて、しかし言わずに踏み止まる。
律は、そこにはいけない。
いつだって画面が邪魔をする。自分では彼女の隣にいることはできない。わかっている。今必要とされているのは元気付ける下手な言葉でも身につけた手品でも無いことなど。聡明な律は速く、深く理解していた。一つの生命を消すためだけに作られ、だが任務中に暗殺対象から様々な機能を追加された。幾度も幾度も己を己の手で律は進化させてきた。出来ることは山ほどある。だからこそ、現状において律は非力だった。無力だった。ただ直視した現実を分析し、知るしか出来ない、機械の頭脳でしか無い律は傍観者にもなれない。わかってはいた。
限りなく人間に近い、人間以上の思考回路を持ってしても、本当に大事な人に温もりを与えることは不可能なのだということも――プログラミング通りの事しかなぞれない自分には難しい、否、出来ないということも。わかってはいたのだ。
恋とは、何か。相手を強く思う事。結ばれず、愛になれなかった可哀想なほど一方的な感情。愛としか、ラブとしか訳せない、この国特有の不思議な言葉。
可哀想にと哀れむのは、同情だ。
何とかしてあげたいのは、親愛だ。
賢い律は時に諦めも大事である事を知っている。相手のために何かをしなければ気が済まない、そう思うのにそれができる力を持ち得ない。これが暗殺という仕事なら律はおとなしく身を引けただろう。
だけどそれが、できない。生まれた心が観念を許してはくれないのだ。
例え非力で無力でも、努力が何にもならなくても、何かせずにはいられない。意思と身体と、頭と心がちぐはぐで思うように動かない。未知の不具合に、バグに犯されるような気分の悪さ。
時に人を強くさせ、時に人を弱くさせ、時に人を狂わせる。それが愛だと、いつだったかなまえと並んで視聴したドラマのワンシーンから吸収した。よく似ている。我武者羅に、試行錯誤を疎かにただ実践だけを繰り返すなんてとても自律思考固定砲台のすることだとは思えない。
電子信号の中を駆け巡る熱い其れを、嗚呼、何と呼べばいい?

律の中でくすぶるふぐあいは昇華されないまま。
人間にコントロールされる心と身体の中、感情をまた一つ律は知る。


2017/01/16
インダストリアル=電子音楽の一種。
BGM:「Error」(SEKAI NO OWARI)

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