短編

生命体の泣き言


幼稚園時代。
「なまえ、いいな。僕についてくるんだ」
「うっ…!? まって。浅野君!」

小学時代。
「なまえ、君も椚ヶ丘を受けるよね? 受けるだろう?」
「う、うん……。受けたい、かなっ」

そして現在――。

A組生徒が大半を占める委員会という組織の中で、C組生徒である私の存在は異色――なのだろう、普通なら。人数合わせで入ることになってしまった私に振り分けられた役目とは、鼓膜を引っ掻く音を奏でながらに誰の目にも存在を色濃く映すことはない。優秀な彼らの頭から溢れ出す様々なアイディアを正確に、時に要点だけを絞って記録していく書記は、決して目立たないよう、でしゃばらないよう神経を研ぎ澄ませて送る学校生活を体現しているともいえる役職だった。
黒板、ノート、ホワイトボード。それらに書き綴られていく文字は私のものであって私のものではない。なまえの字は癖が強くて気に入らないから直せ、と浅野君に言われ、彼好みの字体に強調されたのは何年前だっただろう。すっかり自分のものとして染み付き、手に馴染んでしまった字体を操ることは実に容易い。

「そこ誤字してるよ」
「……あ、ごめんなさい」

悪いことをしたらまず謝る。例え自分がそう思わなくても、相手が不快だと言ったら謝る。何もなくたって、人間関係が崩れる前にまず自分が折れ、謝る。それが15年間人生を生き抜いてきた中で身に着けた自己防衛の術であり、特に浅野君に対して、それは絶対だ。
身体の細胞一つ一つの奥深くにまで、教え込まれたみたいに。恐怖が私を蝕んでいく痛みにはもう慣れっこだ。

「なまえの字は綺麗だね。僕が一番好きな字だ」

すうっ、と私の文字を愛おしそうに指先でなぞる浅野君を見、なんだか秘密のノートを見られているかのように恥ずかしくて、心臓をぎゅっと掴まれたような感覚に制服のネクタイを握りしめた。

「うん……うれしいよ」

よく言うよ。自分で自分の好きなように、私の個性をも都合のいいように切り取り丸め、支配している癖に。
胸中悪態をつくものの、思い出を辿る度に人に言われれば何でも変えてしまう己の優柔不断さに悲しくなる。
支配者の遺伝子がめきめきと頭角を現し始めていることに気付いたのは、多分誰よりも私が先だった。

「なまえはいい子だ。僕の言うことはきちんと守ってくれる」

それでも危機なんて感じない。

「うん。私も浅野君に褒めてもらえるのうれしい」

称賛に対して、“そうかな”と自信なさげな答えを返す私は彼によって作り変えられた。
僕がそう言うのだから間違いないだろう、弱気な返事は必要ない、と。柔らかく湛えた笑みの内に潜むどす黒さが見えていないわけではないのに、意思を奪われ、従うことを喜びとして教え込まれた私の心はただ盲目的に彼を求めているのだ。
犬でも扱うように髪に触れて撫でてくれる掌は、心地良い。
私の居場所はここなのだ。ここしかない。


首輪がないと落ち着かない


2016/10/24
浅野君に逆らえない女の子のつもりが、相当な依存体質ドMヒロインになってしまいました。飼われています。

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