短編

月の海でなら裸足になれたね


■R18
■カーセックス



月影に黒々と聳え立つコンクリートジャングルを縫うかの如き逃走劇が幕引きと相成ったのは、深夜3時を回った頃だった。夜のビル街を縦横無尽に駆け回る、軽業師さながらの犯人には手を焼いたが、我らがゼロのエース、降谷さんの奔走もあって無事に確保へと至り、それから。

「君、家はa町の方だったな。このまま乗っていくか? 送るよ」

助手席のシートベルトを外し、純白のスポーツカーから下車しようとしていた私を、運転席の降谷さんが投げかけた言葉が引き止める。

「えっと、明日が早くから登庁で……帰るだけ無駄なので、このまま警察庁の方に戻ろうかと思ってました。着替えもおいてありますし」
「寝ないつもりか」
「仮眠室がありますから」

不健康だな、と不機嫌な横顔。私を横目に睨んだ降谷さんに、すみません、と曖昧に笑って返した。睡眠や食事の質を落とすだけでも忠告をしてくる彼が、その実今夜の私が仮眠すら取らないつもりでいると知ったなら、機関銃さながらの勢いで小言と、睡眠の必要性、重要性を細やかに説いてくるのだろう。となれば脳も躰も覚醒しきっているということは秘すれば花、というやつやもしれない。
――兎にも角にも、今夜はとても眠れる気がしない。映画のワンシーンをそのまま現実に持ち込んだみたいな、劇的な逃走犯を追い回していた緊張と高揚が、脳裏をネオン街のようにちかちかぎらぎら、騒がしくさせているのだもの。

「……だけど、まあ、気持ちはわかるよ。僕もこういう日は寝付けない」
「降谷さんでもですか」
「僕だって人体の仕組みには逆らえないさ。入眠の直前に運動をしたり、緊張状態になったりすると交感神経が活発になるから、入眠に適した状態ではなくなる……。交感神経が興奮することで分泌されるアドレナリンは、心拍数や血圧を上昇させ、躰のパフォーマンスや集中力を高めてくれるが……覚醒作用もある。アドレナリンは生命が危機に瀕しているときに分泌されるものだから、躰に寝てほしくない、ということなんだろうな。出血多量の人間が意識を失ったら死亡のリスクが高まるだろう?」
「なるほど……」

私は人知れず降谷さんの口から「興奮」という言葉が滑り落ちたことにどぎまぎとしていた。わかっている、言葉の綾だ。それに文脈を辿れば性的な意図がないことは明確で、必ずしも色香に纏わる意味で使われる語句でもないことは常識として備えている。
深夜のアドレナリンは人を愚かにするのだろうか。そうに違いない。

「……少し、付き合ってほしいんだが」
「え? はい、どちらまで?」

躊躇いがちに尋ねてくる降谷さんの方を向いた――その瞬間までは私も確かに純粋にこのあとの行き先を聞こうと首を傾げていた。
けれども降谷さんが私の膝の上においていた手の甲をするりと撫でたとき、先の問いの裏面に隠された意味など否が応でも悟れてしまって。

「いいか」

ああでも私の早とちりという線だってあったというのに、その短い言葉の温度が、意味なんてひとつしかないと告げている。
低く、潜められ、甘く掠れた降谷さんの声色は、ベッドの上で縺れているときにしか縁のないもので、夜陰を貫いて私を射抜く青色の双眸は熱く濡れていた。
こくり、と顎を引いた途端、運転席からこちらに身を乗り出した降谷さんによって唇を奪われる。――え? ここで? 予想だにしていなかったことにぱちぱちと目眩の証の星が散るほどまばたきを繰り返す。
「なまえ」と唇同士が触れるか触れないかの距離で名前を呼ばれて、背筋が溶け落ちるように力が抜けたが、必死に舌を持ち上げてせめてものお願いを紡いだ。

「あ、あの、場所、変えたいです……」
「ここでこのまましたい。だめか?」

駄目に決まっている。現役警察官が公然わいせつとか。
追い詰められた犯人でもあるまいに、あわあわと目線を彷徨わせていると、運転席の座席の下で、降谷さんの長い脚が窮屈そうに折り込まれているのが目に入る。古い車種だから平均を上回る身長の男の人だと大変そうだ。余所見でもしていないとどうにかなりそう。なのに甘えるようにすりすりと頬擦りをしてくる降谷さんが、判断力を削ぎ落としていく。興奮を煽る薪として頬や首筋にキスを焚べて、理性を焼き切ろうとする。
行為そのものは嫌じゃない。溢れるアドレナリンで平熱を上回った体温と覚醒しきった脳を職場でひとりで持て余すのは寂しかったろうし、渡りに船であることに違いはない。

「送ってくれるって言ってたじゃないですかっ。するなら家が良いです。それか降谷さんの家でも……。っていうか降谷さんどうしちゃったんですか、我慢出来ないからってこんなリスク犯すようなことしないでしょ、いつもなら」
「うん? 我慢できそうにないっていうのは本当だけど……こういうのに興味があったてね」
「えっ」
「悪くないだろ、たまには」

頬を撫でていた指先が耳裏にかかり、親指できゅうと耳朶を押される。変な声が出そうだ。

「場所は変えない。ここでしないなら今日はしない。君を送って僕は帰ることにするが。どうする?」
「そ、れは……ずるく、ないですか……」
「ずるい……そう思うくらいだ、君もしたいんだろう。ならわかるよな?」

肩にかけられていた褐色の手がするりと背中に回り、肩甲骨のあたりを抱いた。運転席の方へ寄れと促すように力が込められる。私の回答をまたずしてすでに彼は私を抱き寄せる心算でいるのだ。
決定権をそっくりそのまま彼に明渡し、私はされるがままに引き寄せられる――。

「か、カーセックス、には……私も関心があります……」

恥を忍んだ吐き出した私の科白に、降谷さんが柳眉を下げて笑った。

「僕もだよ」

と、炭酸の抜けたソーダ水のような、隙の目立つおそらく彼本来の笑い方をしたのち、そんな笑みとは対称的な逞しい腕力で、ひょい、と私を自身の膝に乗せてしまう。
降谷さんと向かい合い、彼の引き締まった両腿を跨ぐ形で運転席に座らせられた。いつもは助手席に乗せられることが多いがために、運転席から後部座席を眺めることになり、景色が新鮮に思える。
けれども脹脛に触れるシートの感触も、車内特有のガソリンのちょっとした臭みも、平素となんら変わりない。こんなにも日常と隣り合わせの場所で躰を繋げてしまうんだ――改めて実感を噛みしめる。

私達は再びキスに没頭した。密着して向かい合ったことで、それぞれのシートに腰掛けていたときよりもずっとキスがしやすくなった。
平素であれば、身長差の影響で、深く舌を絡め合うと私が二人分の唾液の受け皿となり、唇の端から顎にかけてを濡らしてしまうけれど、今日は膝に座らせられている分、普段とは逆転する形で顔の位置に高低差がついている。私の口腔を隅々まで貪って、そのうえで互いの唾液を口の横に零している降谷さんを見るのも、彼を見下ろしながら唇を重ねるのも、全てが新鮮だった。
背中を抱いてくれていた降谷さんの手が腰を滑り降り、柔らかさを確認するように臀部を撫でた。
驚いて絡まっていた舌を硬直させると、降谷さんの方から唇を離される。

「脱いだほうがいいんじゃないか。皺になるぞ」

勧めるような口ぶりで、けれどもすでに彼の手がスカートのファスナーをおろしにかかっていた。ファスナーを最後まで下ろすと、緩んだ腰回りに手を差し込まれ、スカートを脱がされる。観念して腰を浮かせると、そのまま脚から引き抜かれて空っぽの助手席のうえに放られた。
下着しか身に着けていない下半身で上司の膝に乗せられるのは正直とても肩身が狭い。現実から頭を切り離せていないがゆえの、私の居心地の悪さなど露知らず、降谷さんは手際よくブラウスの釦を外していった。すっかり前を開け放してしまうと、ブラウスの裾から手を滑り込ませ、腰のくびれをなぞりあげていく。胸元まで辿り着くと手は背中に回り、片手だけでブラホックを外してしまうので、器用な人だと思った。

肩の上でストラップが崩れてたゆんで、浮いたカップからほろり、と脂質の丘が零れ落ちる。支えを失した胸が重力に従って少しだけ下に引きずられる。けれど、大きな手が下からそれを軽く掴んで、元の位置に戻すみたいに揉み持ち上げた。
降谷さんの小麦色の指が、闇の中で白んで見える自分の胸に添えられ、色彩の差が顕著になる。
降谷さんの手はとても熱い。眼下でもにもにと彼の手によって形状を変えられていく自分の胸を見ていた。乳房全体を痛めない力加減で包んで、乳輪に指を這わせる。なぜか今夜の彼は飾りを避けるような触れ方を徹底するから、爪の付け根が乳首にあたるだけで期待しそうになる。
下の口が歓喜の叫びでもあげるようにはしたなく動いた。脚の間がぬかるみはじめていることがわかり、私は少しだけ腰を浮かせ、なるべくそこを彼の脚に押し当てないように務める。自分の体液で染みを作りたくなかったのだ。

「触って……くれないんですか」
「触ってるけど?」

ついに痺れを切らした私は催促を唇に乗せる。降谷さんは喫茶店探偵の顔を演じている時みたいに敢えてすっとぼけるように応じ、乳輪の外周をなぞるようにくるくると指を動かす。

「ん……っ、えっと、まんなか、も、おねがいします……」
「真ん中?」

胸に触れていない方の手が腰を撫であげた。鳥の羽にくすぐられるような感覚と手の温度にびくびくと反応してしまう。

「言ってくれなきゃわからないよ。僕は人より察しが悪いから」

嘘ばっかり。ほんの少しの生活の痕跡からこちらの動向を全て見透かしてしまう、恐ろしい慧眼の持ち主のくせに。
今日は恥を忍んでばっかりだ。

「ちくび、触ってください……っ」
「……触るだけ?」
「な、舐めてほしいです、いつもみたいに」
「仰せのままに」

了承の言葉は王子様さながらの気品あふれるものなのに、形の良い唇が口づける先は私のぴんと立って肌寒さに震える胸の突起だ。降谷さんの端正なかんばせが私のなだらかな裸の胸のそばにまで寄せられる。
雄弁に推理を披露するくちが、自身のコードネームと同じウィスキーを軽々と煽るくちが。私の胸の前で割り開かれて、潤沢な知識の一つも語らないで、私の胸の先端をぱくりと咥えてしまう。
軽く吸われただけなのに、私は待ちわびた刺激に軽く仰け反ってしまった。零れそうになる声を手で喉の奥に押し戻し、彼の膝の上で息をつまらせる。

反射的に離してしまった腰を褐色の腕に捕まえられて、ぐっ、と彼の方へ引き戻される。強引さと力強さにさえも心臓がきゅんと締め付けられて仕方がない。
降谷さんは今度はしっかりと私の腰を抱き込んだまま、ちろり、と覗かせた真紅の舌を唾液で濡れた先端に絡ませ、やんわりと押し潰した。強い刺激ではないのにも関わらず肩を跳ねさせてしまったのは、胸元から私を仰ぐ彼の青い双眸とかちあってしまったから。
見ていろ、と命ずるような視線に逆らえず、私は舌先が私の胸を彼が丁寧に可愛がるさまを見せつけられる。

「んやぁ……っ」
「はは、こえ、おさえてるのもかわいいな」

突起を口に含みながら言うせいで呂律が回っていない。言葉を象るために蠢く舌が突起をゆるく撫ぜ、腰がくねる。

「そ、こでっ、喋らないで……っ」

瞬間、降谷さんがぢゅう、と音がするほどそこを強く吸い上げた。同時に、もう片方の胸の先端も同程度の力の強さでつまみ上げられる。
眼界が明滅して、シートの上に折り曲げていた足の先が丸まった。つま先に力を込め、どうにか快楽を逃がそうとするけれど、それも虚しく、私は背筋を弓なりにした。ぐらり、頭が後ろに傾く。

「おっと」

バランスを崩して背中から倒れそうになった私を降谷さんが抱きとめたのと、咄嗟に私が後ろ手になにかに手をついたのはほぼ同時だった。
刹那、ファン! と勢いよく鳴り響くクラクション。どうやらハンドルの中央を支えにしてしまっていたらしい。

「わ、ごめんなさい」
「ははっ、気にするな」

朗らかに笑いながら降谷さんは私を自らの方へと抱き戻す。

「いつ乳首だけでいけるようになるだろうな。楽しみだ」

彼の肩に顎を乗せ、しなだれかかった私の耳に飛び込んできたのは、不穏な野望だった。
矢庭に降谷さんの指先が脚の間に差し込まれ、ショーツの上からそこを探る。万が一にも彼の腿に体液を零さないよう膝を立てて股間を浮かせていたから、その隙間から手を入れたのだろう。
肉の丘の裂け目をするりと一文字になぞられると、すでに潤んでいるそこがぐちゅりと湿った欲の音を立てる。指で下着の生地を肌に押し付けられたことで雌の先走りがクロッチに染みてしまっていることが露呈し、恥ずかしさに目を瞑る。

「いつもより濡れてる。車でして興奮した?」
「ちが、」
「そっか、僕の勘違いか。挿入時に局部を痛めないために分泌されるものだから、反射的に濡れただけか」

またしてもわざとらしくとぼけつつ、指で恥丘の奥の割れ目を薄い布の上から探る。掻き分けた肉の奥に、ぐ、とショーツ越しに指を突き立てられて、降谷さんの首にしがみついた。
下着も脱がずに恥ずかしいところを触れられると、背徳感で却って躰の芯が熱を帯びる。
けれど、このまま中途半端にしか愛でてもらえないのでは焦らされるようでつらい。極薄い布一枚を隔てただけでも、この快楽の尻尾を追い回す行為のさなかでは障壁とも感じられ、私は胸への愛撫のときと同じ轍を踏まないようにそうそうに白旗を掲げた。音を上げた、とも言う。

「うあっ、ごめんなさい……っ、――興奮、したのっ」

降谷さんの唇が三日月のように弧を描く。作戦がうまいこと実った少年のような満足げな顔が目と鼻の先に寄せられて、ちゅ、と頬に口付けられた。よくできました、って言うみたい。小学生の頃に先生が描いてくれた花丸を思い出す。

「なら、次にしてほしいこと、言えるよな」
「えっ」

またですか。

「僕は合意の上でのセックスしかしないよ」

ひゃあ、警察官の鏡。
でも私に恥ずかしいことを言わせるための建前も兼ねているんじゃないか。なんて、訝しんでしまうのも無理はない。今日の降谷さんは何かと私に厭らしい申告をさせ、からかってくるのだもの。
常識を振り切った頭で眼前にぶら下がる褒美だけを求め、蜜を零す窪みに触れてほしいとねだることもできたけれど、ただ従うだけなのも癪だ。降谷さんの手を包む形で取ったのは私のささやかな反抗心で。

「ここ、触ってくれますか……?」

降ろしたショーツの中に彼の手を招き、ぬかるみに押し当てる。
これ、まんことかあけすけな言葉を口にするのとどっちがより恥ずかしいんだろう。言わされるよりマシだと思って触って欲しい箇所に彼の手を導く方を選んだものの、二度にわたりまばたきをした眼前の碧眼に、判断を誤ったのではないかと背筋が凍えていく。しかし。

「へえ――いつからそんなにえっちになったんだ?」

耳朶に吐息が触れるほどの距離で、そんなことを囁かれて。彼の手を宛てがっている割れ目の奥がどくんと蠢く。
恥丘同士の隙間を降谷さんの指先がなぞったことで私の拙い誘いでも彼の心を惹けたのだとわかった。
つぷ、と肉を押し退けて侵入する指先に、肩が跳ねる。第一関節が見えなくなるまで埋められ、縋るようにか求めるようにか、とにかく彼の指に吸い付くようにきゅうと締めると、爪の付け根の僅かな段差をその感触から鮮明に思い浮かべることができた。

人差し指で内側の肉を引っ掻かれたり、円を描くようにくるくると肉癖をなぞられたり……不意を打つ用に陰核に触れられたり。降谷さんは指一本で私を翻弄する。彼からすればすぐに濡れた声を上げてしまう私など赤子同然なのではないだろうか。
指が増やされ、それぞれをばらばらに動かされる。刺激に惑わされて喘いでしまう一方で、彼自身と繋がれるのをまだかまだかと心待ちにしている高望みな自分も裏にはいて。
指が三本は入らないと彼のものを受け入れるのはきついから、いつもそれを挿入の目処に慣らしている。それさえ終われば本当の意味で躰を繋げられる、というある種のお約束は、指の数がその本数まで遠ければ私を焦らせ、近づけば近づくほどにもう少しだという予告として機能し、胸を高鳴らせた。

「さんぼんっ、はいりましたか……?」
「うん、入った。もう少し慣らそうな」
「うぅ、はい……」

強靭な自制心がなければこの職は務まらない。降谷さんに関しては、学生時代は真面目では有るものの堅物で融通が利かない点が目立っていたと聞き及んでいる。
それは行為中という、人間の本性が剥き出しになるときにさえ失われず、それどころか顕著に現れた。ピルを飲んでいると言っても決して中には出してくれず、不衛生だからと口でするときにすら避妊具を欠かさない。自分は平気で私の股に顔を埋めるのに。前述の指の数という目安にしてもそうだ。
降谷さんが私に負担がかからないようにその取り決めを厳守してくれているのは百も承知だけれど、今日みたいに熱を持て余して善がる夜にそれは枷となる。はやく、と呼吸の隙間に急かしても彼は一向にそれを聞き入れない。
私の体に障りかねない分野においてはいつもそうだ、絶対に理性を手放さない……。

不意に降谷さんの指がぴたりと止まった。ゆうるりとした速度でそっと指が私の中から出ていく。卑しい肉が、名残惜しんで引き抜かれる指に絡みつくけれど、ついには振り払われた。
夜陰の中ではずっと色が濃く見える小麦色の指。爪の先から指の付け根にかけてまとわりつき、手の甲にも一筋垂れている私の液を、降谷さんの赤い舌が舐め取る。汚い、やめて、と思うのに、どうしようもなくどぎまぎもして、空の胎をはやく満たしてほしくてたまらなくなる。

降谷さんがシートから背中を遊離させると、助手席の前のグローブボックスに手を伸ばした。中の物を取り出すために上肢を少し前に傾けた彼の髪が頬に触れ、汗とシャンプーと彼本来の香りの混じり合ったにおいが湧き立ち、くらくらする。再びシートに持たれた降谷さんの手には正方形の薄い包みがあり、準備の良さにこの状況も予め仕組まれたものだったのではと戦慄する。
薄い金属音を奏でながらベルトが外され、下着の中から車の天井を向いた熱と欲の芯がまろびでた。
浅く息を吐いて、それに薄い膜を着せていく降谷さんの俯きがちの眼が、いやに色めいて思え、私はそれをまじまじと見つめてしまう。

「そんなに見るなよ。穴が空くだろ」

私の視線に気づき、それを辿るようにこちらと視線を結んできた降谷さんは、冗談めかして笑い、冗句とは裏腹の欲に濡れた手付きで私の腰を引き寄せる。
背もたれに傾斜が着く程度に座席を倒し、ゆったりと腰かける格好となった降谷さんのうえに私は跨っていた。

私は半端に降ろしたショーツを片足のくるぶしに引っ掛けたままだし、上肢に至っては前だけを開けられているとはいえブラウスには袖を通したままで、ブラも肩紐が二の腕あたりにとどまって、恥ずかしい剥かれ方をしているというのに。降谷さんはベルトを外して少しズボンと下着を乱した以外、肌を露わにもしていない。私には皺になるなどと言ってスカートを脱ぐよう促したのに。
でもスマートでかっこいい上司の見てくれのまま、汗を滴らせて、呼吸を熱くして、双眸に欲を隠しもせず湛えている降谷さんのアンバランスさは、私の心臓をはやくする。

隆起したそこに腰を落としていく。狙いが狂わないように根本に手を添えたら、降谷さんの息が跳ねて、掌に収めたそれも共鳴するようにぴくりと震えた。
欲だけを芯に膨れた硬質な性器を自分の躰のうちがわで包んでいく途中、私は膝から力を抜くことを躊躇してしまった。このまま腰を落としきってしまえば自重と重力で性急に奥を暴かれてしまう。深く繋がることでしか味わえない幸福や快楽も有るけれど、とろけてもいない頭と明瞭な自我は、最奥を差し出すことを恐れた。
今はある程度自分で自分の体を支えられているけれど、行為に夢中になり、くたくたになってしまったら、きっと降谷さんにのしかかってしまう。彼を押しつぶすのだけは何があっても絶対にごめんだ。
私は腰を落としきらないように留意し、窪みの浅瀬の肉癖を彼のものに擦り付ける。

「……っ、なぁ、焦らしてるのか?」
「え、いや……」

そういうわけじゃ、と口の中で言う。でもそうなるのだろうか。
見下ろした降谷さんの瞳はより強い刺激を求めて切なげにこちらを仰いでいた。次いで降谷さんは「うまくできないの?」と、ぐぐっ、と下から腰を進めて挿入を深めようとしてくる。

「やぁっ……! ぜんぶ、はいっちゃいます……っ」

私は目を白黒させて咄嗟に飛び退こうとしてしまった。

「――っと、危な」

勢いよく腰を上げたおかげで危うく車の天井に頭頂を強かに打ち付けるところだったけれど、寸でのところで降谷さんが私の頭と天井の間に手を差し込み、庇ってくれる。添えられた手を挟んで衝突したおかげで頭骨を鈍い痺れが走る程度で、痛みは感じずに済んだ。
カーセックスってこういうところが不便だ。きっといまお互いの考えは一致している。それでもなおやめる気はないところまで、きっと同じ。

「だめ? 好きだっただろ、奥突かれるの」

問いながら、降谷さんは挑発するみたいに真下から性器を私の中に押し込んだ。
好きとか突いてとか言わせる気なんだろう。実際、下から熱い欲を突き立てられるのは刺激的で、求められているであろう卑猥なおねだりを観念の証として唇に乗せてしまいたくもなった。

「すき、だけどっ……、わたし重いしっ」
「ああ、それで浅くしようとしていたのか」

でも君のはじれったいからなぁ、そう続けて。頭に充てがわれた手に力が込められる。彼の指がくしゃりと私の汗ばんだ髪を絡め取る。

「ぶつけられたら敵わない……もっと寄って。覆い被さるくらい」

そのまま抱き寄せられるけれど、私はこの期に及んで往生際悪く抗った。

「や、やだぁっ、重いからぁっ」
「君一人支えられないほど、やわじゃ、ないさ……っ」
「あっ……!」

痺れを切らしたらしい降谷さんによって力強く抱き込まれ、彼の上に引き倒される。こちらが泣きそうになりながら上肢を引き剥がそうとするのに先んじて腰を抱き竦められ、阻止された。逃げ場なんて枝の一本ほども残されてはいやしなくて、重力のままなす術なくずぶずぶと胎の裡を暴かれていく。
はじめのうちはばたばたとひっくり返った蝉のような無謀な抵抗を図り、「重いです」「重くない」と無意味な応酬を繰り広げていたけれど、ちゅう、と脈絡なく胸の飾りを吸われてそれすらも封じられた。立ち上がってきた乳首の中央に舌先を押し当てられ、母乳を出すためにシャワーヘッド状になっているところをぐりぐりと押しつぶされる。反対の胸は指でくるくる弄ばれた上にぴんぴんと弾かれて、体重をかけないように配慮する余力は根こそぎ奪われた。頭が回らないし躰にも力が入らないのだ。
下肢を揺すられながら胸もいいようにされては人語も紡げない。嗚咽めいた声を唇の端から滑らせて、降谷さんの膝の上で震えているだけ。

胸に吸い付いている降谷さんが赤ちゃんみたいで、快楽に霧をかけられた頭の片隅でかわいいなどと思ってしまって、胸元に埋められている金の髪をそっと撫でた。すれば、ぱちり、降谷さんと視線が交差する。目があったことを知覚した瞬間には下から唇を重ねられていて、髪を撫でたのがキスをしたいという意思表示として受け取られたのかも、と一拍遅れて理解した。キスした瞬間にきゅんと中で締め付けてしまったからか、降谷さんは心なしか機嫌良さそうに私の唇を食べていた。
自他の境界も曖昧になるような口づけだった。だって唇と性器を一緒に結んでいて、そのどれもが熱くぐちゃぐちゃに濡れている。
私は必死に降谷さんの舌に追いすがって、そして下肢も揺すった。
混ざりあった体液のように自分たちも溶け合おうとしている。
自分たちが白いスポーツカーの中で茹だっているみっともない大人だということを忘れるくらい、夢中だった。

「は……、どこまで入ってる? 教えて」

そう問いかけてくる唇は、つい今しがたまで自分のそれと触れ合いキスをしていたもの。それが何事もなかったみたいに語りかけてくるのが現実に引き戻されるようでどうにも名残惜しい。
降谷さんの声にうっとりとしつつ、離れた唇を惜しんでいた私は、「聞いてる?」と再度問われて思い出したように自身の腹を手で撫でた。ここ、と指し示すように。
指し示した場所を皮膚の上から降谷さんの指で押されて、少し怖くなる。そんな中に入っているものと擦り合わせられたら……。ひっ、と息に混じって悲鳴を漏らせば、よしよし、と宥めてくれるみたいに唇を重ねられた。

「わかるか? 中も僕のに吸い付いてきてるんだ……。上も下もキスしてる」
「ん、あっ……」

かわいいよ、って言って、彼はまた私にキスをした。
胎を埋められていっぱいいっぱいになっている私の唇を割って、口腔まで舌を迎えに来てくれる。凝り固まったように動かせずにいる舌をやんわりとほぐし、絡め取る。
降谷さんと繋がることで自分の胎の中の形状を触覚から意識させられる。胎の奥に突起のような、顔だしている何かがあるなんて知らなかった。ペニスの先端で抉られて初めてポルチオという器官を知識ではなく自分の体の一部分として認識させられた。

「子宮口、降りてきてるな」
「わかん、な……」
「さっきよりも奥に届きやすくなった感じ、しないか?」
「え……」

子宮が降りてくると表現する場合もあるけれどそれは言葉の綾で、正確には行為中に快楽を覚えると子宮口が下がり、膣口から見たときに位置が近くなるということらしい――降谷さん談――。
言われてみればそうかもしれない。自重でより深々と挿入されているのも相まって、先端が時折こつんと最奥にあたる。そしてその回数は徐々に増えつつ有り、にいと口角を吊り上げた降谷さんはノックのようにそれを意地悪く繰り返した。

「んっ、や、あぁっ、そ、それっ、だめですっ」
「君も限界が近いってことかな。僕もだよ……」
「だ、だめ、だってばぁ……っ」
「だめじゃないだろう? ほらっ」

自分が悲鳴を上げたのかどうかさえわからない――両脇に手を差し込まれたかと思うと躰を持ち上げられ、一度引き抜かれて空っぽになったそこを、真下から貫かれる。一息にペニスのほとんどを挿入したおかげで、幹と肉壁が擦れて喉をのけぞらせるほど気持ちが良いのに、さらに追い打ちのように勢いづけて奥を突かれれば、衝撃と快楽が襲いくる。脳天を撃ち抜かれるような痺れと、前後や左右がわからなくなるほどの目眩、明滅。
自分の喉の震えで、恥ずかしい声を上げてしまっていたらしいことをしる始末。
おそらくポルチオを潰されたのであろう衝撃で中が伸縮し、さらにその後の幽かな痙攣が降谷さんに射精を促したらしい……。どくん、と私を貫いている芯が拍動の如く震えたとき、降谷さんが私を抱き竦めながら一瞬だけその身を硬直させた。刹那、降谷さんは身をかがめて私の鎖骨に額を埋め、はあ、と熱く切なげなため息を転がす。びりびりと熱い呼吸に焼かれた皮膚が痺れた。

「は……大丈夫か?」
「あ、ん……はい」
「はは、茹でダコみたいになってる」

熱を孕んで赤く染まった私の頬をつつきながら降谷さんは上機嫌に笑う。
呼吸が整うと自己を客観的に捉えられるようになり、自分の赤ら顔が恥ずかしくなって手で覆い隠した。

「やだ、見ないでください……絶対顔真っ赤です……」
「かわいいってことさ」

顔を包む手の甲にキスをする降谷さん。
手に隙間を作ってそこから視線を通し、問う。

「本当ですか?」
「本当。あんまりかわいいからえっちしたくなったわけだし」

手を退けるとキスをされる。他愛もないバードキスをちゅ、ちゅ、と重ねた。
引き抜かれるときに中に擦れて「ひゃん」と声を上げたら、「えっち」と罵りにもならない甘い意地悪を言われてしまう。
避妊具の口を絞って後部座席に投げた降谷さんが、流れるような動作で新しい包装紙をグローブボックスから取り出すのを見てしまい、背筋が冷える。え、まさか、とまごまごとしている間にシートが倒され、がこん、という衝撃に目を閉じていると彼の膝の上にいたはずの私はほぼ水平になったシートの上に押し倒されていた。知らぬ間に反転させられている。

膝立ちで私を押し倒した降谷さんだったけれど、何かを思い出したように再びグローブボックスへと手を伸ばす。取り出されたのはミネラルウォーターのペットボトルで、キャップを捻るのとは反対の容器を抑えている方の手がプラスチックを軽く凹ませていて、そんなところから降谷さんの握力を知らしめられる。
ご自身で一度水を煽ったあと、ボトルをこちらへと差し出してきた。

「飲んでおけ、汗をかいて水分が不足してるはずだ。体力勝負だぞ」
「は、はい」

セックスはスポーツとはよく言ったもの。
仰向けに寝転んだままでは飲みにくいので、地面に対して平行になっている背もたれから上肢を浮かせてひとくち口に含む。
降谷さんは私が水を補給している間に未使用の避妊具を着け終えており、私が手の中で持て余していたボトルをひょいと攫うと、軽く蓋をして助手席に転がした。
先程精を吐いたのも嘘のように、臍を掠めるほど反り返っているペニスから目を逸らしたい衝動に駆られる。降谷さんは隆起した其れの根本に手を添え、私の脚を割り開いた――刹那。

「いてっ!」

ごつっ、と鈍い音と降谷さんの悲鳴がほぼ同時に車内に響く。
ぎょっとしながら慌てて見上げた先では降谷さんが金髪をかき乱しながら自身の後頭部を擦っており……嗚呼、なるほど、天井にぶつけてしまったのか。彼のようなすらりとした長身では脚も窮屈になる狭いRX-7、無論天井も低い。シートを限界まで倒しているとはいえ膝立ちの状態で気を抜けば頭が天井を掠めるのも道理。しかし私がぶつけそうになったときはスマートに庇ってくれた彼が、自身のことになると気が回らずぶつけてしまうとは。なんだかかわいらしい。

「ふふ、大丈夫ですか? 降谷さん」
「笑うな……。糞、狭いんだから仕方ないだろう……」

言い訳とも文句ともつかない独り言を垂れながら、降谷さんは改めて私の膝を抱えて、自身の眼前に私の恥ずかしいところを丸裸にした。つい先刻まで彼のものを突き立てられていたそこは失った栓を求めてくぱりと口を緩め、愛液の涎を垂らしており、垣間見えているのであろう肉癖の内側に迷い込んできた外気が触れて寂しさを煽る。
まだやるのか、なんて恐れ慄いていたくせに、いまではすっかりこの雌という生まれながらの不条理な凹凸を満たしてほしくてたまらない。

先程の反省からか、頭を低くして私の躰の上に濃く影を描いた降谷さんが、屹立の先端を沈めていく。
ぬるん、と早くも馴染んだ私の肉は抵抗らしい抵抗も見せず、彼を飲み込んだ。一度目は息を詰めながら少しずつ受け入れていったそれを、歯車を組み合わせるように極自然にするりと。
圧迫感は多少苦しいが、坂道を登りきったときのように大きく呼吸が崩れることもなく、まるで自分の躰が淫靡になってしまったみたいで、泣きたくなった。
腰を推し進めつつ、降谷さんが上体を私の方へと倒してくる。
ぷら、と垂れたネクタイをうざったそうに退けて胸ポケットに差し込む。それだけの動作で締めてしまったのが恥ずかしくて、わっと顔を手で覆い隠した。――いま、絶対閉めちゃった……。

「……っ、なに?」

降谷さんが突然私が締めた理由を追求する。

「や、なんか、ネクタイそうするの、えっちだったから……」
「はぁ、わからないなあ、君のツボ」

でも降谷さんは少し嬉しそうだ。照れたように微笑んだあと、キスをしてくれた。
シートに膝立ちしていた降谷さんは膝を折って正座し、私の背中の下に両膝を差し込む。体と角度が固定されれば、涎を垂らす膣も存在を主張する陰核もあまつさえ肛門さえも降谷さんの眼前に晒され、羞恥に頭が燃えそうだ。

「え、え、え……っ!?」
「脚、絡めて……。僕に掴まっていいから……」

掴まってもいいも何も其れ以外に選択肢などない。蛙の死骸さながらに両脚を大きく広げて隠すべきところを露わにしたまま、くるぶしを額のあたりまで持ち上げられる。不安定な体勢ゆえに、覆い被さってくる降谷さんに縋らなければ、きっと崩れてしまう。
真上から、ほぼ垂直にペニスが宛てがわれたかと思うと、痛みもなにもなくそれは私の中に踏み込んできた。
視線を少し下へと転がせば見ることのできてしまう結合部は、大きいはずの彼のものを半分近くも飲み込んでいて、あとは根本を残すのみ。嘘、こんなに早く……?

「ふ、ぁあっ!? う、うそっ、おくまでっ、来ちゃってる……!!」
「ああ……いっぱい奥、突いてやろうな……っ」

宣言の後、ずず、と降谷さんが腰を推し進めれば、たったの1ストロークにも関わらず先端は奥に差し掛かる。
――二度目だから? 総身でプレスするような体勢のせい?
すんなりと侵入を許してしまったことに我が身のことながら驚きを禁じえない。体で、行為そのもので、お前は淫乱なのだと物語られているみたい。あっけなく奥を暴かれ、少し勢いづいて押し入ってきた先端がぐちゅっと最奥を押し潰した。

「ひゃあぁんっ……!」

奪われた脚が甘い痙攣を起こし、ぴんと天井を向く。
世界から色彩という色彩が失せて、文明的な思考を剥ぎ取られた脳に明滅が連続する。稲妻のような快感が子宮から脳天にかけてを走り、顎に力が入らなくなって悲鳴じみた嬌声を抑えるすべもなく垂れ流した。

「は、んっ……すごいな……さっきよりずっと、奥、当たってる……」
「ん……っ、うぁっ、あぁ……っ!」
「もっとここ、こつこつしてほしい?」

苦しくて、気持ちよくて、降谷さんの言葉にわけもわからず必死にこくこくと頷いた。
腰が浮かされているせいで、突き立てられている肉の芯も、それを喜び勇んでうねりながら迎え入れる自分の肉も、目と鼻の先に認められる。自分が今何をされているのか、自分の体が喜々として肉を絡みつかせている光景をまざまざと見せつけられて、泣きたくなるほど現実に突き刺された。
こんなにされたら、奥、突き破られてしまいそう。自分でも未知の部分を抉られるのは酷く恐ろしい。けれども疲れるたびに火花が散って、自制心が氷像のように削られて、次を求めてしまう。

縋るように降谷さんの腕に触れると、彼は全部をわかってくれているみたいにすぐに抱きしめて応えてくれた。
まるで乱暴に犯されているかのような体勢なのに、降谷さんの腕は乱雑とはいえど骨が軋むほど私をきつくかき抱いて、呼吸の許す限りキスをくれるから、襲われているのか愛でられているのかぐちゃぐちゃな頭では判別できない。
汗で濡れた上肢同士を貝殻を閉ざすようにひたりと合わせ、拍動を聞かれそうなくらいに密着すると、比例して苦しさも増す。抱きしめられれば抱きしめられるほどに体重がかかり、亀頭が子宮に深々と刺さる。
重みのあるピストンは痺れるほどきもちよくて、でも底の知れない快感が怖くもあって。降谷さんの腕の中に閉じ込められていると酷く安心した。私を怯えさせる快楽を与えているのも降谷さんなのにおかしな話。

キスのさなか、髪が乱れることも厭わない手付きで頭を捉えられれば、捕食者と成り果てた降谷さんの決して逃すまいという強い意志に子宮がときめく。下品なくらいに唾液を唇の横から垂らしながら私は必死に彼の舌を追った。砂漠でやっと水にありついた放浪者のように、それだけが救いとばかりに私を惑わす彼の舌を吸う。かぷ、と舌を甘く噛まれたとき、またなかにいる彼を締めてしまった。

「ん……っ、出そう……っ。いいか?」
「ひゃ、いっ。出してくらさい……っ!」

間近にある、降谷さんの目鼻立ちの華やかな顔。額には汗の粒を撒いて、顎から伝う雫は私の胸の上に落ちてくる。閉ざされた瞼が力み、きゅ、と柳眉が顰められる。
ペニスのなかの尿道が私の奥に対してほぼ直線状になっており、子種が子宮めがけてまっすぐに撃ち出された。
薄い膜を隔てていることも忘却して、孕んじゃう――、と白む意識の中に畏怖を浮かべる。

互いに息があがっていた。私はともかく、降谷さんが涼しげな面持ちを崩してくれるのはこんなとき以外はなかなかない。
律動は止んだとはいえ未だ彼のものは私の中で、体勢も私を圧迫するようなものから変えられていないから、重くて苦しくて仕方がないけれど、私は彼の拘束の中で、ただ愛しい人の余裕のない様を特等席から見上げ、酔っていた。
のぼりつめてからしばらくは自身の腕の中に私を捕らえていた降谷さんだったけれど、ゆっくりと息を吐きながら上体を起こす……また頭をぶつけないように慎重に。
抱えあげていた私の脚をそっと降ろし、垂れがちな青い双眸を甘やかに緩め、言う。

「ごめん、苦しかっただろ」

乾ききった喉では返事もできなくて、私はぶんぶんと首を振った。

「ほら、水分補給」

目の焦点が合わず、差し出されたボトルをボトルと認識できない。降谷さんの言葉が耳から頭にまで回ってくるまでには時間を要し、嗚呼、水をくれたのかと理解したときには。

「はあ、この甘えん坊」

彼は自身でボトルに口をつけていた。顎を反らし、水を口に含んだ降谷さんは、ごくりと嚥下の音を鳴らす前に、シートに寝転んでいる私に唇を押し付ける。本当は自分で飲めたけれど、約得だと思った。
口移しで飲む水は生ぬるく、味や香りの代わりに官能的な気配がした。
ボックスの中に準備されていたらしい汗拭きシートで降谷さんが体を丁寧に拭いてくれる。何も考えられないし、何も考えたくなかった。気怠い躰はとびきり優しくて世話焼きな恋人に任せきり。
一通り身綺麗にしてもらい、降谷さんも自身の汗を拭き終えたあと。

「はぁ……またデートしたいな」

徐ろに降谷さんが言う。私は久しく聞いていないその単語をあろうことか聞き返してしまった。

「あ、え、デート……?」
「なんだ、したくないのか? 僕が相手じゃ不満か? それともセックスだけしてたい?」
「で、デートしたいです! 当たり前です!」

降谷さんはマメだ。多忙の権化の如き人なのに料理に凝ったり、扱いの難しい車を乗りこなしたり、私と生活が交差する前から独身としての生き方を楽しんでいたように思う。
交際を始めてからは私の存在がライフスタイルに組み込まれたことで多少の変動はあったみたいだけれど、根本は変わらず、恙無い。会って抱き合って寝るだけの、セックスフレンド染みた爛れた過ごし方を厭うのはどちらかといえば降谷さんの方だった。

「どこに行きたい?」
「え、えーっと……」

禄にデートなんかできない、できたとしても急な召集で中断されることを覚悟の上で関係を結んでしまったがために、咄嗟に出てこない。
場所が車内なので咄嗟に思い浮かぶのはドライブデートだが……ドライブデートなんてしたら此処で淫らなことをしたことを思い出してしまいそうだ。
うんうんと頭を捻る私に降谷さんが助け舟を出してくれる

「やりたいのにできなかったことくらいあるだろう。君も休みはない方なんだから」
「え、映画、とか……? ずっと映画館行ってないし。でも私が見るようなのなんて降谷さんは詰まらないですよね……。えーっと……」
「いや? 映画のジャンル以前に、僕は君の好きなものに関心があるよ」

愛しているといった言葉は一切使われていないのに、まるでそう言われているみたいに、自分がどれほどこの人から愛されているのかということを許容量も超えて教えられる。

「それに世俗的なものに触れておくのは安室のときに話題に困らなくていい。……そうだな、僕は……ライブに行きたかったな。日程が合わなくて断念することが多いんだ。それか、当日の呼び出し」
「あるあるですね。風見さんも沖野ヨーコのコンサート中に呼び出されたって言ってたなぁ」
「そうこうしているうちに好きだったアーティストは亡くなってしまうしね……。知ってるか? 波土禄道っていう、ロックミュージシャン」
「『ASACA』って曲を出すっていうときに調べに入った人ですよね。本当にファンだったんですか? てっきり接触することになってから勉強したのかと……」
「まさか。学生の頃からファンだったよ。好きな曲も本当に『雪の堕天使』だ」

彼が表社会や裏社会に持つ幾つもの顔は、降谷零から完全に切り離された架空の人格ではなく、どこかで彼と地続きになっている紛れもない彼の一側面だ。シェリーという組織の科学者を撃たずに連れ帰ろうとしていた殺生を好まないバーボンも、料理とギター演奏を好み、どこかマイペースな好青年、安室透も。彼が演じているから、どこかに彼の面影がある。妖しく危険な表情を作ったり、逆に笑顔を増やしたり、取り繕っている箇所はあれど、全てが偽りなわけではない。

「昼間に君の観たい映画を見て、夜はインディーズバンドのライブがあればそれも行こうか。ああいうのは当日でも空きがあったりする」

降谷さんの口から編み上げられていく未来のデートプラン。
降谷さんに休暇が降りるなんて何ヶ月、下手をすれば何年も先のことになるだろう。こんな約束などピロートークの夢物語で終わってしまいそうなところだけれど、この人ならば反故にはしないんだろう。彼への信頼がそんな予感をさせる。
私が忘れるくらいあとになっても、しれっと「約束したじゃないか」などと言って、揃いの休暇に車を回して迎えに来てくれるに違いない。


2023/06/12
波土禄道の大ファンというのははったりではなく本当なんじゃないかと思っています

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