短編

透き通り方を知らない少年


※学生時代


調理実習――今日はクレープ。
出来栄えは拙かったけれど、エプロンを身につけたまま友人達と一緒に和気藹々と食べるクレープは、青春の味がする絶品だ。薄く伸ばした生地を折り畳んで、フルーツを挟み、チョコレートソースやクリームを絡めただけのレシピだから、どこの班も似たり寄ったりの出来……かと思いきや、一つだけやたらと賑わっている班があるじゃないか。
盛り上がっている隣の男子班を覗いてみると、どうやらあの仲良しな降谷君と諸伏君の二人が賑わいの源泉らしい。

「諸伏たちのすげーうまそー」
「降谷お前普段しないって言ってたの、本当だったんだな。てっきり謙遜かと思った。なんか意外」

そんな歓声が聞こえてくるので、私は想像が膨らませてしまい、食べ終えたばかりにも関わらず舌なめずりをしてしまった。
歓声の中心で埋もれている諸伏君と降谷君は蟻に群がられる蜂蜜みたいで少し気の毒だ。
人目を引く降谷君の髪色もすっかり人集りと喧騒の奥に飲み込まれてしまって。

「ねぇ先生、余った材料でもう一個焼いていいー?」
「いいけどちゃんと片付けてね」
「はーい」

同班の女子達が先生からの許可のもと、すっかり熱の逃げたフライパンを再び火に当て始める姿に首を傾げる。

「まだ食べるの?」

私が聞くと、彼女たちは目を丸くしたあとくすくすと笑い始めた。どうやら私は的外れなことを口にしていたらしい。

「違うよー」
「この子彼氏にあげるつもりなんだって」
「ちょっ、うっさい! あんただって好きな人にあげるとか言ってたじゃん」
「いいじゃん、一種の伝統だよ、これ」
「あー、実習のお菓子好きな人にあげるの流行ったって先輩達言ってた。そのさらに上の先輩の間でもそのまた上の先輩の間でも同じこと流行ったとかなんとか」
「うわマジで伝統じゃん」
「なまえちゃんも誰かにあげたら?」
「私はいいよ」
「そー?」

談笑から離脱して、家庭科室の背もたれのない椅子の上で伸びをしたとき。隣のテーブルを使っていた男子班の降谷君のアリスブルーの瞳と視線が交差した――一瞬のことだったから確証はないけれど、そんな気がしたのだ。
雲の切れ間のような、僅かにできた人混みの隙間から淡い青色を垣間見た気がしたけれど、すぐに人集りは密度を高め、その色は呑まれてしまった。


なかなか担任が姿を現さず、ホームルームが始まらないのをいいことに私は化粧室に足を運んでいた。
洗った手に貼り付く水滴をハンカチで拭いながら教室へ戻る。どの学級もホームルームの真っ最中なのだろう、生徒の影の見当たらない廊下。私の靴音だけが木霊していた空間に、新しい靴音が投じられた。顔を上げると今し方通り過ぎた家庭科室の扉が開いており、脱ぎたてらしきエプロンを腕に抱えた男子生徒が廊下に歩み出てきたところだった。

「あ、みょうじ」
「降谷君」

黒の学ランにさらりと揺れるハニーブロンドの短髪。結局さっきは視線は合っていたのかいなかったのか、疑惑のアリスブルーの双眸。校舎の乳白色の壁に映える小麦色の肌。
異国めいた容貌の主は私の視線に気づくや否や私の姓を唇に乗せた。

「ホームルームってもう始まったか?」
「まだだと思うよ。先生遅くて。だからトイレ行ってた」

約束なんてしていないけれど、言葉さえも交わしていないけれど、なりゆきで降谷君の隣を歩くことになった。
でも同じ教室を目指しているのだから当然だ。特別なことじゃない。喜ぶようなことじゃあ、ない。

「これ」
「え?」
「クレープ。貰ってくれないか? さっき作ったやつだけど」

透明なラップで丁寧に包まれた、食欲をそそる狐色の焼き目のクレープ。
それをこちらへ差し出す片手は健やかな印象を植えつける小麦色。揃えて切られた爪が几帳面な降谷君の性格を滲ませている。やや丸みを残した未発達の輪郭でありながら、確かに骨が育っていることがわかる指。
渡されたものを受け取って、そしてそれで終わりでいいだろうに、なぜだかまじまじと見つめてしまった。

「嗚呼、もしかして疑ってる? 大丈夫、ヒロ……諸伏と作ったから味は保証するよ」

黙りこくっている私に降谷君が言った。そういえば、なんでもそつなくこなす降谷君だけど料理は苦手だと諸伏君が言っていた。

「降谷君、甘いもの苦手なんだね」
「……? 好きだよ?」
「自分で食べなくていいの? せっかくおいしそうなのに」
「それはみょうじに作ったものだし」

私宛てだとさらりと言い放つ降谷君に、驚きと期待感と胸の高鳴りを禁じ得ない。
あ、ありがとう、と限界が近いなりに懸命に紡いだ。すると彼はむっとした顔をする。

「でもなんで」
「……気づけよ。さっき自分で喋ってたことじゃないか」

にぶちん。
とげとげとした言葉をこちらに一方的に投げつけて、彼は先に教室の喧騒に身を溶かしてしまった。
聡明で優等的で降谷君にしては不相応な、幼なげな言葉選び。いつも輪の中心にいる社交的な降谷君にしては珍しく、キャッチボールをさせてもくれない、捨て台詞。
喋ってた、って。まるでずっと見ていたか、耳をそば立てていたかのよう。
あのとき?
あのとき、喋っていたこと。
先輩も、そのまま上の学年の先輩も。好きな子に、甘いものをあげる――って。


2021/02/22

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