短編

永遠はきみがくれるクッキーみたい


まっしろい壁。扉の外の廊下は、円状ではなくて、直線的。無菌とさえ思える清潔感と、貝殻を檻にでもしたような閉塞感と、整いすぎた非日常感がどこか私を突き放す、マイルーム。
何度ベッドのうえを転がっても、深く息吹いてみても、自身の心音を確かめてみても。瞼が硬直したかのようにずっと私は目覚めたままなのだ。
さざなみの囁き声も星明かりも届かない、虚しいほどに純白な室に――波紋を描いてみる。

「アーサー……そこにいる?」

そう一言、一石を投じると。しゃらんら、と室の一角に蒼白い輝きが一筋舞い上がる。その光が人影の形状を象ると、ほどなくして、霊体化を解除したアーサーが夜陰を裂いて現れた。

「いるとも。どうしたんだい、マスター。ひょっとして、眠れないのかい」
「うん……。あんまり疲れるようなことはしてないはずなんだけど」
「そうか。もしかすると神経が張り詰めているのかもしれないね」

近侍とも云うのやもしれない。『お気に入り』機能をサーヴァントに設定すると、その子がマイルームで出迎えてくれたり、お茶や読書に付き合ってくれたりをするのだけれど。今夜、『お気に入り』のハートのしるしがピコンと光っているアーサーはというと。

「なら、僕が少し話し相手になろうか? マスター」

あ、“僕”って言った。
アーサーは私におしゃべりを提案してくれた。「失礼するよ」と断りののち彼がベッドに腰かけると揺れた鎧が鈴のように音を立てた。

「そうだな、マスターの国では、鴉は太陽の象徴として、大事にされているようだけど」
「八咫烏とかのこと?」
「あぁ、その認識で構わないよ。実は現代のイングランドでも似たような文化や認識が残っているそうなんだ。なんでも、鴉を虐げてはいけないらしい。――なぜだと思う?」

突如私に突き刺さった鏃に、脳裏を過ぎるものなんて戸惑いばかりの私に、アーサーは微笑みを崩さずに繋ぐ。

「それがね、僕は昔、魔法で鴉に姿を変えられてしまったことがあって」
「えっ」
「ふふふ。そう、どうやらそのせいらしいんだよ。“アーサー王”、ひいては現代の英国王室への反逆にあたる、と」

懐かしいこととして生前の冒険譚の一端を聞かせてくれる彼の横顔を、背を、私は見つめていたけれど、いやはや、見れば見るほど彼は白馬に乗った王子様みたいだ。
高貴で騎士道を重んじる、異なる世界の風来坊。それがカルデアのアーサー・ペンドラゴンだった。
けれども私も風来坊、なのかもしれない。2017年の聖夜から明けて、戦友たちが一騎また一騎と去って、私たちは追われて、そして。地球を蝕む空想からこの星を救うという、大義名分がもしなければきっと旅人ではいられなかった。風来坊ですらない、きっと可哀想な迷子だったろう。

それに聖夜を境に多くの別離があった。これまで結んだ縁の数だけの、たくさんのわかれだ。
そして。このすっかり洗われた地球のテクスチャをとりかえしたとき、また同じ別離が待っているに違いない。人理修復の旅のころから続く縁も、空想切除の旅で新たに結ばれた縁も、いずれはほどく。
だからというわけではないけれど。
私たちにとって、いずれ互いに手を振り合って道を違えることは予定調和で。別離と隣り合わせの旅人として、私たちの鼓動は共鳴している――のかな?
いけない。幻術のように、私の頭には霧が広がってきていた。回転力の弱る脳でもうじき自我が真っ逆さまに落ちていくことを予感する。

――緩んだかなぁ、神経。
――そうだ。
――アーサーも今までずっと張り詰めて、ずっとずっと力んでいたんだよね……。今も力んでいるのかな。

「アーサーは大丈夫?」
「うん? 何がだい」
「神経張ってない? 今も、ずっと戦いの中にいるみたいな気持ち、なのかな」
「否定すれば……それは幾ばくかとはいえ、偽証を孕んでしまうだろう。なにせ、こうして『お気に入り』のサーヴァントとされた以上、私は君を守らなければ、と。そう思っているのだからね」

左様に語り始めた折にはよもやと焦燥の種子が発芽してしまいそうだったけれど、なんてことはなく。言葉の終わりがけの、科白の尻尾がどことなくはずむようなにこやかさを帯びていて。

「……、あははっ」
「何かおかしかなことを言ったかな、僕」
「ううん……。ありがとう。アーサーはいつも守ってくれてるよ。ずっとそうだよ。私、ずっと知ってた。召喚に応えてくれたときから、戦えないマスターの私を守り続けてくれてた」

肋骨が融解して、心臓も堕落しそうだ。
もう眠い。
瞼の幕が引かれて、眼界狭まり霞んでいく。見える世界が三日月よりもずっと細くなってゆく。
不思議なことにアーサーのアーモンドのかたちの翠眼も、なぜだか細められていた。

「おやすみ――――マイ・マスター」


2020/01/15

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