短編

水中で愛を語る少年


水面に乱反射する真夏の日差し。飛び散る飛沫と水音が涼しげな空間を引き立てる。
殺せんせーお手製のプールでの水浴びの時間、水中で足をばたばた動かしては視界を泡で白く染めて楽しむ私とは裏腹に、浮き輪の上でボールを抱える茅野っちはどこか浮かない顔つきで。

「楽しいけどちょっと憂鬱。泳ぎは苦手だし…水着は体のラインがはっきり出るし」
「でも水の中入っちゃえばあんま気にならないと思うよ?」
「だ、だから泳げないのっ!」
「じゃああれやろうよ。ビート版の代わりに手引っ張ってばた足するやつ。私が引っ張ったげる」
「いいよそういうのは」

水場で唯一の安全地帯である浮き輪を手放すことを頑なに拒む茅野っち。プールにトラウマでもあるのだろうかと首を傾げながらも折り曲げた両脚を三角座りの格好で抱え込み、一度沈んでから底を蹴って浮上する。

「そんな怖くないのに」

ね? と言いながら水面から顔だけを出し、苦笑いする彼女を見つめた。

「じゃあ私がやってもらおっかな〜」
「何を?」
「人力ビート版」
「そんな名前なの!?」
「ううん、今付けた」

腕を引いてくれる人はいないものかと辺りをきょろきょろ見回すが、泳いでいたりボール遊びをしていたり、楽しそうな姿ばかりなのでなんとなく頼みづらい。
そんな中でふと視界に映り込んだ小さな水色の頭をじぃっと見つめていると私の視線に気づいたようで、ぴくりと肩を揺らしながらぎこちない動作で彼はこちらを振り向いた。

「な、なに……?」
「んー、なんかね、今やっと渚の性別に確信が持てた気がする」
「今日で2回目だよ、それ…」

不服そうな表情でぶくぶく気泡を泡立てながら沈んでいく渚を追って、自分も水の中に潜ってみた。
ざぶん、という音と共に切り替わった、一面がクリアブルーの世界に目を瞑る。――と、ちょんちょんと控えめに肩を突かれたので閉ざした瞼を強引にこじ開ければ、揺れる水面下で微笑む男の子が目に入る。
ステンドグラスのように優しく煌めく光が包んだ水世界。青い影の彩る乳白色の腕は相変わらず華奢で、こんな子があの鷹岡先生を倒してしまったなんて今も私は信じられない。
否、私の心が信じようとしていない。現実を受け入れてしまえば彼が遠い存在になってしまうような気がして、あの日の出来事から目を逸らし続けていたのだ。
吐息が泡となって肌を撫でた。
薄暗い光の中で白い手を翳した渚にこちらも手を振り返すと、今度は指の形を変えてきた。中指と薬指を折り曲げる代わりに、親指と人差し指と小指を立てている――なんだろう、変形した狐……?
目を丸くしながら、うっかり「それ何?」と問いかけようとして開いた口から川の水が流れ込んできた。まずい、と直感的に危険を感じ取った瞬間、渚に腕を掴まれ力強く引き上げられる。
空気に触れた途端、ぶはっと水を吐き出してそのまま派手に咳き込んだ。濡れた髪がぼたぼたと雫を落とす。

「みょうじさん大丈夫ですかっ!?」

後ろからかかった粘着質な声に振り向く間もなく手首を黄色い触手が絡め取り、引っ張られる形で岸部まで誘導される。
あ、これ私がやりたかったやつだ。ちょっと違うけど。

「これ以上の遊泳は危険です。みょうじさんはしばらくそこで休んでいなさい」
「はーい」

少し水を飲んでしまっただけなのに、溺れたと勘違いしたのだろうがこの先生はどこまでも過保護だ。直後、耳を劈くホイッスルがしつこいくらいに鳴り喚く。前言撤回、フィールドで威張り過ぎである。
止められてしまっては仕方がないので水の中に足だけを入れて冷えた感覚を楽しんでいると、超生物の意識がこちらに向いた。

「楽しむのはいいですが……みょうじさんも水遊びはほどほどにしてくださいね」

生徒に水をかけられ、弱点を曝け出してしまったばかりの殺せんせーは至近距離で尚且つ不意を突けば水を掬える位置にいる私の存在をかなり警戒しているようだが、別に私は企んでいただけで実行に移す気などさらさらない。そう、最初から。微塵も。そりゃまぁちょっとやってみたかったけど。
そんな思考の真っ最中、すいー、と泳いでここまでやってきた渚――なんだかんだ彼も楽しんでいるようだ――が私の隣に腰かけて心配そうに顔を覗き込んできた。

「ごめん。なまえ、大丈夫?」
「まぁ、なんとか。ていうかさっきのあれってなんだったの?」
「ん、ないしょ」
「えー」

普段は優しい癖に、こういうときは意地悪だなぁ。ばしゃりと足で水面を叩き、渚に水をかけてやると頭から派手にかぶってしまった彼は首を振って張り付く雫を吹き飛ばす。その動作がなんだか犬みたいで、小動物と重なってしまって本人に隠れてくすくすと笑う。

「泳いで来たら? ここにいても暑いでしょ」
「僕はいいよ。そろそろ時間も終わる頃だろうし」

結局渚が答えを教えてくれることはなく、水泳授業が終わる時間まで二人並んでクラス皆が泳ぐ姿を眺めていた。

***

放課後、課題を提出するため職員室に足を運ぶ。
マッハ20のスピードを惜しげもなく使いすぐに採点をしてくれるのはいい教師と慕う部分だが、変な問題を書き加えるのだけはやめていただきたい。笑顔の押し問答を繰り広げるにも根性負けし、観念した私は椅子のキャスターを転がしながら楽しそうにペンを滑らせる姿を見つめていた。

「ねぇ殺せんせー、これってどういう意味なの?」

昼間の不可思議な指サインを見せながら尋ねてみると、超生物は一度まあるい顔から表情というものを取り払った後、数舜後に見せたにたにた笑いは生徒のゴシップを収穫に出向く際、見せるものと全く同じ。何が言いたいんだ、殺せんせー。
明らかにおかしいその様子に理解しかねて首を傾げていると、傍にいたビッチ先生がくるりと肌を撫でる長いもみあげをかき上げて。

――それはアイラブユーって意味よ。やるわね。

艶やかな声に、耳元でそう囁かれた。


ラブストーリーはどこでだって生まれる


2016/07/26

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