短編

エトランゼの懊悩


※女学生シリーズ『ハニーミルキィ・ドライバー


ギンガムチェックの夏服が反射した紫外線が瞳を穿つ。快晴が嬉しい。仰いだ今日の蒼穹が厚い雲で満ちていたとしても、きっと浮つく私の心臓は少しも凹みはしなかったろうけれど。
テラコッタカラー――即ち焼いた土の色――の左右非対称な髪に焦点が合えば、途端に歩みは軽やかなステップを刻んだ。仕事の合間に走らせてくれる車では華麗に翻していらっしゃる礼服の丈長の黒衣も、今日はどこにも見当たらない。見慣れぬ軽装に身を包む中也さんは生まれて初めて目にかかかる他人のようで距離感を掴みあぐねてしまったけれど、いつもの黒帽子がちょこんと乗っているのを見つけると安堵で胸が染まる。

「今日は先越されたな」
「ふふ、早起きしましたから」

ほら、と執事のような振る舞いで助手席のドアを開けてくださる中也さん。粗暴な割りにやはり優美。異国の姫君のような扱いにも心臓が慣れ始めると、今度は何故こんなにも小慣れていらっしゃるのかが不可思議で。座席に腰を下せば、手足を一瞥され引っ込めているかを確認されて、閉ざされる。フロント硝子の前を横切る中也さんの、上機嫌な横顔に私は視線を縫い付けられてしまった。
随分と歳が離れているように感じるのも若さに由来するだけで、私達の年の差など実際は兄妹ほどだ。中也さんは新卒くらいなはずなのに、なのに何故。一体どこから。この色香は。
学校までのお迎えの時には時折荷物が乗せられたままであったりもするこの助手席も、今日は空っぽで整えられている。私のためかしらと考えると細胞の核から歓喜出来た。

「どこか行きたいところは」
「……ごめんなさい、吹っ飛んでしまいました」
「なんだそりゃ。……なら適当に走らせるか。思い出したら言えよ」
「はい」

運転席に座した中也さんが言葉を交わして走り出させる。

「にしても得体の知れない年上の野郎とドライブ、とか良く許可出たな。お前んとこ相当過保護っつうか厳しいらしいが」
「えぇっと、あの、怒らないでくださいね。友人の家でお勉強会って嘘ついてきたんです」
「ほう、そりゃ冒険だ」

私の細やかな悪行を中也さんは咎めない。
「……本当、過保護なんですから」私このままでちゃんと大人になり切れるのかしら、って不安に苛まれてしまうほどに。

「私、お酒のボンボン・ショコラですら頂いたことないんですよ。成人までは、って許して貰えなくって」
「真面目だな。律儀に守ってんだから。俺だったら隠れてとっくに食ってるぜ。てか飲んでた」
「えっ、嫌だわ。駄目ですよ、脳に障害が残るんですって」
「もう時効だろ……。勿論俺だってそれなりに隠れて、だ。それにんな小せえこと一々気にしてられっか」
「小せえこと、ですか?」
「おぉ」
「でしたら、もっと大きなことって? 万引き? ぐれてらしたの? 中也さん少し荒々しいところがありますものね。でも優等的にも見えます」
「……どうだかな」

運転中にはぐらかす彼は首を傾けてそっぽを向き、私から視線を逃してしまう。今日もまた例に違わずそのように。

「結局私、中也さんの勤め先すら曖昧なままです。中也さんは、ひょっとして本当に悪人なのですか?」
「――だったら、なんだ」

中也さんの、蒼い夜陰のような双眸の色は窓硝子に反射するだけの分では見えなかった。不意に見せる裏側を汲み取らせない賭博師の無表情で、それも横顔で片面だけ。低められた声色も鋭利なのか凪いでいるのか。どこまで本気の肯定なのかを掴みあぐねてしまい、不確かさが影を濃ゆめる。

「優しい振りして、取っ捕まえて食っちまおうって魂胆かもしれねぇなぁ。油断させちゃいるが、どこか遠くへ攫っちまう気でいるかもしれねぇぜ?」

歯を見せて笑む中也さんは私に人間の笑顔は本来は獣が牙を剥く行為であったという話を想起させた。
それは恐ろしいわ、って。

「誘拐くらい朝飯前だ。暴れて抵抗どころかのこのこついてくるような鶩みてーな奴なら尚更、な」
「……私のことでしょうか」
「どうだか」
「攫って下さっても構いませんのに」
「そういうこと言う相手は選べ」
「……そうですね」
「そういや思い出せたか」
「……え?」
「行きてぇ場所」
「いえ。まだ……」

嘘。
行きたい場所などは無い。何故なら居たい場所が中也さんのお隣で、見たいものはこの窓硝子を流れ行くものであるから。
血塗れになったみたいな色の嘘を吐血する他ないでしょう。ありませんなんて答えたら帰路に就かされてしまい兼ねないと危惧をしての強がりでした。
けれども小さな嘘を愛らしいと形容できるのもきっと三度目までに違いない。仏のお顔とおんなじに。


2018/02/21
エトランゼの懊悩:旅行者の悩みの意

- ナノ -