短編

ソルティック制服


本日、雨天。誰もの晴れやかでは無い胸中は空模様を色濃く反映しているから、少なくとも私はこんな日に意中の異性に募らせた愛の在り処を明かそうとは考えない。場の雰囲気にまで至らない思考はなまえちゃんの若さ故。真っ青な初々しさにはそれはそれで胸が打たれるものがある。
喫茶店の暗色を反射する窓に張り付く無数の水滴群から視線を移ろわせた刹那、そんな風にして、向かい席のなまえちゃんから秘めた恋慕の奇襲を受けた。はて、彼女はなんと言ったか。なんて、野外ならば雨音になすりつけて誤魔化しもよく効いたろう。私は幾度か瞬きを零し、ゆうるりと思考を廻す。

「それは告白でいいのかな?」
「はい……」

恥じらうなまえちゃんのセーラー服を着た肩は消え入りたそうに竦められ、いっそ気の毒だ。いたいけな少女の告白を邪険にはたき落とす真似など幾ら私でも出来はしない。見慣れた彼女の制服に自分は持ち得ない純情でも写し見ているのだと気がついたのは今し方だ。

「そう――ありがとうね。少し吃驚してしまった」
「太宰さんが? びっくり? 嘘です!」
「私でも驚くよ。唐突なんだもの」

真摯な伝え方を心掛け、声音を選んだつもりではあったがこちらが受け入れる事を躊躇う以上、傷口を浅く済ませられる道はあっても傷付けるのは避けられない。

「私ではやっぱりお眼鏡に叶いませんか? 私、美しくも何ともありませんし……」
「そういうわけじゃないよ。年齢差は真面目に捉える必要がある、というだけ」

それになまえちゃんはとても可愛らしいじゃない、と笑いかければ表情の曇りを晴らすことは叶わなかったものの、頬の朱色が強まったので少し満たされる。

「なまえちゃんはあと数年もすればとても綺麗になっているだろう。楽しみだな。その時にまた同じ事を言ってくれたら私はきっと手を取ろう」

卓上に肘をつき、折った手の甲に顎を預けて、うっとりと。目にかかるのは暫し先となる未来の姿に想いを馳せてみるが、自分の嗜好からして其れが結ばれない夢で終わりかねない可能性が切なげに脳裏を掠め、僅かばかりの無念を築いた。

「そんな顔をしないでおくれよ。3、4年なんてあっという間さ。私くらいになれば日々が瞬きをする間の事のようにあっという間に過ぎていく。敦君……部下の成長もまたそうだ」
「4年なんて……私には、長すぎます」
「そうか。そうだね。若い子にとってはそうだろう。でもね、だからこそその“長過ぎる”時間を私が奪ってしまう訳にもいかないのだよ」

考えてもご覧よ、とそこで息を継ぐが、――もしかすれば一息の間に沢山の言葉を吐き出せば躰の隅々にまで酸素が行き渡らずに眠れてしまえたのではなかろうか。そうでなくとも少女の一世一代を一刀両断どころか、根本から覆さなければならない現状に胸が張り裂けそうだ。比喩や隠喩の痛みで意識が肉体から解離してくれるのならこんなにも楽な事は無いのに。

「本当にそれは恋慕で間違い無いのかい? 周りの少年達の幼さが過大評価を生んでしまったとかではなく? なまえちゃんは恋に焦がれているだけかもしれない。私の歳に惹かれているだけかもしれない。そんなことで盲目的に尊い時間を棒に振ろうとしているなら、大人の私は止めなければならないよ」

諭す態を繕い突きつけてあげると、悲しげに開かれたなまえちゃんの瞳孔と、岩にでも堰きとめらたようになる喉。悪い大人の役を買って出、距離を置くのは悲しいかな容易いけれど可愛らしい女学生に其れはあまりに酷だと思う。

「……太宰さんじゃなかったらこんな風にはきっと伝えていませんでした」
「ほう?」
「私が大人になる前に太宰さんは亡くなってしまうかもしれないから。今しかないんです。太宰さんには明日がないかもしれないから」

いつ最後の言葉を言うか聞くか、最後に見せる姿になるか見る姿になるかもわからないのが、確かに私だ。もしこの刹那に死ぬとして、彼女の可哀想な表情が瞼裏に残り続けていたのでは安心してなど逝けまい。などと思わせたものは一体何であろうか。

「……恋ではないのかもしれません。ただの憧れですとか、そういうのかも。でももしそうでも、好きなんです、お慕いしています、例え意味が違ったとしても。太宰さんが亡くなってしまわれたら私は悲しいです。ですから、もしも引き留められるなら、私は!」

勢いよく持ち上げられたなまえちゃんの瞳の輝かしさと来たら。雨模様すら晴らしそうな日差しを湛えていて。

「……なまえちゃんはいい子だね」
「全然いい子じゃないです、現に太宰さんを困らせてしまっているんですよ?」
「この程度で参る私ではない。十分にいい子さ。他人の命の為に自分の大切なものを犠牲にしかけて。少し将来が心配になるくらいに。だから老婆心ながら、ひとつだけ悪知恵というものを吹き込んであげる」
「……え? はい」
「私はね、本当に君の将来が楽しみなんだ。もしもここで口車に乗せられでもして、『君が大人になるまで待っている』とか何とかうっかり口を滑らせてしまったら、私はそれまで生きざるを得なくなる。約束は守るものだから」
「約束をなさって、くださるんですか?」
「させてみ給えよ。言っておくけれど、私が罠にかかるなんて好機は滅多に無いよ。そうだね、今を逃せばもうないかも」

急かせばあたふたと言葉を探し求め、当てなく視線が卓上を放浪する。今日に限っては気の長い私にその必要は無いのだが、時限を恐れたなまえちゃんは、えっと、とまだ纏まりのない思考だろうに口火を切った。うん、うん、と私は一人余裕でにこにことこっくりを打つ。

「私……」
「うん」
「きっと素敵な淑女になりますから」
「それは楽しみだ」
「時間はかかると思いますけれど、でも」

嗚呼、焦れったい。
淡い恥じらいを頬に注ぎ、愛らしく口籠る女学生に勝ち星を譲り渡してしまってもいいのではなかろうか。口を突いて飛び出た失言を装い吐き出してしまっても。

「綺麗になって太宰さんをちゃんと捕まえます。ですからそれまで――」

物騒で拙い口説き文句は引き継ぎの形で返事とする。

「それまで待っていよう」

しかしながらやはり年端もいかない少女を相手にするというのは困難極める。法的には許されても、背後に佇むご両親はそう易々とは頷かない、そんな年頃の子など中々に。自立した女性相手だったなら薬指を華奢な鎖ですぐにでも繋ぎ婚約完了と出来ただろうに、黒のセーラー服の女学生ともなればそうはいくまい。実のところ一点に縛り付けて置けない性分であるのは私以上にこの少女の方なのだ。
だからひとまず、他に術が思い浮かばぬ私は小指を差し出し、絡める――そう、指輪を嵌める指の隣で、かつ前職では落とし前などなかったが為に切り落とす機会のなかったあの小指である――。

「針千本は勘弁してもらいたいかな。痛いのは嫌いだもの。いっそひと思いに、ね?」


2018/02/01

- ナノ -