短編

ピンクに染まる視界の隅で立ち尽くす僕は、


※話中に流血表現や登場人物の死を始めとする残虐な描写、オメガルビー・アルファサファイア編のネタバレ要素を多く含みます。所謂死ネタを扱うお話ですので、苦手な方、いい感情を持てない方は閲覧をお控えくださいますようお願い申し上げます。


共に世界を救った藍眼の少女を傍らに波の中を漂うボク。
最後に見たものは何だっただろう。ただの引っ越し先でしかなかったこの地方の終わり? それとも、時を超えて緑を運ぶ名も知らぬポケモン?
猛烈な睡魔に逆らい薄く開いた目でぼんやりと認識するのは自分の真横を流れていく時間。これまで歩み積み重ね、慌ただしく過ごしてきた日々が通り過ぎていく。表現としてはどれも間違っていないのに、活字に起こしてしまうとしっくり来るものがないのが何とも歯痒いところだ。
回想録の中に閉じ込められてしまったというべきか、はたまた現在から過去へと走馬灯の如く駆け巡る空を地べたから眺めているとでもいうべきか。トンネルを進み続けるような感覚に近しく、だが動いているのは周りばかりで、ただただ不思議な……何処か。
おかしいな、確かに感覚はあるはずなのに。
80日間の旅の中で巡り会った人々の生き様死に様が駆け抜けていく、哀しく苦しく、それでいて夢心地で、ボクは夢を見ているのかもしれないとすら思う、時間の流れの中だった。

そしてボクは見つけてしまう。多くの知人の一瞬一瞬の中に、彼女の“瞬間”を。
――キミも、なのかい……?
意識を馳せた途端に頭に流れ込んでくる夥しい情報に、死に対してのしたくもない納得を迫られる。
「嘘だ」のたった一言すら、疲れ切ったボクの身体では紡げなかった。人語も呻きも作り出せない今の自分が救世主の、ヒーローの、英雄の、図鑑所有者の成れの果て。
失われた命が戻る事はない、それは幼子ですら知っている世界の理。だけれどボクは、散華とするには彼らの無念を知り過ぎた。
なまえ、と。己の唇に名を乗せたような気になった、だけで。実際のボクはキミすら呼べていない。
紅と藍の宝玉が時の精霊の手によって砕かれた。
ボクはうつ伏せ、彼女は仰向け。浮遊感に飲まれる頃にはすでに意識は身体を離れていて。どこかボクの知らない場所に還っていく手持ちの6体目にさようならは言えなかった。

ふっ、と意識が浮上すると共に眼が開く。訪れた目覚めが、覚醒が、まさしく夢の終わりに違いない。

***

いつからこうしていただろう。己の意識の浮上すら知覚できぬまま、ルビーはマットレスに身を預け、焦点の合わない両眼で自室の天井を仰いでいる格好だった。
時の流れの中を漂う夢を見続けていた所為で、ここはいつだ、と覚醒から遠のいた頭で妙な自問をしてしまった。上体を起こしてベッドから這い出ると、目覚まし時計が視界に止まる。ここは、“現在”だ。意味の解らない自問を返す。

「なまえ……」

綺麗な響きを口の端から滑らせた。
紅の瞳を水膜が覆って重力に対して馬鹿正直に零れ落ちる。
超古代ポケモン復活によって引き起こされた濁流の中にもまれる少女の死に際の姿が点滅する視界の中に蘇った。

もし、図鑑ですら認識できない不思議な時の申し子がこの時のためにボクの側にいてくれていたというのなら、どうして――どうして彼女を救ってくれなかったのだろう。
世界もみんなも、意地悪だ。

***

そうだジョウト、行こう。思い立ったが吉日。本当の理由は言わず、周囲の人間には向こうのコンテスト会場を久々に観に行きたいと説明すればすぐにルビーらしいと送り出され、事件解決後もなまえの死に――正確には書き換えられた運命の中でも尚、還ってこなかったという事実に――長らく塞ぎ込んでいたために、ようやく立ち直りつつあるのだと母親からは喜ばれた。立ち直るどころか、前を向くどころか、未練がましく引きずって未来げんざいを歪めてでも取り戻そうとしているだなんてきっと誰も夢にも思わないだろう。
彼女を取り戻すという大義名分でも無ければ美への執着が並みではないボクが辺鄙な土地に足を運ぶなどあり得ない。
控えめに佇む祠を前にして、歩みを止めた。

「……いるかい?」

ウバメの森の不思議な祠。昔、まだホウエンに越してくる前のボクと巡りあってくれた神様を祭る神秘的な建造物。
茂る緑の中に問いを投じる。
どうか、来てほしい。助けて欲しい。肌を撫でる森のざわめきの中、そこにいるのだと信じて願った。
――景色は何も変わらない。
例えばより一層、木の葉がうるさく風と囁き合うようになっただとか、突然祠が眩く輝きだしただとか。そんなファンタジックな現象は何もなく。緑の精霊が舞い降りる感動的なワンシーンが始まったというわけでもない。ただ瞬いて視界を閉ざし再び開いた、1秒にも満たない瞬間の中で彼……あるいは彼女はボクに姿を見せてくれた。
時の中を駆ける若草色の小さな妖精にジョウトの生息情報をアップデートしてもらったポケモン図鑑を翳してみる――『セレビィ』ときわたりポケモン。

「ようやく君の名前、わかったよ。セレビィっていうんだね。美しい名だ」

ふっ、と笑んで。ボクが踏み込んだ時と同じ閑散さを取り戻す木々を横目に捉えながら言葉を繋ぐ。

「覚えているかな。少し前に君に助けて貰った時のお礼を言おうと思って。ありがとう。父さんを、カガリさんを、ダイゴさんを助けてくれて。もちろん、ボクらのことも」

大きな透き通り煌めく瞳が真意を探り出すようにボクを射抜いた。それじゃないんだろう、とでも言われているかのように思うのは、何か自分が始めようとしている悪い行いをこれから窘められるように錯覚してしまうのは、きっとセレビィが数寸も視線をずらさずこちらを見続けているからだ。

「一つ聞かせてもらうけど、なまえという少女を知っている? ……いや、知っているはずなんだ。ずっと連れ歩いていたんだから。旅の中で出会った女の子だよ。わからない?」

うんともすんとも答えないでただじっとボクを見つめるばかり。
無ではない何かの表情を映す硝子色の双眸は透明なのに、否、だからこそ思考がまるで読み取れない。
そもそも幻といえど相手はポケモン、物を考え何かを感じる脳と心を持たないと言われても反論できない。仮にその通りだというのなら何故セレビィは救ったのだ。ホウエンの有様に“心”を痛めたからではないのか。

「どうしてあの子はここに居ないんだ」

あの戦いで息絶えたはずの人々が死なずに済んだかもしれない“もしもの可能性”を、時を見据え時の中で息をするセレビィは多くの未来の分かれ道の中から探し出してくれたのだ。被害が最小で済むように。それが今ボクたちが生きる着地点で、終着点。
だというのにどうして彼女は、なまえは、ボクのそばにいてくれないんだ。彼女の死に対して君は何も思わなかったのか?
森を守護するポケモンに、半ば当てつけの如く強く問いをぶつけた。すると相手は表情にこそ微塵の変化も現わさないものの、代わりにどこか困ったような瞳をこちらに向けてきた。
暫しの見つめ合いの末、ついておいで、とまるで導くかのように。だけれどそれはボクにばかり都合のいいよう未来を変えよう、なんていう提案を秘めたものではなく。何か条件があるのだろうと察しながら、しかし何かを期待せずにはいられなかった。
踏み出す。時間の濁流の中へ。

***

血みどろな悲劇に身を食われる光景はあまりにも――あまりにも、残酷で。
呼吸をすることすら忘れたまま、瞳を閉ざすことも目を背けることもできずにただ見続ける。戦慄きながら死の瞬間を見せつけられても逃げ出さない、そんなボクのそばでセレビィが何を思い何を見ていたのか、ボクは知らない。
なまえを見ていた世界の記憶。すぐそばの距離にいながらも救いの手など差し伸べず、ただ静観するだけの神様はとてもずるい。
波に呑まれて苦しげにもがく少女の醜い最後にボクは死を間近に意識する。

ぷつりと途絶えたかと思えば、更なる過去がふよふよと眼前までやってきた。
それは彼女と最後に関りを持った幼子の場面。川に足を滑らせでもしたのだろう。冷水に肌を洗われ、いつ沈んでもおかしくないほどに衰弱しきった姿は哀れ。それでもどうにかして地へ這い上がろうもがく可哀想な子供へと、伸ばされた手は、全知全能とされる存在のそれではなく。ただのお人好しな一般市民の手のひらだった。
自分の危険など顧みずに必死に誰かを助けようと手を差し伸べ続ける彼女はやはりどこまでも優しくて。だけれどそれは結果が伴わなければ甘さとしか言えないもので。万人を救える強さも何も持たない、未熟ながらに少しばかり傷を癒すことしかできない彼女はやはり無力で、か細い四肢がもみくちゃにされ攫われるのは濁流の彼方。強風に煽られ足を滑らせた、それだけで呼吸をも許さないとは世界はどこまでも意地悪い。
知らない誰か小さな子と引き換えに失われたのはボクの大事な女の子。
電波を見失ったテレビ画面の如く、ぱっ、と回想はブラックアウト。
指先は何も無くなった場所を引っ掻くだけ。

例えなまえの魂がその身から離れてしまっても。残された傷だらけの蒼白い身体がただの抜け殻でしかなくたって、形ある姿として最後に君と会えたのは、セレビィの情けが作り出した運命の慈悲、だったのだ。



















空を駆け上がり、雲を突き破り、天を追い抜き、舞い上がる翡翠の龍神レックウザと共にボクらは一条の矢になる。襲い来る恐怖の隕石を打ち砕くため、いにしえより伝わる伝承と日々進化を重ねる科学技術の最先端を携え、使命を背負い、星屑の隙間をくぐりぬけていく。
眼前まで迫りくる果てのない星空に思うのは、ワープによって隕石の飛ばされた先に、ボクらがいま背を向けている地球と同じような生命が宿る星があるかもしれないという可能性。デボンコーポレーションの技術が次元の壁すら超えてしまえるほどならば、ボクが本来生きるはずだった、父さんやダイゴさんが死んでしまったあの世界に送られてしまう、という可能性もあるかもしれないわけで。そんなことがもしも本当にあるのなら、なまえが溺れる子供を助けず平穏無事に過ごしているという未来かのうせいもどこかに必ず転がっているはずなわけで。
パラレルワールドの存在だなんて定かではない空想を唱えるほどの浪漫は持たない。けれどそんな可能性の話ですら地球を救うためのエネルギーになるのなら、持つだけ無駄ではないだろう。
瞼の裏に思い出す陽だまりのようなあの微笑みに、ボクは場違いにも唇を綻ばせてしまった。
救いたい世界が、今この瞬間己の生きる“此処”だけである必要性なんてきっとない。これから自分は英雄になるのだ、少しくらい大きなことを望んでも罰は当たらないだろう。


2017/02/27

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