短編

ハート型に固めた人形


無欲ちゃん。

「おはよう、なまえ」

“シンクロ・オフ”が瞳から闇を払い、綺羅やかな光が灯ったその時が、ゴウセルの覚醒の瞬間だ。感情をたっぷりと含んだ、それでいて無機質な声音は挨拶をひとつ交わすだけで無邪気さを知らしめる。「おはよう、ゴウセル」。本来ならば最上級の敬称を使わなければならない、それこそ天地程の差がある立場なのだが、それも敬語も何もかも、すでにゴウセルによって取り払われてしまっている。さすがに最低限の丁寧な言葉遣いだけは残させて頂いているけれど。だってあまりに恐れ多い。

偉大なる術士であらせられるゴウセル様がご所望されたのは、彼と同名の御人形の母親役と御友人役だったのだそうだ。何でも、その大変麗しい御人形というのが、知能は成人以上にも関わらず、精神面は未発達で赤子と差異の無い純真無垢な方だそうで。
御人形と等しく人間に近しい容貌の、人間的な数え方をした場合に10代後半ほどになる年頃の、少女。と云う条件を満たしていたのが偶然にも私であった。でなければ私のような下位の者がこうしてゴウセル様の分身的存在の世話係を任せられるなどあり得ない。
人形体を通した会話に置いて、ただの話相手のようなものなのだからそう力む必要は無いとゴウセル様は仰ってくださったものの、私にとっては十二分な大義である。この、言動や雰囲気や表情こそ幼げながら、大変に麗しい御方に傷でもつけてしまおうものなら、と良からぬ不安ばかりが煽られて。喉は震え、言葉は揺らぎそうになり、膝はかくかくと笑うことを止めず、指先は熱を逃がす。体内で渦を巻いている絶対に悟られてはならないそれらを、音として、視線として、表情として、皮膚の外へと零さないよう、決して漏らさないよう、全身の神経という神経を目覚めさせ、今日もゴウセルのお相手を務める。

***

「赤ちゃんは女の人の胎内でつくられるんだよね」

嗚呼、もしかすればゴウセル様はゴウセルがこういうような事を問って来た瞬間のために、私をそばに置こうとなさったのかもしれない。生命の出自についてのあれやこれ。ただこの御人形はそのあたりも含めて大抵の事はご存知でいらっしゃるので、コウノトリさんがね、という語り出しからの一般的な優しいフェイクは不発に終わった。

「そうですよ。よく知ってるね」
「ボクはゴウセルと同じくらい頭がいいんだ。だからもっと知ってるよ。子供を生める女の人は胸が柔らかくて、」

ゴウセル様はご子息に一体どういった教育をされているのでしょうか!
にこやかな表情をやや引き攣らせつつも死守した、その裏での心の叫びだったが、刹那、実際に口から滑らせてしまいそうになった。それも当然堪え抜いたからひとまず良しとしたいところだが。――何せ、ゴウセルは突として私に触れてきたのである。それもあろうことか胸部に、だ。ふにゅ、と脂肪つくりの双峰に沈む、角ばったゴウセルの指を眼下に見てしまい、絶叫か、最悪なところで発狂しそうになった。人間と瓜二つの見てくれである私のモラルや貞操観念もまた人間と同じようなものである。しかし名目上でしかない教育係という肩書では、幾らも位の違うこの方にやめてと訴えることも憚られ、やめてくださいと言いたいはずの口はそんな意思とは真逆に引き結ばれてしまう。無理だ。制止を求める意思も何も、首が飛ぶのを恐れているのも意思なのだ。硬直以外何もできない現状も恐れるが故に辿り着いた。

「それから――子宮を持ってる」

腹部をくるくると円を描くように摩られると、場所が孵られても尚気が可笑しくなりそうなのは変わらない。「この辺り?」とゴウセルの無垢な口から無邪気に訊かれてしまったら、私には正しい情報を与える義務が発生する。ゴウセルの美しい手を取り、下腹部の子宮が埋まっている辺りに迄「ここ、です」と手ずから導いて差し上げるのは教育とは肯定し難いはしたなさが溢れかえっていて。半ば自らの意思で局部に程近い箇所に近づかせてしまって、心臓が暴れ出して、胸が壊れてしまいそうだった。

「なまえは、女の子、だ」

当たり前、です。何を今更、というような事をこの方は噛み締めるように仰る。存分に私の性別が御自分の性知識と比例しているかを確かめて、それで満足してくれたのだ。思春期を知識を実体験が追い越してしまっている状態、とさるアーティスティックなお方がそう表したそうだが、ゴウセルはまさにそうであると私は思う。だけど思春期未満とも取れる幼さが言動や表情の節々から見受けられて、膨大な知識量とは裏腹に赤子をあやしているような気分になることすらままあった。

「私は女性です。」
「今ちゃんとわかったから、知ってる。これでボク、なまえに恋ができるね」

視線をゴウセルから離さなかったのは、目を逸らす事が出来なかったのもあるけれど、それは直接には関係していない。ただ逸らしては簡単に悟られてしまう。当然、泳がせてしまっても同じように。私の視線は先ほどとは全く変わらない場所に、意識的に注がれ続けている。お話し相手である私は、ただおとなしくお話をしていればいい。そうとなれば返答選びも簡単だ。「そうですね」肯定をして。笑んで。それだけいい。
そんな風にやってのけられるのは、ゴウセルの心が造り物だと今みたいな一瞬の間だけ信じるからだ。


2017/11/08

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