短編

わけのわからない愛おしさだけが募る


色欲さん。

「何を、しているの?」
「なまえ……。お前の喜ぶものを探している」

あれでもない、これでもない。と本を開いては最初の数行にだけ目を通し、閉じて、また新たな本を手に取り開く。そうしてそれをまた閉じて。そんなことを繰り返していると、背後からかけられた問いだった。

――自分に割り当てられた屋根裏部屋を理不尽、と嘆くことももうやめた。諦めた、と云うべきなのかもしれないが。
誰にも現状をどうにかしようという気のない事実は、嘘の効かない彼の前では隠し切れず、まさに筒抜け状態で。ゴウセルがいくらこの理不尽を訴え続けたところで事態は一向に好転しそうもないことは、透けているように見えていた。
やがて質素な城だった屋根裏部屋に住人がもう一人加わり、ゴウセルに降りかかる理不尽さは加速の一途を辿るのだが、他の団員達と十分な信頼関係が出来上がっていない現状、新たな住人は自分の元に置いておくことが一番であるとゴウセル自身よく理解していた。しかし先住人のゴウセルに対し、新入りのなまえは少女。仮にも男女だとキングを始め、一部の団員はそれとなく反対の意思表示をしていたが、そもそも備わっていない欲望を心配する必要もないと云うゴウセルにすべて一蹴されて終わる。
少女と、年齢も種族も不確かな美少年にとって、此処は城に違いなかった。

「それは?」

ひょい、と。なまえがゴウセルの手の中の本を覗き込む。表紙に刻まれた題名を見せてやるが、覚えは無かったらしく「ふーん……」と言うだけだった。
ぱらぱらぱら、と軽やかに速読の技を用いて全体の内容に目を通す。

「ミステリーだ。だがお前が好みそうにない。死人が出ないんだ」
「……別に人が死ぬ話が好きっていうわけじゃないわ。ね、今度はあなたの好きな物語を教えて頂戴よ。私、好きなの。ゴウセルの芝居。だからまた読んで欲しい」
「嗚呼、別に構わない。なんでもしよう。お前が望むなら。なんだって」
「……いつもそう言うわね。貴方には感情が無いのでしょう。どうしてそんなに私の為にしようとするの?」
「俺に与えられた豚の帽子亭での仕事だからだ。お前を守れ、という団長の命令を断る理由が無かった。それだけだ」
「そう」
「なまえは俺に対して好意的だろう。だからよく扱ってやれと追加の命令があったのだが、どうすれば良い扱いになるのかが俺にはわからない。こうして本を進めていたのは俺の基準からだな」

ぱたん、と死人のいないミステリー小説を閉じると埃が舞った。頁の隙間に潜んでいたものか、空気に溶けていたものなのか。隣のなまえが咳き込み、煩い羽虫を追い払うような手つきで空気を掻き乱す。

***

「感情が名前を変えることはあるのだろうか」

信頼や友情が、愛や恋情に。名前ばかりではなく性質すらも変貌させてしまうことは、あるのだろうか。

「何の話?」
「なまえの心に関して、だ」

なまえの抱える、ゴウセルへの好意。その正体にゴウセルは迫ろうとしていた。

「なまえの好意はいつ恋に変わった?」

恐らく抱いたのはこれが初めてで、だというのに彼女の理解は度追いついている。だが裏を返せば自覚できるまでにそれが肥大化してしまったということで、そんなにまで膨れ上がってしまった感情が、余計なものが色々とくっついてしまった感情が、そんなにも真っ直ぐなはずがなくて。

「違う。恋じゃないわ。恋なんかじゃ……。もう恋とは違うものよ」

“詮索の光”が人差し指の爪の先から彼女の脳に侵入する。
――隣にいて欲しい。
さらに深みへ、手を伸ばす。
――そばに置いておきたい。
深みから、拾い上げる。
――離れるなんて許さない。誰にも触れさせたくない。誰にも触れようとしないで。その目で誰かを見ないで欲しい。
信頼が形を変えた恋心は再び変貌したのだ。恋情にそっくりな形の名前を付けられない、醜い何かに。

「ねぇ、ゴウセル、わかる?」
「嗚呼――」

とても一つの枠には収まってくれそうもない感情に、無情にも彼は彼女が違うと首を振った呼称を与え、枠の中に収めてしまった。

「それを恋と云うのだろう、人は」


2017/09/11

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