短編

多過ぎる感情なんて棄ててしまえ


「なまえって、好きな人とか、いる?」

投じられた問いかけが、音を立てて抜ける風に乗った。

「……どうしたの、突然」

なまえが言うほどそれは突然の事ではない。言葉として、問いとして口に出したのが偶々偶然今だった、というだけで。どちらにせよなまえにとって唐突で突然であった事に変わりはないのだろうけれど、俺にとっては常々考えていた問題だ。
なまえの柔らかい膝を借り、寝そべる木陰。表情を隠してくれる物といえば葉影くらいのこの場所で見上げるなまえの顔は滲む明らかな戸惑いを誤魔化すことさえ出来ずにいて、俺はふふっ、とステージ上でそうするように曲げた唇に微笑を浮かべて見せる。
「突然じゃあ、無いんだよ」と胸中をなぞる台詞。瞬く瞳と視線を絡めて、誰かな、とわざとらしく言う俺は相当な意地悪い吸血鬼として映っている事だろう。

「ナッちゃん? コーギー? ス〜ちゃん、セッちゃん、王様。兄者は、無いよねぇ。……あぁ、ま〜くんかな」
「――」
「なぁんだ、図星? ま〜くん、なまえのこと多分何とも思ってないんじゃないかなぁ。ね? 恋愛とか、考えられないんじゃない? いいの?」
「……関係ないよ」

俺が関係ないって事? それともたとえ振り向いて貰えなくたって……って、そういう意味? とは問わない。

「ねぇ、俺じゃ代わりにならない?」
「……駄目だよ、凛月君。そういうこと言っちゃ。代わりとか、そんな……、凛月君は凛月君でしょ」

それは思いやり深い言葉で包んだ彼女のエゴだ。その“駄目”に正直に従っているうちは、俺が俺でいるうちはなまえはきっとこちらを向いてはくれない。

「じゃあなまえは思った事無いんだ。すごいねぇ、ただ見てられるんだ。それだけで満足できちゃうんだ?」
「……凛月君…………」
「違うよねぇ? 違うでしょ? なまえが良い子なのって表面だけだもんね。知ってるよ。それなのに必死になって頑張っちゃってさぁ……。自分じゃ駄目なのかなって言ってたよね、そういえば、なまえも。おんなじでしょ。違う?」
「ちが、」
「違わない。」

自分では代わりには成れないのかという思考をする人間の気持ちなら夏帆が一番よくわかっているはずだ。自分の汚い醜い部分を受け入れられないでいるのか、認められずにいるのか、か細く反論を紡ごうとする彼女の声にかぶせて俺は一刀両断する。
「りつ……、っ」と回らない呂律で、普段は必ずつけて呼んでくる敬称さえも置き去りにして、その声は押し出すようにして場に落ち、響く。

「なまえの事全然見てくれない人間なんかより、俺の方がずっと知ってる。ずっと見てた。ずっと一緒にいてあげる。愛してあげられる」

ずるく賢くしたたかに悪魔の如く囁きかける、吸血鬼の甘い誘い。
その気持ちの向く先なんてすり替えてしまえ。すり替わってしまえ、と“彼”を考える思考の隙間に強引に己の存在を押し付けていく。
徐々に表情に滲んでいく情の揺れに自分で気が付いたのか、顔に掌を持って行こうとするなまえを腕を掴んで制止させる。
結んだ視線同士、その先にある今にも決壊してしまいそうななまえの表情に勝利を確信した。


2017/02/27

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