短編

彼もまだ恋愛修行者




二つの地方を西と東で分割するその山に白金の名称が与えられたその訳は、頂上の天気が常に視界を奪う猛吹雪であることからだ。
岩場にひしめく屈強な野生ポケモンたちは滅多に人の立ち寄らない場所を主な生息地とすることもあり、皆等しくポケモンバトルに飢えている。欲求不満を募らせた彼らは標的をその目に収めると、まるで戦うことが生きる全てであるかのように、それ以外を考える余裕すらないかのようにすぐさまバトルを仕掛けてくるのだが――それは、齢11歳にしてカントー地方の頂点を極めたこの少年も、同じだった。



「“つるのムチ”!!」

雷鳴のように場に響く号令は真剣みを帯びていた。
背景の白に生える深緑の鞭が大きく振り翳されると、バシィン、痛々しい音を伴う一撃がゴローンの体勢を大きく崩す。

「斜め左! 今だ、とどめの“はっぱカッター”!」

岩の肉体を切り裂く木の葉の刃が一面銀世界の景色をパレットに見立て、鮮やかな彩りを添えた。
刹那。ずぅぅん、と地響きが轟いて、高く土埃が巻き上がる。
汗に濡れた前髪をかき上げ、吐き出した熱い息が自身の肋骨を滑っていく。これで本日、46戦目。目標まで、あと54戦。儀式のように呟いたのは気が遠くなるようなノルマだが、己に課した修行は常に限界を突破するための試練でなくてはならないのだ。ほぼ半数が消えていった頂きの景色を視界に収め、乱れた呼吸を整える。
岩タイプ、地面タイプが主な生息ポケモンであるこの場所はフシギバナやニョロボンを初めとするパートナーたちにとっては格好の修行場所。
繰り広げた戦闘における派手な衝撃音は、フラストレーションを溜め込んだ彼らをこの場に呼び寄せる餌となる。それはこちらにとっても願ったりかなったりなわけで。
さて、今度はどんな強敵が出てくるのか。微かに拾った足音への期待に胸を躍らせて、見据えた先――少年レッドは名前と同じ赤い双眸を大きく見開かせる。そのとき彼は、ただ驚いたのだ。いるはずのない、少女の存在に。

「なっ、なまえ!? おまえなんでここに――」

ここにいるんだ。続く言葉は胸部にタックルをかましてきた彼女によって遮られた。

「レッドのばか! ばかばかばかーっ!!」

開口一番、貶し文句を叫びながらレッドの胸板に両の拳を叩きつけてくる。

「せっかく買ったむしよけスプレーは自分より弱いポケモン以外は普通に寄せ付けるしっ! そんなのシロガネ山じゃあ全然意味なんてないじゃない! ピッピ人形もポケじゃらしも使い果たしちゃって、逃げまくってここまできたんだからぁ!」

ぽこぽこ、なんてかわいらしい効果音で片付けられるほど、その拳は軽いものではない。一撃一撃がダイレクトに肋骨に衝撃を与える連続パンチという名の八つ当たりは、もう彼女が戦った方が早いのではないかと思わせるほどで。
痛い。痛い。めちゃめちゃ痛い。痛いからやめようなまえ! 何事も平和的に、だ!
レッドが制止の訴えを口に出す、一歩前。

「とにかく大変だったのよう!」

とどめの一発が躊躇なく肋骨に叩き込まれ、レッドは危うく意識を手放しかけた。

曰く――野生のキャタピーが相手ですら満足に戦えない戦闘力のなまえが、カントー地方最難関、最高峰のダンジョンとして聳え立つシロガネ山に挑む羽目になったのは、何度電話をかけても応答しないレッドへの伝言役として駆り出されたことにある。本来ならばグリーンに回される仕事であるが、あいにく彼も彼で連絡が付かない。揃いも揃って放浪癖の身についてしまった図鑑所有者に呆れかえったオーキド博士が最終手段としてなまえに依頼を申し込んだのだそうだ。

「こーんなか弱い美少女にシロガネ山登ってこいだなんて博士も頭がどうかしてるわ!」

か弱い美少女、ねぇ……? ポケモンバトルの腕前だけを見ればそうなのだろうが、同年代の異性に匹敵する馬力の彼女をひとくちにか弱いと比喩するには無理がある。目の前のなまえは大層ご立腹な様子なので、考えを直接相手にぶつけるだなんて恐れ知らずな真似はしないが、考えるだけなら許されるだろう。

「黙ってないで何か言いなさいよ! 私がここにくるまでに何回死にかけたと思ってるの!?」
「そりゃー大変だったようで。ご愁傷さ、」
「シャラップ!! あんたのせいじゃないの!」

んな、理不尽な。
放ちかけた「ご愁傷さま」を勢いよく遮る彼女に呆れかえる。
なかなか素直になれない性分で、それでいて寂しがり屋な彼女だから、自宅に滞在していることの方が珍しいレッドには拭い切れない不安があるのだろう。それは付き合いの長いレッドだからこそ知りえることで、言葉の裏側にある本心を汲み取ってやるのがいつだってレッドの役目だった。
そうは云っても彼自身、他人の感情の変化には相当に鈍いところがあるので、その役割をきちんと果たせていたかと云えば――断言することはできないのだが。

(…ったく、寂しいなら寂しいって素直にそう言えよな)

ぽん、と自分の目線よりもいくらか低い位置にある彼女の頭に手を乗せて。

「そう言うなよ。本当は寂しかったんだろ? 近いうちにちゃんと帰るから今日はここに泊まってこうぜ。」
「そんなわけないでしょ、うぬぼれないでよ。自意識過剰!」

――あぁ、乙女心って難しい。
バトルばかりのオレには、到底理解なんてできっこないや。

“戦う者”の称号を肩に背負ったカントー最強トレーナーの少年だが、恋愛に関しては右も左もわからないようなずぶの素人。複雑な建築物にも似た乙女心の理解に苦しみ、頭を捻ってばかりの彼もまだまだ修行中の身なのである。


2016/07/31

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