短編

がらすを拝借


※奇病のお話


類稀なる美しい桔梗の病は彼の指先で発芽し、伸ばした茎を我が物顔で逞しい腕に這わせていく。さも血管や神経同等の存在だとでも宣うように蝕んで。患者は次第に花に生命力を奪われてゆき、酷い睡魔に苛まれるようになり、最期には。
まるで眠るように呼吸を終える。
桔梗の花咲病。


夏はもう終わるけれど昼夜は未だ不均衡なままで、陽は尾のように、たなびく様に長いのだった。押し退けられた夜がいまようやく大地まで腕を広げてきたけれど、晩餐を終えたばかりの現在では、夕陽の残滓は星に混じって空に散りばめられている。
満ち足りたお腹を携えているだけで、そりゃあもう瞼は眠たがるけれど、それでもみんな若い躰の瑞々しさだけで夜を耐え忍びたがってやまない。みんな、ってそうは言うけれど、“全員”とは同義じゃあない。

明るい和室、浅い夢に半分だけ浸る少年へ、問い質したいことはひとつきり。けれどどうにもこの喉では叱責めいた声音しか奏でられそうでなくて。激しい吹雪のように頬を冷たく引っ掻く真似はしたくない。
人差し指でつついたり、親指とで摘まんで弄んでみたり。そうやって戯れてみる紫色の花は合わせて四輪ほど。明けゆく夜空を想起させる青みを帯びた紫色で、朝露を煌めかせているかのように瑞々しい、小さく愛らしい四輪の花だ。恐らくは桔梗だろうと、そう判断した。私は指の腹で花弁の滑らかさを楽しんだり、
こうして今となっては意識は桔梗の花だけれど、つい先程までは畳の目を数える無謀に挑んでいたのだ。幾百、幾千と編まれに編まれていそうなその目の、全て個々として認識しようだなんて本当に愚かな思いつきをした。何せ私は下手だから。十まで数えて、区切って、そうしてその区切りを見失ってしまって、何度数え直しても十一に踏み出せない。
愛しい男の子のお部屋の畳の目の数はわからずじまい。桁の検討すらもつかない。
はぁ、と私が息吹くのはこれで……えーっと……、何度目になるのだろう。
早くにお蒲団を敷いてしまった彼の美貌に眩む。左右で色素の異なる、毛量豊かな睫毛はゆうるりと羽ばたいてまばたきしている。そよ風を孕んだカーテンと同速度で、結んでは開いて。焦点を霞ませた眼差し。無音に染まった壁を引っ掻く、衣擦れ。

「……その花、なんていうんだろうな」

嗚呼、声を象ったから彼の瞬きのリズムが整った。少しいつもの開き方に近づいた瞳孔が、崩されていた自我を再構築したのだ。
私もまた声を編んで応じた。

「桔梗じゃないかな」
「そんな名前あったのか」

ひとつ問わせて――隠し事、してるでしょう。だけれど、その前に。意地悪もしたくなってしまった。
ねぇ、轟、この花がどうしてここにあるのかは気にならないんだね。
本当に誰のなんだろうね、これ。
意地悪を、二度。考えるだけの意地悪だ。
轟は軽い寝返りで姿勢を崩して視線をこちらへ流すので、私を映すためかと自惚れてしまいそう。オッドアイの片割れは清らか、時の流れは穏やか、緩やか。ただ私だけが凪いでいない。
皺を寄せてずれた蒲団の中に桔梗色のかけらを認めてしまったからだ。轟の指に絡む明け方の夜空色、爪の先から溢れる反射する朝露の輝かしさ。綺麗なものは何処に根を張っているのだろう。何処に根を張っているか、わかっているのか。
静やかに眠ろうとしている轟だけれど、彼の真の憤怒をおまえは知らないでしょう。そんなにまで傲慢に根張れるんだ、粘れるんだ。憎たらしいほど綺麗で細やかな花こそが、私の怒りを育てている。
そこで。
ひとつ、問おうか。

「ねぇ、轟」

いや止そう。ただひとつ確かめるだけでいい。風が窓をぶん殴ったからとか、魚が跳ねたからとか、理由未満のあれやこれに押し流されて気まぐれが巻き起こった。雲の穴の形状が移ろいだから現在形は過去形にすり替わった。

「隠し事、してたでしょう?」
「……嗚呼」
「やっぱり」

やっぱり、ね。でももうそれはあんまり意味を、成してはいないかもしれないよ。

「ばれてたんじゃあ、もう意味も無ェかもな」
「そうね。いつ隠すのをやめるの?」
「さぁな。……けど、起きてんのもそろそろ……」

限界。

「なまえ」

呼びかけられれば私の視線は轟へと吸い寄せられる。幽かに背筋を曲げ、虹彩までもを覗き込む。枕カヴァーの上に扇状に毛先を広げた、色違いの短髪。その毛流を眼で辿って。
何かを瓦解させたように私は轟の上肢を抱き竦めた。仄かな驚愕の数舜を置いてから抱き返されるも、背に手が回ると同時に花の香りが漂い、私は怯える。
指先から。ぽっ、と弾けるようにして花開けば、気弱そうな五角形の花が笑って、笑い転げて、転がり落ちる。私のスカートの上に落下したら、何だか力無くくたばってしまって、苛立つし可哀相にも思うし。

「明日、起こしてあげるね」

轟は淡く笑ってくれた。けれどそれは酷く曖昧で、仄かに息に乗せるだけのような笑みだった。
明日私は必ず覚醒を手伝おう。低体温くんに根気よく向き合って、余裕ある朝を迎えさせてあげる。クラスの子たちといい挨拶を交わせるように頑張って見せる。
だからちゃんと目を覚まして。


2018/09/01
◆桔梗の花咲き病
桔梗が指先に咲き、成長すると少しずつ体を蝕んでいく。
成長に伴って睡眠時間が増え、やがて死んでしまう。

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