短編

遠雷の庭


※同棲・一般人ヒロイン設定

ひうひう、と口笛をあげる薬缶は機関車のような湯気を吐き出している。
意識に止めて、嗚呼止めなくてはとずうんと重くなった回転力の脳はようやく腰に起立を命ずる。座していた食卓に手を突いて立ち上がり、膝の裏で座っていた椅子を押し退ける。のろのろと爪先の方向を転換したり体の重心を意識

「わかったから。待ってろ」

天井に向かって女幽霊のように細く叫ぶ薬缶に応答しながら轟がすたすたとキッチンに歩んで行った。轟に、くるり、とされて火が静まる。

「ありがとう」
「俺も湯少し貰っていいか?」
「いいよ。緑茶にする? 蕎麦茶にする?」
「緑茶頼む」

キッチンに出して置いた私の分のティーポットとカモミールの茶葉の隣に、戸棚から取り出した緑茶のティーバックを新たに並べる。忘れていた、カップとソーサーが不在だ、なんて気付いたら。轟が自身の分のマグカップと共に私が出し忘れていたカップも取り出してくれていた。形式や容器には無頓着なのだか、そうでないのだか。

「眠れなくなっちゃったりしない?」
「あぁ、だからカフェインレスなやつ、らしい」
「消費者として寝たくないとか望んで置きながらあれだけど、なんか物寂しいよね……」
「ただのにげぇ水に他ならねぇよな。色付きの」
「ね」

最近になり、私の腕にも、脂質と入れ替わるようにして骨の周りに現れ始めた新米筋肉で、お湯の薬缶の持ち上げも楽々だ。バッグが突っ込まれて紐の尻尾を淵から出している彼のマグ。それに、とととぷ、と先に注いであげる。お、さんきゅ。いえいえ。とひとこと、ふたこと。茶葉をセッティング済みの自分の方にも、とぷとぷ、と。
ひっくり返した砂時計は、それなりの値段をかけた上等品だったから、相変わらず砂の落下具合が滑らかで、硝子壁に砂粒はひと粒だって貼り付かない。
ティーバッグの紐を持ち上げたりたゆませたりをして、お湯の中で茶葉を上下させる轟に、口を挟みたくなる紅茶党精神を黙らせる。蘊蓄が過ぎるとうざったらしくて仕方がないのは、蘊蓄被害者の目線も持ち合わせているから知っているつもりなのだ。

「ん……。色付かねぇな、これ。不良品か?」
「そりゃあ、ティーバッグも蒸らさなきゃだめだよ」
「知らなかった」

ふぅん、と鼻を鳴らす彼はいつもの調子。
大丈夫だろうか。私が生きる中の常識との差だの、パッケージの説明文だの以前に、祖母と同じ発言だったことに関して、大丈夫なんだろうか。轟焦凍という存在が実はきぐるみか何かで、背のチャックをおろしてみたら萎み切ったお爺様がパイロットでした、というようなことが起こり兼ねない。いやきぐるみというのも、あの夢を売る鼠たちや熊本の顔の子やハイテンション非公認キャラクター等に関してはその限りじゃないけれど。彼らは生きており、実在している。大人こそが疑いたくない点において通ずる、幻想だ。
私を一目惚れさせた砂時計は何度眺めても流麗に落ちて、目を奪う間に時を刻む。
カモミールも緑茶も然程時差なく、同じだけ旨味が抽出された。

「おいしいの? ノンカフェイン」
「不味くは無ぇ、けど」
「だよね。志望吸収のお茶もそんな感じだった」
「……気にする必要も無ぇと思うけどな」
「何を?」
「ダイエット」
「甘やかすの成果出てからにしてー! あとは別な分野とか」
「でも自分で締めようと思って始めたんだろ? 自己管理できてるってことじゃねぇか。偉いと思う。つぅか、成果出てるぞ。初日じゃ10回もままなんなかったろ?」

畳みかけるような褒め殺しに耐え抜くことがなかなか大変になりそうで。両手のひらで包んで体温を保つ手伝いをして貰っていたカップに口付けて、湯気に赤面罪の濡れ衣を着せる。湯気と、食道を下っていくカモミールが血潮を熱して、頬を染む、ということにしてしまおう。死滅したかに思われた初々しさが今更顔を出して打撃を決めて行くのだから、仕方がない。
こんなに褒め上手に花が咲いてしまう種だと知っていたら、私もストレートに褒めてほしいと欲求は出さなかっただろうに。近頃では頭の撫で方も様になってしまって、兎扱いで労わられる。やっぱり学生時代に撫でてなんてストレートに強請るんじゃあなかった。
自分が撒いたどころか芽吹かせた種子とはいえ、常に心臓を狙われている。それも狙撃手なんて物騒なものではなく、身を隠している悪戯っ子みたいなものに。

「今日疲れてるんなら、腹筋10回だけでやめとくか?」
「筋トレ自体をやめるって言わないところ大好きだよ。……20回やるし、腕立てとかもちゃんとする」


2018/06/21

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