短編

冬の刹那と独り言


※未来捏造注意。



ざくざくと、新雪を踏み砕く音が静寂を掻き乱すように響いた。寒空に吐き出した息は真っ白い煙のようにくるくる螺旋を描いて上り、雲を被った頭上に吸い込まれるようにして消える。
どこまでも続く雪景色の中ではポケモンたちの体温が恋しくなるが、しかしこの氷点下の雪山で温もり欲しさに快適なモンスターボールの中から呼び出すのには気が引けて。それに自身のパートナー、飛行とドラゴンの属性を併せ持つカイリューにとって、このマイナス気候は天敵以外の何物でもないのだ。それ以外の手持ちポケモンも、特別寒さに耐性を持つわけではない。
完全冬装備で、寒さ対策は万全だったはずなのに。同僚曰くそれが癖なのだという仕草で首を竦めると、マフラーの中に鼻先までを埋めた。

なまえの勤め先はカントー地方及びジョウト地方のトップに君臨する「ポケモン協会」――と言えば聞こえはいいのだが、実際は会長の大雑把な管理の元に成り立つ、形だけの組織だ。
自分の仕事に嫌気がさすことも正直ないわけではないが、それでも公務員なだけあって収入は安定しているし、正直今の生活を捨てる覚悟はないままにだらだらと退職の機会を先送りにしている。所詮は大人の事情というものだが、気軽に周りを頼れる年齢ではないのだから仕方がない。
職場に関する文句を胸中で募らせていく彼女の仕事の一つに、“ポケモンジムの訪問”というものがある。いや、正確には“あった”と言った方が正しいだろうか。
過去形となった理由は彼女が担当を任されていたチョウジジムリーダーが数週間前にこの世を去ってしまったことにある。
長を失くしたその場所が跡地となってから随分と時間が流れているのだが、指示が下されたのはつい一昨日のことだった。つまり、今日の仕事は残されたジムの後片付けということになるわけで。
本当に、迷惑もいいところだ。何もこんな場所にジムを構えなくたっていいだろうに。

前リーダー、名をヤナギ。垂れがちな目元が印象深い穏やかな白髪の老人なのだが、どこかに得体の知れない部分があった。それもそのはず、かつて自分がリーグ優勝を志す少女だった頃に、このジョウト地方と東に隣接するカントー地方を危機に陥れた張本人だというのだから。
視界を染め上げる吹雪く白の向こう側に、ようやっと目的の建物の影を目視で確認することができた。
やっとついたよ…、なんて小さく文句を呟きながら雪が積もったコンクリートの床に足を乗せる。凍り付いて重たくなった扉を力づくで押し開き、冷たい空間に漂う訪問者を拒むような威圧感から引け腰になりながらも、これ以上外にいるのはごめんだとばかりに室内に踏み込む。
道の両脇に飾られた幾つもの氷像。一体たりとも溶けた様子が見当たらないのは外界の気温がマイナスを記録したことで、室内温度もある程度は保たれたことにあるのだろう。今にも動き出しそうな立体感を持ち、薄気味悪い影を落とすそれが更に不気味さを掻き立てるのだから、早くおいとましたい一心で部屋を渡る足がどんどん加速していく。
どれも生前、ヤナギがその手で生み出した作品だが、なまえからすれば思い入れも何もない。上部からは処分しろと命令が下りるに違いないし、彼女もそれに従う気でいる。
それはそうと、早いところこの場を退散したい。寒いし、怖いし、というかなんで私はここにいるんだろう。
ぐちぐちと文句を並べながら先を目指す、そのとき。

「……誰だ?」

自分の存在を問う、低い声。ハッとして、顔を上げる。
額に大きな水晶を飾った伝説の水ポケモン、美しいスイクン像を見上げる格好で佇む緋色の影を見つけた。無人と思われていたこの場所で、それも凍てつく氷の白銀が全てであるこの世界で、その人物の声は強く響き――そして、目立つ赤髪が自分の意識を集めてしまうのに1秒もかからなかった。
いぶかしげに光る銀色の双眸は警戒心を曝け出し、こちらを捉えて離さない。
思わず怯んだ拍子に肩をびくりと震わせながらも、投げかけられた問いには丁重にお答えした。

「き、協会の者です。ジムの後片付けを任されまして……」

なまえが寄越した精一杯の返答に、「そうか」と短く返す彼。
大したコミュニケーション能力を持たない者同士、会話を継続させることができなければ次に沈黙が訪れるのは最早必然とも言える。

「早くやったらどうなんだ」
「そ、そうします」

かつかつと薄氷の張った床に足音を鳴らし、建物の奥へと入っていく。
頼まれていたのは資料や書類の整理、それから私物の確認だ。リーダーの持ち込んだ物が多い場合、後から暇な人間が手伝いに来てくれるらしく、今日中に施設の隅から隅まで全てを一人で処分しろと言われなかっただけうちもまだグレー企業だ。大事な社員を極寒の中任務に出向かせる時点で、かなり黒に近いけれど。
霜が降りた事務室のパイプ椅子に腰を下ろし、時折かじかむ手を温めながら作業を進めた。

***

……どれくらいの時間が経ったか。
あいにく雪の降り続ける外は最初から薄暗かったので、時計の設置されていないここでは時間を確認する術はない。やはり歳をとってくると次第に皆、大雑把になるのか。それとも命のカウントダウンうんぬんで時計が嫌になってくるのか。
頭をよぎる場違いな話題が現実逃避を促してくるが、それを振り切り立ち上がる。
紙の束を鞄に詰め込み、忘れ物はないかと部屋を見渡した後で再びドアノブを捻ると事務室から外に出た。

(あの人、まだいる……)

目に留まるのは、そう自分と歳幅もないであろう赤髪銀目の若い男。
すぐに帰るものだとばかり思っていたのに。まさかまだ彼が残っているとは。
興味本位でその背中と距離を縮めてみると、私の存在に気付いた彼がこちらを振り向いた。

「リーダーのお知り合いですか」
「そんなところだ」

赤い長髪に、銀の瞳――。
不意に、ヤナギ老人が一度だけ話して聞かせてくれた少年の名を思い出す。

「“シルバーさん”」

物は試しにと呼んでみたところ、案の定、正解だったようで銀色の名を持つ彼は「どうしてそれを」とでも言いたげに表情に驚きを露わにし反応を見せる。
やはり、そうなのか。ひとり納得する私とは対照的に、シルバー――…さん、と付けた方がいいだろうか――はますますこちらへの警戒心を強めてしまったことが、顔つきからも察することが出来た。

「ヤナギさんが一度だけ話してくれたんです。亡くなる前に――私が最後に会ったときに」

あぁ、今思えば、あの人があんなことを話して聞かせてくれたのは、自分の死期が間近に迫る事実を悟ってのことなのかもしれない。悲しそうに薄く笑った彼の姿が脳裏を掠める。

「……ヤナギは、なんて?」
「言えません。あなたにだけは話すなと言われましたので」

このまま墓場まで持って行きます。そんな覚悟を秘めた表情で彼を見遣れば、そうかとだけ言って腑に落ちないながらに納得してくれたようだった。色素の薄い銀の両目が一度だけ床を向いた後、出口に繋がる通路の床に足を乗せた。
行くんだろう? そんな意味合いを持たせた横目でちら、とこちらを見遣り出発を促す。慌てて頷き自分の一歩前を行くシルバーさんの背中を追いかけた。
この無駄に重く、さらに霜まで降りて開けるだけでも相当困難な鉄の扉と日に二度も格闘しなければならない運命から逃れることが出来たのは、本当にありがたいのでこの人と遭遇してよかったとすら思う。
ぎぎぎ、と劈く低音。舞い込む冬風と雪の破片が頬を刺激する。
ゆったりとした速度で歩き出そうとしていたシルバーさんにの横に並んで、あの、と発した私の声音を拾うと首だけこちらを振り向く銀色。
その瞳からは先ほどまでの威圧感を拭くんだ冷厳な印象を感じられずに、逆に違和を感じてしまう。

「ジムリーダーに」

やめようと思ったが、自らの意思で口を閉じるよりも先に言葉の続きが流れ出た。

「なってみる気はありませんか」

言ってしまった直後に激しい後悔の念に苛まれ、軽率な発言投下を悔む私はすぐさま自分の頭を抱えたくなった。が、次の瞬間、彼の意欲的と取れる返事を聞いて嬉しさのあまりガッツポーズをしてしまい、途端に恥ずかしさが込み上げてきたことが明け透けな顔を覆って地に沈んでしまった。

***

ポケギアを開いて呼び出した、電話帳画面の上から3番目。整理整頓は苦手で、登録した順に並べたままのそこには一番上には母親の名前がいつもあり、そして2番目が父親だ。
選択した3番目の欄には、見慣れた――だがここ最近はなかなか都合が合わずに顔を合わせることができずにいる幼馴染の名前と携帯番号が登録されていた。

『おー、元気にしてっか? なまえ』
「うん。元気元気。そっちはどう? 見切り列車で始めた育て屋業は順調かな、“お父さん”」
『お前その呼び方やめろっつってんだろ』

こんな自由奔放な娘はいらねぇよ、つーかそうだとしたらオレ何歳だよ。とぶっきらぼうなぼやきがスピーカーから小さく漏れ聞こえた。口を尖らせながら嘆く金目の姿が容易く想像できてしまい、なまえはくすりと笑みを零す。

「でもエプロン似合ってたじゃない」
『嬉しかねーよ。…んで、そっちはどうなんだよ。幼馴染のよしみでオレ様が紹介してやったチョウジジムリーダー適任の人物、会えたか?』
「うん。会えた会えた。あんたの言う通り無口な人ね。でも悪い人じゃなさそうで安心したわ。就任試験でのバトルテストもすごいのなんの。本当――ゴールド様様だね」
『おっいいぞいいぞ。やさしーオレを崇めやがれ』
「ゴールド陛下、さすがでございますー」

後日、この二人が友達以上の関係にまで発展したと知らせを受けて、金色の眼を大きく見開かせることになるだなんて、きっと今の彼は知る由もない。


2015/09/25
2016/06/10 修正

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