図鑑所有者の妹

ルビーの妹

「兄さん、」

蒼の夜陰の中で眠る兄を呼んでみる。ゆさゆさと線の細い肩を揺すっても、姿勢が微妙に崩れた程度で反応無し。効果はいまひとつ、どころか効果はないようだ。
あーあ、兄さんってば眼鏡かけたままだよ。歪んでしまう。出来のいい妹が、仕方ないから外してあげる。
かちゃ、と部品同士が触れ合って微かに音を鳴らしたけれど、兄さんが目を覚ますことはなく。冷えた空気に私の口から零れた嘆息が一つ、消えた。

今は瞼の奥に隠されている紅色だけど、抱きしめた夢を誇らしげに語る時や、照らし出すスポットライトを反射する時なんかはそれはそれは美しい。
端正な顔立ちに嵌め込まれた二つの宝石はルビーという名前を冠するに相応しくって。
バトルの時、鋭く相手を捉える眼差しなんて本当にかっこよくって。あどけなさを残す寝顔はどこか幼げでかわいくって。器用で聡明で、華奢な体躯は余り逞しくはないけれど、私は兄が大好きだった。

「ねぇ、兄さん。やっぱり、私のせいなのかな」

私のせい、なのかな。あなたが変わってしまったのは。兄に宛てた弱音のように見せながら、実際は独り語散たに過ぎない自問である。
深い深い傷を心にも体にも負って、沼に深く深く沈んでしまって。自らを歪める姿を何もできずにただ見ていることしかできなかった、私もきっと悪いんだよね。救けてあげられなかった私のせいなんだよね。
今のあなたは正直怖いよ。
本音は殺して代わりに仮面の性格を演じて、自分も周りも騙すその生き方が私にはとても恐ろしく思える。
いつ崩れるともしれない砂の城に住み続けるって、常に恐怖と隣り合わせの時限爆弾みたいな日々でしかない。
それって、楽しい? 生まれた頃から見続けてきたけど、こればっかりはわからない。
本当にあなたには、バトル好きなやんちゃな男の子だったルビーには、潔癖なコンテスト少年の人格が乗り移ってしまったの? 不自然な兄さんの表情一つ一つが私は不気味で仕方がない。

「糞ったれ……、馬鹿野郎……っ。ふざけんなよ……」

どうかその美しく濁った紅の瞳で今の私を映さないで。
どうかその鍛え抜かれた都合のいいお口で今の私に優しさをちょうだい。
開かない紅色にちぐはぐな心のまま懇願する。
女の子が、そんな言葉を使っちゃあいけないよ、って。昔の兄を請う癖に、今の兄からの慰めを期待する私は、嗚呼なんて。
――なんて、美しくないのだろう。


2016/12/01


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