06.人魚の恋に似ている
自分たちを乗せたリザードンが着陸したのは、どこか寂しげな雰囲気の町だった。
『シオンは紫、尊い色』――町の入り口付近に立てかけられた看板には、すっかり色の褪せた字でそうあった。刻まれている文言は町のキャッチフレーズのようなものだろうか。
ポケモンセンターの屋根色は仄暗い赤で、他の町々の同施設よりどんよりとした印象を植え付ける。
満ちる空気の不思議な感覚に浸りながら、ただ黙々と歩き続けて。
「着いた、ね」
「ああ」
隣にいたグリーンと視線を合わせ、心を決めると旅の最終目的地であったポケモンハウスの扉の前に立つ。握り拳で扉を叩くも、思った以上に頑丈な木の戸はびくともせず、全く響かず室内にも届いた気配のなさそうなノック音に落胆する。
反応はなし。
では、気を取り直してもう一度。
軽い咳払いの後、リベンジとばかりに掲げた右手で再び叩こうとしたのだが。自分が手を伸ばしたのと、応答がなかったはずのドアが勢いよく開かれたのはほぼ同時で、ひっこめ損ねたその手は清々しい効果音に次ぎ衝撃を味わうことになる。ついでに、顔面も。
「どちらさんかね?」
ひょっこりと顔を出した家主は、痛そうに額と鼻先を抑えて唸るなまえから視線を外し、グリーンに向けてしわがれ声を放つ。
「おや、君は……」
東アジアの民族衣装によく似た衣服を纏う白髪の老人は少しばかり驚いたように緑目と視線を交わし合い、そして。
「どれ。茶でも飲みながらゆっくり話そうか。入りなされ」
骨の曲がった背中を向けて、入るようにと促す老いた家主。真っ先に足を踏み出したのはグリーンの方で、後を追いかけなまえも建物内に踏み込んだ。
かたん、と机に置かれたティーカップが白い煙を巻いていた。
「お久しぶりです、老人」
「ほっほっほ、君と会うのは1年ぶりか。どうだね、赤目の少年は仲良くやっているかね?」
「仲良く…まぁ、ほどほどに。あいつは今カントーを巡っているから、そのうちシオンにも立ち寄るでしょう。寄ったときはここに顔を見せるように言っておきます」
「子供の成長は早い。次に会う時には見違えるようになっておるのじゃろうなぁ」
白い髭を撫でる優しそうな糸目の老人、フジは一度茶を啜った後でなまえの方を向く。
「そちらのお嬢さんは、初めましてかな?」
「は、はい。なまえといいます」
1年前、ロケット団に奪われたイーブイを探してここまでやってきたこと。
ぽつり、ぽつりとここまでの経緯を紡いでいく。
「そうか、わざわざマサラから……。しかし見ての通り、うちで世話をしている中にイーブイはいないんじゃよ」
ポケモンとポケモン、それぞれの合間に申し訳程度に隔てられた柵。自身のテリトリーに対する意識、即ち縄張り意識の高いポケモンには多大なストレスを感じさせるであろう施設の作りは、災害時に即席で用意される避難所のそれによく似ていた。
「ここにいるのはな、心や体に傷が残っているポケモンが大半なんじゃ。引き取っていく人間も大抵は愛護団体、たまに来るのが……何と言ったかな……ほれ、あれじゃ、コレナントカとかいう集める職業……」
「…、コレクター?」
「そうそう、それじゃ。何かしらの後遺症があると説明しても珍種のポケモンは十分に価値があるから気にしないと言って、皆引き取ってゆく。――例えば、イーブイとかな」
含ませたような口ぶりに視線を話し相手の方に戻したが、どうやらそれ自体に深い意味はないらしく。
「じゃがな、半数以上は何かしらの問題を抱えているからここで一生を遂げる、ということも少なくはないんじゃ」
告げられた言葉を飲み下し、訪れかけた沈黙を誤魔化すように既に熱を逃がしつつある紅茶をひとくち口に含んだ。
「力になれず、申し訳ない」
「…いえ」
***
ポケモンハウスを出て、しばらく経った頃。大丈夫か、と隣から訊かれた。
私達の間には不自然なほどに会話がなく、影を背負ったように黙りこくって足だけを動かし、町の外に通じる道を俯き歩き続けている。
あぁ、だから訊かれたのか、なんて。
曖昧な返答。
平気。平気だよ。最初から期待なんてしていなかったし、こういうことは何も今回に限ったことじゃない。
余計な期待はしないこと。探しても探しても希望なんて見つからなくて、光が見えたと思ったら谷底深くに突き落とされる絶望を幾度も経験してきた自分が身に付けていた防衛本能だ。
「……よかったら、だが」
何か提案を出そうとしているらしいグリーンを振り向く。
「どこか街にでも行ってみるか? 気晴らしにでも」
人魚の恋に似ている“残念だね”って
笑える程度の傷ならいいのに
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