collar less
04.お願い、どうかもう一度だけ

入り組んだトキワの森を抜け、やって来たのはニビの街。
ポケモンセンターでロコンやミニリュウ、リザードンの回復を待つ間、互いにソファーに腰を落ち着けたところでグリーンから出された最初の課題は、なかなかに解決が難しい、それでいてトレーナーとしてはクリア必須のまさに登竜門と言えるもの。
ずばり――“手持ちに加えたポケモンとできるだけ短期間で仲良くなるにはどうすれば良いか”。

「え、そりゃあ長い時間を一緒に過ごせばおのずと仲良くなれるものじゃないの?」
「馬鹿か。できるだけ短期間で、って言っただろ」
「じゃあジムに挑戦してみるとか…」
「やめとけ。ニビもハナダも炎タイプとは最悪な組み合わせだ。お前のレベルじゃ瞬殺、良くて秒殺。予選突破も絶望的」
「うっ。じゃあグリーンはなんでヒトカゲで挑んだの」
「ポケモンの弱点なんてトレーナーの腕次第でいくらでもカバーできるものなんだよ。お前にそれができるくらいの実力はあるのか? ……ちなみに挑む頃にはヒトカゲじゃなくてリザードだった」

自分の解答は揃いも揃って全て綺麗に一刀両断され、尚且つぐさぐさ心に傷を負わせるには申し分ないほどの鬼畜な発言も織り交ぜてくるのだから、たまったものではない。

「まずお前はロコンに慣れろ。そう言ったな」
「うん」
「実際、ロコン側にこれといった問題はない。じゃあなぜこうもうまくいかないのか、っていったらそれはなまえ側の気持ちの問題――これはさっきも言った、お前の“迷い”の表れだ」

私の迷い。
ロコンに対して。旅に対して。仲間に対して。バトルに対して。
直接的には関係がないはずのそれらはイーブイを通してひとつになり、戦う際の足かせを生む。

「仲良くなるにはどうしたらいい?」
「それは自分で考えるんだな」

というかそれをさっきから考えているんだろう。そう言うグリーンに、こつんとおでこを小突かれた。

***

それから。回復の終わったロコンを連れて私は一人、トキワの森付近に続く道をとぼとぼと辿っていた。
ポケモンではなく、トレーナーである私自身の心に根強く残る苦手意識。また仲間を持つことで失ってしまうのではないか、という想いは1年もの期間、自分の旅立ちを躊躇わせていた大きな要因だった。
勇気を出せば、イーブイを探しに出向くことだってできたはずで。
ではなぜ、今日この日まで旅に出ることを決めきれないまま後ろばかりを振り返っていたのか。
怖かったんだ。私は。
全力を賭けた勝負の末の、敗北。手も足も出ない圧倒的な強さの相手に納得すらしてしまった、パートナーの喪失。1年前のあの日、あの瞬間。胸の内に植え付けられた恐怖心。
バトルに対して、喪失することに対して、自分が臆病であり続ける限り、この想いは消えてはくれない。否、失ったあの子を取り戻すことができない限り、私は――

(立ちはだかる壁はいつだって、嫌というほどに絶望を教えてくれる。)

「ッ!?」

――私は、前を向いて歩くことはできない。

「なん……っ!?」

ブンブンと羽が空気を震わす音を無数に響かせた、スピアーの群れ。大きく揺れた木の葉の中から、突如姿を現した彼らに息を呑む。震える掌で口元を覆って、目の前の相手に戦く。このポケモンの危険性は十分すぎるほど分かっていた。
どくばちポケモン、スピアー。両腕とお尻に付いている大きなトゲには強力な毒があり、加えて縄張り意識がとても強い。襲われたくなければ近寄らない方が無難なポケモンだ。
怒号のような羽音は唸りを上げて大きくなり、他の音を完全に掻き消すまでに鼓膜を満たす。ノイズにまみれた無音の世界で、固く目を閉じ耳を塞ぐ。
本当はすぐにでも逃げ出してしまいたかった。だがそれは私一人であった場合に迷わず選び取る選択肢であり、同行者が必ずしも自分と同じ考えでいるとは限らないことを、このとき私は見落としていた。
退路に向きかけた自身の足が踏み出し損ねてしまったのは、自分の足元から飛び出す小さな狐の存在があったから。

「ロコン!?」

金属が擦れるように甲高い威嚇の雄叫び。技“ほえる”が傍まで迫るスピアー二匹に強制退場を促して、一時的にだが難を逃れる形となった。

「あ、ありがとう」

それについては感謝するが、うっかりであるとはいえ縄張りに踏み込んでしまったのは自分で、問題があったのはこちら側なのだし、波風を立てたり、更に問題を大きくややこしくしたりするようなことは一番に避けたい。そもそも私達がまだ共に戦えるような信頼関係を築けていないのだ。
だから正面戦闘はしないように、って言ってる傍からこの子は!

「だめーーっ!!」

今にも敵の懐に突っ込んでいきそうな彼女の身体を力任せに取り押さえ、炎エネルギーを放出しかけた口元には手を当てて抑え込む。ぼふん、と不発に終わった火は口から微量の黒煙を巻き、熱が弾けたような感覚があったから私の手には火傷跡が残っているのだろう。遅れてびりびり痛み始める皮膚に顔を歪める。
きゅーん、と腕の中で抑え気味にロコンが鳴いた。

「大丈夫、戦いたくないだけなんだ。逃げよう」

心配そうにこちらを見上げた後で、赤い舌がぺろぺろ傷口を舐める。この様子だと相当派手に出血しているらしいが、そんな悠長なことは考えていられない。
元々、危機に晒されなれていないのだ。旅をしていたグリーンには当然、咄嗟の場での判断力には劣るであろうし、現在のような冷静さを保っていられるのも火傷の痛みがあるからだ。
このまま走り続けようにも体力の限界はすぐそこまでやって来ている。

「あっ、」

まずい。行き止まりだ。追い詰められた。まずいまずいまずい、まずい……!
がくがくと震え続ける足は気を抜けば今にも体を支えるという役割を放棄してしまいそうだ。
迫るスピアー。眼前に突き出された鋭利な針の先端が鈍く輝き、より一層恐怖を煽る。
ロコンがどんな技を覚えているのか把握しきれていない……いや、できることなら誰も傷つけずに逃げ出したい。だけど私はトレーナーだ。いざとなればこの子たちを守る義務があり、戦わなければならない時だってきっとある。いつまでも、全力をかけたバトルを怖がっているわけにはいかない。
もう繰り返さないって決めたんだ。ナナミさんにこの子を頼む、って言われたんだ。
私が守らなきゃ。己を奮い立たせる決心を呪文のように繰り返す。

――バトルがだめなら、

それは緑の瞳の受け売りだけど。
十分に戦える実力もなく、心持ちも曖昧な自分では今は攪乱に頼ることしかできないから。
戦うことができない場合の選択肢、それは。

「逃げる、もしくは捕まえる!」

ロコンを火傷がある方の片腕に抱き直し、取り出したのは自分が現在所持するたった一つのモンスターボール。
チャンスはこの一回切り。
目の前の赤い複眼を見据え、挑戦的に赤いボールを突き出した。
かかってきなさい、と言わんばかりにぎこちなくだが歯を見せて。
次の瞬間、地を蹴る足の裏に硬い感触を直に感じながらも必死に足だけを動かすことを考えて、全力疾走、草原を駆け抜ける。
ボール1つに付き、捕獲が可能なのは1匹限りで、一度外せば落下の衝撃に耐えきれず安物のボールは破損。すぐに使い物にならなくなってしまう。
やれるのか? 振り上げた腕に絡みつくプレッシャー。投げ出すことを躊躇いながら、ひたすらに前進することだけを考えようとするけれど、いつだってそこに恐怖は付き纏う。
やれるのか――私は。
守り抜けるのか。
いや違う。疑問と不安が飛び交う思考を振り切るのは、断言。我が身を押しつぶさんばかりに覆い重なるネガティブな情動は強引に、せめて今だけでもと願いを込めて捨て置いた。
できるかできないかじゃない、やるんだ。
抱き込んでいたロコンを手放し、走行再開。
ずらりと並んで威嚇するスピアーたちの僅かな隙間を不意を打って縫うように、走り抜けた先、敵が一人もいないその場所は親玉スピアーの真後ろだった。

「セイッ、……やぁッ!!!」

高く、高く、飛躍した。
振り返るスピアーの鼻先に突きつけ、スイッチを指で叩く。短く切れのいいサウンドと共に、カッと一瞬の閃光が目を焼いた。モンスターボールの開閉時に生じるフラッシュに自身も目を眩ませ、足場を見失った私は真下の草藪に転がり込んだ。
顔を上げる。
そうだ、ロコンは。ロコンはどうなったのだろう。
上体を起こせば、たんっ、と軽やかな物腰で傍らに降り立つ赤茶の影が目に留まり――普段となんら変わりない気丈な態度に、ただ、安心した。

からん、と数舜遅れて地面に転がるモンスターボールが意識を現実に呼び戻す。
リーダー格を捕獲することさえできれば、群れの連携は崩れうまい具合に怒りも収まってくれるのではないか。そう思っていたのだが。
恐る恐る顔を上げる。

「……あっ」

一匹のスピアーがこちらに飛行してきたが、捕獲済みの親玉と透明化された上部カプセル越しに視線を交えた、その後ですぐに他の仲間同様に森の奥へと戻っていく。

「………よか、ったぁ〜〜〜……」

全身から力が抜けていく脱力感。
一時はどうなることかと思ったが、心底安心して力の抜けきった体はそのままに、しばらく私は草藪の中で横たわっていた。

この後でグリーンの元へ戻ると、真っ先にその火傷はどうしたのかと問い詰められ、事情を話した私は理不尽にも彼からのお叱りを受けることになる。

お願い、どうかもう一度だけ
哀れな私に
どうかチャンスをくれませんか


 

[ back ]
- ナノ -