collar less
03.いつも何処かに悲しい世界が

マサラタウンを旅立って数時間。隣町であるという理由から出入りすることも多かった第二の故郷、トキワシティも見納めて、やっとこさ2番道路も終わりに近づき始めた頃。

「よし、トキワの森は徒歩で抜けるぞ」

グリーンの言葉に5秒とかからずなまえは青ざめた。

天然の迷路、トキワの森。
その恐ろしさはマサラの子供の間では有名だ。一歩踏み込めば戻ってこれず、獰猛な虫ポケモンだからけで生半可な実力のトレーナーでは決して通り抜けることは敵わない。
周囲の大人は口を揃えて言うけれど、最も単純に見れば幼い子供が好奇心に任せてこの森に入らないための、それはフェイクでしかない。
それはわかっている。
探検に出向いて迷子になって、帰ってこれなくなってしまった。そんな悲劇を防ぐため、まず幼い彼らを行かせないようにしようという、大人たちの優しい嘘。
……なんだけど。

「本当に通らなきゃだめ…?」

前方を歩いていた背中に呟くと、彼はこちらを振り返って。

「オレが四六時中守ってやれるんなら別だが、実際問題それはかなり難しいだろ。だからお前にもある程度は戦えるようになってもらうってだけだ」
「でも私、バトルならできるよ?」
「…1年もブランクある癖によく言えたな。それにお前が戦えたってしょうがない。その“ロコンと”戦えるのかよ」

図星を指すグリーンの発言に、うっ、と押し黙るなまえは薄暗い、不気味な森の奥を見る。
陽の光を通さない、薄暗くて見通しの悪い壮大なダンジョン。ざわざわと足を撫でる草の感触に、嫌な汗が背筋を流れた。

「そういうことだ。行くぞ」
「ちょ、まってグリーン!」

***

獣道に踏み込んでから、数分後。入り口から入って間もない地点で既になまえは息を巻いていた。

「無理、むりむりムリむり、無理だってばっ!!」

好奇心旺盛で尚且つ好戦的。怖いものも世間も知らないロコンは目の前に飛び出してきた相手に興味津々といった様子で、しかしそのトレーナーの様子はといえばポッポやキャタピー相手に悪戦苦闘で姿勢は引け腰。
なんというちぐはぐさ。呆れ以外に出て来ない。

「キャタピーは初心者用のポケモンと言っても過言ではない。倒すか捕獲するかしてみろ」
「だっだから! それができないんですぅー!」

標的として指名されたのは草むらをもぞもぞと移動していく、黄緑色のいもむしポケモン。のんびりとした性格なのか、俊敏性に欠けるあのキャタピーなら他よりも的になる、そう考えてのことだったのだが……。

「ひ、“ひのこ”!」

令を受け、ロコンの口元から噴出された小さな火焔は相手に届くことはなく、ぷすりと気の抜けるような音を立てると宙で弾けて消えてしまった。
しばしの間。
何事もなかったかのようにのそのそと移動を続けるキャタピー。
沈黙が続く中、グリーンの盛大な嘆息がなまえの肩を強張らせた。

「……絶望的だな」
「仕方、ないじゃん。ずっとバトルなんてしなかったし。できなかったし。やりたくもなかった」
「それでも誰だって本気でやらなければならない時もある。そういう時のための特訓だろう、次いくぞ」
「…わかってるよ」

また一歩、出口に向かって歩み出す。
慣れたような足取りで突き進んでいく獣道は手中のタウンマップに記載された道と一寸も狂うことはなく、このまま外れる事さえしなければ日が傾くより前にニビのコンクリート道路が踏めるだろう。
グリーンから零れる強者としての振舞いを感じ取ってなのか、ポケモンたちが戦意を向けるのは後ろに続くなまえに対してばかりで、そのなまえを導くグリーンがリーグ2位の功績を持つ圧倒的な実力者なのだ。そう簡単に手を出してくるはずがない――はず、だったのに。

「後ろだ!!」

突然声を荒げたグリーンに目を皿のようにして驚くなまえ。その背後に迫る青い影に気付いて、彼女が避けるが早いか、それともこちらの救う手が間に合うが早いか。
すぐさま腰元に伸びた手が選び取るのは一番の相棒である、火竜。

「リザードン! 行け!」

破裂音と共に広がる白いフラッシュの中から出現するのは赤い巨体。
明らかな敵意を双眼に光らせたミニリュウは紫陽花色の曲線を描く体躯をしならせて、なまえと一定の間合いを保ちながらも彼女が怪しい動きを見せればすぐにでも飛び掛からんばかりの気迫である。
本来、この森には生息していないはずのミニリュウ……これも今は無きロケット団が残した影響だろう。
広がり続けるその余波は今、高波となって自分たちを飲み込もうとしている。

「なまえ、戦え!」
「……やだ…」
「そんなこと言っている場合か! 応戦しないとこちらがやられるぞ!?」
「やだ!!」

頑ななまでに拒み続ける彼女に舌打ちが出る。
彼女のそれはただのわがままなどではない。身が竦むような恐怖に晒された彼女だから知りえるもの。彼女は、なまえは敵意を剥き出しにした眼差しに怯えているのだ。
それが自分から全てを奪ったロケット団により残された、森の後遺症であるなら尚の事。

「リザードン、」

あぁ、こいつはまだ、とても戦える精神状態ではなかったんだ。
凶暴化した子供ドラゴンを遠くに見据えて、脳の片隅で浅く考えた。

「“だいもんじ”だ」

グリーンから下された静かな号令、その刹那。噴出された凄まじい熱量の業火は大の字のように小竜に降り注いだ。
耳に慣れない断末魔。
悲痛な声色で絞り出された悲鳴は、雷鳴の如く場に轟いて。
花がしぼむように力を無くしていく声の主、ミニリュウが崩れ落ちたと同時に、リザードンは激しく燃ゆる尾先の炎を僅かに弱めた。それが戦闘終了の合図であるかのように。
砂埃を手で取り払い、グリーンが前へ進み出ると、ぐったりと力を失い地面に倒れて目を回す幼い巨体に、モンスターボールを押し当てた。淡い発光、そして収束。
ロケット団壊滅と共に野放しにされた“被害者”はこうしてボールに収めるか、それが出来ない場合には行動不能の状態で付近の街のジムリーダーを経由し、協会に引き渡すことが決まりとされている。
バトルの末の保護――モンスターボールにより、捕獲が可能であったということはこのミニリュウは誰のものでもなかった元野生ポケモン、乱獲の被害者ということだ。
訳もなく、息をつき。彼はその緑色の視線を俯いたままの彼女に向けて。

「なまえ……お前、もしかして迷ってるのか?」

ぴくり、と小さな方が揺れる。無言は肯定と受け取り、グリーンは続けた。

「イーブイは自分のポケモンだ。だから自分が助けてあげなきゃいけない。そのためにはどうしたって戦力がいる。だけど新規の手持ちで穴埋めするなんて失ったイーブイに申し訳ない。違うか?」

問答無用で図星を指す発言。言葉を見失ったかのように行き場のない彼女の視線はふらふらと彷徨って、自信の手元に落ち着いた。

「だって、」
「だってじゃないだろ」

地を這うように低く厳しい声音はか細い反論を遮った。

「お前の目の前にいるのはロコンだ。イーブイじゃない」
「……っ」
「別に忘れろとまで言っているわけじゃない。今のパートナーはそいつなはず、と言っているんだ。なのにお前はロコンを見ようとすらしないんだな」

グリーンの知っている彼女はいつだって真っ直ぐだった。真っ直ぐにポケモンたちを見つめ、愛し、同じ時間を過ごして強固な絆を結んでいた。
なのに今の彼女はどうだ。優しさも向き合う気持ちも見る面影はなく、目的のためにロコンを“使っている”。それでは奴らと――ロケット団と、同じじゃないか。

「……じゃあ、どうしろっていうの……」

精一杯の抗議の言葉がうわ言のように放たれる。

「ロコンのことは大事に思ってるよ。でも理解してるからってすぐ行動に移せるわけじゃない。イーブイとはずっと一緒にいたの。そんな簡単に言わないでよ! 淡泊でいることが正しいなんて私は思えない」

悲哀に満ちた激昂は捨てきれない希望と絶望を以て強く響く。
彼女にとってのポケモンは仲間で、友達で、パートナーで。何よりも強い絆で結ばれた家族に近い存在で。だからこそ失うことは余りに辛い現実で、新たな手持ちを作ろうとしなかったのは再び失ってしまうことを恐れたから。
普段の温和な振る舞いに反し、素の彼女はずっとずっと臆病だ。

「ロコン……」

愛らしい円らな黒目が不安そうな色を宿して、揺れていた。

「……私だって仲良くしたいよ」

でもそれができないから。小さく付け足す彼女自身ができないと諦めてしまっているから。
まだ、足りていない。
それは始めて見せる激情を目にして、拭いようもなく迫ってきた予感。
だが、今なら。

「バトルは一旦やめだ」

仲良くなりたい。打ち解けたい。本人にその意思がある、変化の兆しが見え始めた今なら。
もしかすれば。

「その代わり、ニビに着くまでそいつは外に出していろ」

自分が手を下さずとも傷を癒した彼女の、心からの笑顔が咲く日も近いはず。
それもまた、予感でしかないけれど。

いつもどこかに悲しい世界が
傷が癒えるまでのカウントダウン


 

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