collar less
00.虹に吸い込まれて消えた透明な願い

フレイムオレンジの翼の元に広がる、故郷マサラの町並みから緑色は静かに視線を外した。
ここはなにもない田舎町だ。珍しいものも、楽しいことも、悲しいこともなにもない。けれども世界で一番、ポケモンたちが汚されていない、汚れなき純な白。
マサラの人間は生来ポケモンと気持ちを通わせる素養があると、ポケモン学の権威オーキドユキナリもかつてそう評した素晴らしい町。
マサラの道のりを上空から目で追いかける。以前この地を後にしたときと変わらずに穏やかで、しかし確かに違って見える景色を深い緑の眼に焼き付けるように。
――そのとき。うるさいくらいに鳴り喚く風の音色に入り混じりながら、ポケモンバトル特有の激しい大音響が確かに自分の耳を貫いた。
慌ててその方向に目を凝らすと対峙する二つの影が飛び込んで来る。片方の、黒衣に身を包んだ男の姿を確認するとリザードンの首元に置いていた手で軽く叩き、方向転換を促した。

降り立った地面をよく見ると、湯気を拭く草原が溶け始めている。奴らが好んで使うアーボックやゴルバットなど、毒ポケモンの技がここで放たれぶつかり合った何よりの証拠だ。
静まり返った空間をグリーンは歩み進む。視界を阻んでいた大きな木の幹を過ぎて、――驚きに目を見開いた。
大規模な戦闘痕が刻み込まれたその場所に。
地に手を突いて蹲っていたのは、まだ幼さの残る顔を絶望の色に染めた幼馴染。

そこまで歩むと、やっと聞き取れる程度の細い声が鼓膜を揺らす。

「うそだ……こんなの………」

そこには、いつもの向日葵のような笑みの面影などどこにもなくて。
はた、と差し伸べかけた手を止める。地面に爪を立てた彼女の腕が震えていることに気づいて、息を呑んだ。
悲痛な声が、しんと静まり返った場に零された。

「ごめん、なさ……」

抑揚のない擦り切れ震えるその声に、重なるように雫が落ちた。
まさか、と思う。

「ごめんなさい、イーブイ……ごめんね……!!」

自分は、知っている。ロケット団員との善戦のすえ、大敗を喫した彼女。奴らに“弱者”と見做された人間の末路を、自分は――知っている。
酷いなんてものじゃない。
押し殺された慟哭が、やけに強く耳に残る。唖然として、その姿を見ていると、彼女はそこで初めて自身の眼前に立つ影に気付いたように。ゆっくりと、顔を上げて。涙に濡れた双眸が、こちらを捉えた。
視線同士が交わると、瞠目する。

「――なまえ」

確信を帯びた声色が、すべてを悟った眼差しが、彼女の名前を静かに呼んで。そっと少女の傷跡に触れた。

「私、弱くて……守れなかった…ッ。勝てないってわかってて、でもなんとかなるって……甘く見て、私……」

紡がれていく言葉に耳を傾ける。

「あなたが、勝てる相手じゃない…っ!」

ロケット団がポケモンを売り買いしようと実験をしようと、知ったことじゃない。
戦う理由はただひとつ。自分の誇りとも云えるこの町を汚し、祖父を攫った奴らを……なまえを傷つけたあいつらを、――“許せない”。

お願い。
必ず取り戻して。私の大切な、“ともだち”を。

懇願する彼女の嗚咽を背中に受け止めて、炎の翼は舞い上がる。
決戦の地、ヤマブキの空を遥か遠方に見据えて。

虹に吸い込まれて消えた透明な願い
彼女の哀願。彼の悲願。


 

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