collar less
曰く、優しいエゴイスト

黄金の双眸に逆さのキャップ、大きなゴーグル。拍子抜けした拍子に情けなくも地に臀部を落とした少年ゴールドはぱくぱくと言葉を象るように口を動かした。
うそだろ、と。信じ難い現実を前にして、彼は苦い笑みを張り付ける。
眼前に仁王立ちしたその存在は世界を蝕む悪でも無ければ、人々から恐れられるような圧倒的強者でもない。
ただの、女の子だ。それこそどこにでもいるような。
平々凡々、純真無垢、人畜無害。そんな言葉を並べるに相応しい、花が咲いたような笑顔がかわいらしい女の子。そんな会って間もない相手への第一印象が音を立てて崩れ落ちる。

今現在、鬼でも見たように頬を引き攣らせるゴールドの前に立つその少女は――

「どうしたの? そんなんじゃ勝てないよ?」

にっこりと、笑って。
無邪気に、無垢に、柔らかに。こちらに言葉を投げかける。

***

ジョウト地方、コガネシティ手前の34番道路。
オーキド博士の旧友だという育て屋老夫婦の元へ届け物をしに来たのはいいが、人手が足りないだのなんだのと色々理由を付けられて、仕事を押し付けられてしまった不運少女は息をつく。
今日の運勢、一位だったんだけどな。朝の星座占いで言われたとおりにラッキーアイテムを身につけなかったからだろうか。確かペンダントだったなぁ、と自分では持っていないアクセサリーでも同じような形のものに心当たりがあったので足元に目を落とす。
なまえが視線を向けたのは、小さなイーブイの身体で首から下げるには大きすぎる石ころの首飾りを揺らすパートナーだ。生身の肉体に改造を施されてしまい、不安定な変化をし続け、進化の石によって不完全だったそれを完全なものへ変える。それが唯一の解決策だと思われていたのはもう2年も前の話であるのだから、時の流れはめまぐるしい。
最近店に出回るようになった進化停止アイテム、かわらずのいしを手に入れてから、彼――最近になって性別が雄であることが判明した――はモンスターボールと進化の石以外でも自らをコントロール可能になったのだ。

「これ、何をぼーっとしているんじゃ。若いんだからしゃきっとせい、しゃきっと」
「すっ、すみません! おば――」

ぎろり、と射貫くように鋭い両目が確かな威圧感を纏ってこちらに向けられた。

「……お、おねえさん……」
「どうかしたかね?」

この呼び方はさすがに無理があるよなぁ、なんて思うけれど、口に出そうものなら次に飛んでくるのは視線なんて実体のないものじゃない。恐らく杖だ。
大雑把に肩を竦めて、なまえは二度目のため息を盛大に吐き出した。



「おう、なまえ、なまえ。ちょいと頼まれごとを引き受けてくれんか」

え、まだあるんですか。さすがに口にこそ出さないものの、全身にのしかかる疲労で不満はむくむくと胸中で育ち、どうやら隠しきれていなかったらしく。

「なに、難しいことではない。ポケモントレーナーのお前さんにはいい仕事さ」

にたり、笑われ、頭の仲が疑問符で埋め尽くされた。

「――ってバトルだなんて聞いてないですよー!?」

ポケモンバトル。対人戦。叩きつけられた挑戦状。拒否権無し。……嘘でしょう?

「あんたが相手?」

逆にかぶったキャップ帽と大きなゴーグル。陽光を強く反射する瞳が愛嬌を添える少年顔。歳は10、いや、11程度と伺える。

「……みたいです、ね」
「ふーん」

弱そう。後頭部で腕を組む、金色の目の男の子の頭が一瞬なまえには透けて見えた。
なまえとてトレーナーの端くれである。直接勝負を交えたわけでもなかろうに、少女然とした風貌だけで実力を推し量られるのは不愉快極まりない。
弱そうって、そう思うんならやってやろうじゃないか。

「私はなまえです」
「オレはゴールド。よろしくな、なまえちゃん」

腰に手を滑らせて、取り出したのは毒蜂の待機するモンスターボール。
リズミカルな破裂音が双方から連続して鳴り渡り、立ち上る光の中から召喚されたポケモンの影が現れる。片やエイパム、こなたスピアー。
刹那の鼓膜に直接叩きつけられたような打撃音に、金色の双眸はこれでもかというほどに、見張られた。

それは、お互い技を交互に出し合いぶつけ合うポケモンバトルというよりは、戦闘なんて名ばかりの一方的な殲滅だった。

たった一瞬。決着がついたのは指示すら口に出せなかった、刹那の間。決定打は的確に急所を射抜いておきながら、放たれたのは威力なんて最底辺な“ダブルニードル”である。
『戦わない戦い方』、それがこの人のバトルスタイルだ。相手の体勢が整うより先に、ただ一点を狙い決定的な一撃を叩き込む、“瞬殺法”は、反撃すら許してはくれない。戦闘にすら、持ち込ませない。それはもはや、バトルですらなくて。
まるで今まで積み重ねてきたこと全部が否定されたみたいに。ばらばらと、何かが崩れていくような、そんな音が耳に張り付く。

なまえの腕が伸びて、モンスターボールを押し当てられれば、相手方のスピアーの身体が発光し出す。透明な翅を広げたシルエットが液状化を遂げて、吸い込まれていくと。
彼女による、かつん、と一歩が踏み出される。
そう、確かにエイパムはとてもバトルを再開できるような状態ではない。だが図鑑を開けば一目瞭然、HPバーは僅かに削り取られた程度の、グリーンカーソルにとどまっている。
攻防戦とはまた違う、殲滅戦の光景を知らない誰がこの場を目撃しようと、口をそろえて言うだろう。
スピアーの、なまえの勝利だと。

「残念! 私の勝ちだね」

何とも言えない面持ちで顔を引きつらせたゴールドとは見事に対を成す声色は、至ってにこやかに。綺麗に笑った彼女は、はっきりと言い切った。

***

「お、おば――じゃない、おねえさん〜いい加減帰してくださいよう!」
「しっかりおし! わかいんだから!」
「ひい〜〜〜っ」

どんなに目を凝らしても、雑用を断り切れない優柔不断な彼女からは恐ろしさというものは感じ取れない。
まさに世界の不思議である、と。齢11歳にして少年は哲学的に思う少年は鋭くなまえを視察していた黄金の瞳を明後日の方向へと持ち上げた。


 

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