collar less
17.再生は白から始まる

数日に及ぶ日籠り生活からなんとか抜け出すことに成功してから二日が経った。
完全に元通り、には程遠いがイーブイとの距離もだんだんと近くなってきて、そんなささやかな喜びを噛み締めるなまえが挑戦状を叩きつけられたのは、朝食を前にいただきますと手を合わせた時。ポストに投げ込まれていたという“果たし状”……否、漢字がわからなかったらしくところどころひらがなで綴られた“はたし状”を「こんなの入ってたよ」と母に手渡されたのだ。

「………」

中を開いて、沈黙する。
果たし状って、いつの時代よ。時代劇じゃないんだから。
それは別に、漫画で見るような扇状に折り畳まれた紙に筆でででーんと書いてあるわけではない。使われているのは、縦書きで、目立ち過ぎない程度に花の描かれた綺麗な便せん……ってこれお悔やみの手紙に使うやつではないか。
何重にもマナー違反を犯している自称果たし状、もとい、はたし状に対する第一印象は最悪だった。が、不格好な幼い字体と同封されていたものには見覚えがあって。
――レッドだ。そう確信する。
何やってるんだ、あの人。
呆れに肩を竦めて手紙をテーブルの上に置くと、なまえは母特性とろとろオムレツに箸を付けた。

***

ぽつ、ぽつ、ぽつ。片手で数え切れるような数の家々が並ぶ小さな町。それらを隠しきってしまいそうな数の木々。
殺風景にも等しい住宅地から少し離れた町の郊外。開けた草原をバトルフィールドに見立て、少女と少年は向かい合う形で立っていた。

「来たよ、レッド」
「おう。遅かったな」

嬉しそうに目を細める彼の纏う、名前と同じファイアレッドのジャケットが風に翻る。
見栄えを気にしてなのか、無駄に気取った手紙の内容を要約すればマサラの郊外で待っているからバトルをしてほしい、とのことで。
送り主である彼の影から見慣れた人物が二人、現れる。

「ブルー……グリーンまで」

ぱちくりと瞬きを繰り返すなまえの瞳とグリーンの視線とが交差するが、彼は何も言わなかった。柔らかな眼差しと相変わらずの無言は静かなエールとして受け取って置く。

「朝っぱらから呼び出しをかけるくらいだもの。面白いもの、見せてくれるんでしょうね?」
「そりゃなまえ次第だな!」

にかり、と無邪気に笑うレッドの声が試合開始のコールとして放たれた。

「そんじゃあ、始めようぜ! ポケモンバトル!」

瞬間、身構えるなまえは自身の腰元へと手を伸ばす。
二つの破裂音が重なり合って響く中、吹き抜ける風が草原を騒めかせる。

フシギバナ――そして、イーブイ。

互いのポケモンがフィールドにて対峙し合うと、交錯する視線だけで十分なやり取りが交わされていることがわかった。ライバル、なのだ。ここにいる、全員が。

「“たいあたり”ッ!!」

ルール無用の野良試合。合図は、なかった。
力強く地を蹴り上げるイーブイが薄茶の弾丸となって草原を疾走する。
だぁぁん、と。ひとつ、強かな打撃音。大きなダメージではないにしろ、体勢を崩すフシギバナに確かな手ごたえを感じて唇を緩めた。
一度離れて、と距離を置かせるとポケットの中へ手を滑らせて。

「ねぇ、レッド」

彼はつくづくお節介だ、と思う。
手中にあるのは果たし状共々レッドから贈られた、三つの石。

「こんなの同封して寄越すってことは、使えってことなんだよね?」
「あったりまえだろ、ハンデのある勝負なんてまっぴらだ。せっかく素敵なちからもってんなら、それを百パーにしてバトルに組み込むべきだもんな!」

なまえがそこらへんは鋭くって助かったぜ! 人を惹き付ける笑みで無自覚にこちらを突き刺してくる性格に変化はない。

「……そうだね。レッドがそう言うなら、私は私の本気をぶつけられる。全力で行くよ! だから今の私達の精一杯、受け止めて!」

変化をコントロールできずにいる原因には、身体に施された三つの進化プログラムに身体がついていけないことと、三進化に拘りすぎるあまり自ら発動させるためにはエネルギーが不足していることがあげられる。本来、イーブイは進化のいしと総称される不思議な力を宿す石の発する放射線が、元々不安定だった遺伝子に働きかけることで進化を促すのだそうだ。
不足分の力を補うために使うのが、使用してもその効力を失わないクチバ湾の伝説として語り継がれるいしである。

「進化、いくよイーブイ――」

イーブイの背中に石を押し当てた、直後。淡く発光を始める。全身を包む光の中からまず最初に確認できたのはアクアブルーだ。次いで、耳や尻尾の形状は魚の持つそれにぐんと近づき、人魚を思わせる美しくしなやかなシルエットが現れる。中途半端な進化ではない、まさしく完成形であるそのポケモン。
その姿を――あわはきポケモン。レッドの図鑑はそう表記した。

「シャワーズ、“みずでっぽう”!」

ばばば、とスプリンクラーのように鋭く水流を打ち出すシャワーズの技をフシギバナは気持ち良さそうに全身で受け止める。
手ごたえの無さが見てわかるほどに、与えられる効果はいまひとつ。この攻撃自体に意味がないのは知っている。とにかくフィールドを整えるのが先決だ、となまえは次なる技の指示を下す。

「“ふぶき”!」

吐き出していた水が氷の粒へと変わっていくのと比例して、深緑の巨体に注がれていた真水がぱきぱきと微かな音を立てて凍り始めた。フシギバナを地面に繋ぎ止める氷柱。それはまさに氷のチェーン。全身に絡みついて拘束し、離さない。

「“なみのり”で……とどめッ!!」

氷のバトルフィールドに押し寄せる高波は冷気を纏って場に満ちる。
ぷつん、鎖が切れる微音を耳が拾い上げたような気がしたが、潮が引いて姿を現す地面に目を回して横たわるフシギバナでは反撃の心配もいらないだろう。
だけど、まだ。

「……ってわけにもいかないか……」

まだ終わってなどいないんだ。
そうだよね。だってレッドだもんね。こんな簡単にやられてしまうわけがない。
目立つ箇所に傷がつけられているにしろ、致命傷にまでは至らないのかフシギバナはそこで静かに立っていた。

「もう一度、準備はいいよねシャワーズ。“ふぶき”!!」

歯切れのいい号令。しかし放たれた寒風は的を捉えず掠める程度で、ぱきぱき、と薄い音が微かに聴こえる程度のダメージしか与えられてはいなかった。
俊敏性には欠ける大型ポケモン、フシギバナの戦闘スタイルは降り注ぐ攻撃の嵐を耐えて耐えて、耐え抜いてからの重い反撃、らしい。ならばきっとそろそろだろう。

「“はっぱカッター”だ!」
「“ふぶき”で向かい撃って!」

向かい側から放たれる冷気に宥められるかのように、失速していく木の葉の刃が自分の重さに耐えきれず、落下する。だが氷風から逃れた葉がひとひら、シャワーズの頬を掠めていた。苦手な草タイプの攻撃に水タイプである自分を掌握しきれていないシャワーズ、否、イーブイは悲鳴を上げる。
一枚でここまでの威力を誇る凶器。となるとこれは。

「やっぱり先に行動不能にした方がよさそう。シャワーズ、“ふぶき”!」

技に勢いが付けば付くほど威力も上がるが、その分コントロールが難しくなってくる。大雑把な攻撃は虚空を掠め、日光に照らされた小さな氷は煌めきながら宙に吸い込まれた。

「外した……ッ、もう一回!! “ふぶき”!」

今度こそ必中。しかしその結果に笑うのはなまえではなくレッド方で、「五回目だ」唇の綻びから零れ落ちる彼の声。

「技が強力になればなるほど出せる回数ってのは少ないんだ。そしてそいつが“ふぶき”を使える上限は全部で五回。これが最後だろ!? だったらそれを耐え抜けばこっちのもんってわけだ!」

嬉しそうに論を述べて、踏ん反り返る赤目の少年に、彼女は静かに言い放つ。

「だったらそれがあなたの油断だね――レッド」

敗北なんて結果は眼中にすらないないような、挑戦的な眼差しだった。

「レッドほどの相手だよ? ポケモンと技のタイプが一致していないと本来の力は引き出せない。いくら最高火力といっても、季節や温度なんかも関係してくる氷技。多分“ハイドロポンプ”ほどの威力はない。
最初に私、言ったよね? 今の私の全力をぶつけるって。精一杯を出し切るって。なのに中途半端な技を切り札にしてくる時点で、おかしいって思わなきゃ」

ようやくレッドは気づいたようだ。なまえの手にする、燃える炎のレリーフが刻み込まれた進化の石の存在に。
まさか、と赤目が曇った一瞬をなまえが見逃すはずがない。

***

佳境に入り熱を持ち始めた試合の行方を見届ける、青と緑の二色があった。

「こういっちゃなんだが」

良く言えば使えるものは何でも使う、柔軟性に優れた戦い方。悪く言えば。

「えぐいな、やっぱり……」

そう呟く彼の傍らで、気分屋少女はころころと楽しげな笑い声をあげる。

「あら、いいじゃないの」
「何がだ」

笑みを湛えた青い瞳の片方を、ぱちりと閉じて、彼女は言う。

「アタシの親友が、ただの女の子な訳がない!」

言葉を聞いて。
ブルーがブルーなら、なまえはなまえだ、と緑目の少年は深く深く息をつく。

負けたくない。負けたくない。もう失いたくはない。それ以上に、今のなまえの中に燃えるものはただ純粋な闘志に他ならない。大切なパートナーを取り戻しての初バトルで、ようやっと本来の彼女を取り戻し、楽しさを思い出すことができた本気のバトルで、負けたくない。大好きだから、負けたくない。
その瞳は、もう、迷わない。
自分が勝つためだけに人と競って争って、時に蹴落とし、後ろを振り返ることはしないで上だけを見据え、上り詰めていく。どうしたってバトルでは、自分の欲望に正直になる必要があり、それが戦いというものだ。
優しい彼女はきっとそれが嫌だった。だけどもうそんなことは関係ない。吹っ切れた双眸の映す先。望む頂点には何が存在しているのだろう。
タマムシでの一戦からただ純粋にバトルを楽しめるようになってきた彼女は、きっとどこまでも強くなる。
蹴落としていい、足を引っ張っていい、叩き潰したって悪にならなければそれでいい。自分はただ、追い抜かし、振り返らず、突き進めばいい。だってそれがバトルなんだと悟りを開いた彼女に言いたいことがひとつだけ、グリーンの中にぽっかりと浮かんできた。

――エゴイストめ。

だが、それでいい。
ポケモンバトルが人の欲以外でできていたことなんて、多分ない。勝ちたい、勝ちたい。自分の培ってきたものすべてをぶつけて相手を捻じ伏せ、完膚なきまでの勝利を手にする。
そうだ、だからお前は正しい。相手の都合なんて考えるな。
常に盲目でいろ、なまえ。

カッ、と閃光が目を焼いた一瞬。熱い、と急激な温度の上昇を感じるのが精一杯だった。
一際大きく鼓膜を貫く爆轟音。
顔面に容赦なく押し寄せる、ところどころ氷の粒が入り混じった水蒸気。
そんなのありかよ。苦々しく顔を歪めたレッドの反対側、満足げな輝かしい笑顔を浮かべ、ピースサインを突き出すなまえの姿がそこにはあった。

再生は白から始まる
Let's battle!


 

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