collar less
16.約束しよう、そして手を繋ごう

どこから話しましょうか。
そう前置いて、青目の少女はぽつりぽつりと自身の過去を紡ぎ始める。

「5歳の頃だったわ。気が付いたらそこは知らない場所。周りにいた人間も皆、知らない人ばかりだった」

彼女の話を、聞いていた。

「そこではみんなが仮面を付けていてね。白くて、つり目に目がくりぬかれていて、不気味な仮面。それがみんなの顔を覆ってて、同じように攫われてきた子供と一緒に、そこでポケモンに関する知識や技術を教え込まれた」

悲しげな面持ちで、どこか遠くに焦がれるような眼差しで紡がれる、それはブルーの独白だった。

「一人では、なかったのよ。運が良かったのかしらね。アタシよりも3歳下の男の子。赤い髪に銀色の目の、アタシの“弟”。その子がいたから頑張らなきゃ、守らなきゃ、って生きる理由みたいなものを見つけることができたのね。なんとかして切り抜けよう、ってそこを逃げ出したのは……連れて来られてから随分経ったあとのことだわ」

広い世界を夢見て逃げ出した。けれどずっと求めていた光は眩しすぎて、幼いながらに陰の存在であったブルーも“彼”も陽の下で生きることは許されないような気がして。
幼い二人は今日を生きることもままならず、悪行に手を染める以外に生きる術を知らなかった。
何よりあの子を守るためだった。
大切なものを失うこと。それはブルーが何よりも恐れていたことだったから。

「言ったら、あなたは怒るかもしれない。でもね、なまえ。あなたと初めて会ったとき、この子は自分とおんなじだって思ったのは本当なの」

他人の心の動きには敏感なブルーだから、同じ痛みを抱えたなまえに無意識の同情を持ってしまったのだろう。
だけど、それだけではない。可哀相、なんて綺麗な感情だけで隣にいれるほど、心が汚れていないわけがなかった。
大切な友達を奪われて、それでも尚、抗い続けるなまえの姿にブルーはきっとどこかで自分を待っていてくれるはずの両親を重ね、自己満足に浸っていたのだ。もしかしたら自分の親も彼女のように諦めずに探し続けてくれているかもしれないと、希望を持つために。自分の心が壊れてしまわないように、諦めを知らずに走り続ける彼女の姿を見守り続ける必要があった。
――そうしていないと脆く儚い仮面なんて簡単に崩されてしまうから。

「アタシがなまえを支えていたのは何よりもアタシ自身のためだった。本当にごめんなさい。こんなに自分勝手な理由で傍にいて。だけど、どうしてもアタシは強くいる必要があったの。ごめ――」
「謝らないでよ」

遮る声は、そこに確かな哀しみの色を宿して――響く。

「理由なんて知りたくない。私は私がブルーの友達であれたらなんだっていいの。一緒にいて楽しければそれでよかった! なのにここで謝られたら今までのこと全部嘘だったみたいじゃない。そんなの嫌だよ。だから謝んないで」

「なまえ……」

だって――友達でしょ?

ふっ、と。
そのときなまえが零した笑みは涙に濡れた、いくらか不格好なものだったけれど。
一度、ブルーはその澄んだ青を潤ませて、うん、と頷いたのだった。
凭れ掛かるなまえの熱を肩に感じながら、そっとその背中に手を回す。なまえ…、とその名で呼びかける。

「イーブイと、もう一度向き合いましょう?」
「え……」

本音、弱音。それらを堰きとめるものを取り払った彼女は弱い。だけど。だからこそ。

「きっと待ってる。自分では光のある方向へ行くのは難しいけれど、引っ張り上げてくれる人がそばにいたら……歩み出す、勇気になるはずなの」

人は独りじゃ進めない。それはブルーが身を以てなまえに示し、伝えたことだ。
待っている。あの子は救われるのを、待っている。
そう、なのだろうか。

「……一緒に来てくれる?」
「もちろん。行きましょう」

差し出された、その手を取った。
まだか細く弱い光だが、それは未来へ続く夢の道。

***

ポケモン図鑑に備わる「進化キャンセル」と同じ、成長を止める波動を流すことで力尽くではあるがなんとか変化を止めることができている。

それはとてつもない勇気がなければできない行動で、絶望を受け入れるための大きな覚悟を決めることだ。
自分には計り知れないものをこの子は独りで背負っている。前を向くため、生きている。
哀しそうな、苦しそうな、瞳に揺れるのはただ純粋な憎悪の色。
己の身体に他者の手が加えられ、自らの意志で動かすことができなくなる痛みはきっと幼いイーブイには心が壊れてしまうほどのものだったはずで。まだ自我も芽生え始めて間もない幼子にとって、それは生きるなと真正面から告げているに等しい、厳しい現実。
あぁ、やっぱり。人間を、憎んでいるんだ。
それがひどく悔しくて、哀しい。
でもだからこそ、だからこそひとりにしてはいけないと――そう思ったんだ。

「イーブイ、少しだけ、聴いてほしい」

小さな背中に語りかける。

「ごめんね、辛かったんだよね? 今も辛くて痛くてしょうがないんだよね。大丈夫、私はあなたに何もしないよ。傷つけないし、攻めたりもしない。私はあなたの敵じゃないよ、だから」

助け出すよ。例え望まれていなくても。
見つけ出して、そこで終わりなんかじゃない。あなた自身を救ってこそ、私の旅はそこでようやく終わりを迎える。
全てが元通りになんてならないことはわかってる。今までの辛かったこと全部をまっさらな白紙に戻すことなんてできないけれど、それでも共に時間を刻んで行こう。そこに新たな色を重ねることはできるから。

だから。だからこそ、言うのだ。

「“私を信じて”」

ふわりと。その言葉はどこまでも優しく、胸に響く。
そっと背中に触れた手は、今度こそ拒まれることはなくて。

約束しよう、そして手を繋ごう
同じ痛みを持つ者同士、
分かち合うことば


 

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