collar less
15.幸せな結末でしか終われない

ふわふわ、ふよふよ。空を漂う薄桃色の風船に体を預け、青目の少女は飛行する。
本日、快晴。無地のキャンパスにも似た群青一色の景色に桃色の球体は良く映えて。地上で友人の訪問を今か今かと待ち続けていたグリーンは、それが朗らかな来客の飛行手段、プリンであると確信を持つと着地地点に向け走る。
栗色のもみあげを揺らして少女ブルーがマサラタウンの大地を踏めば、ふしゅう……とその背後で内にため込んだ空気を放出し、プリンは元の体格に萎んでいく。

「ねぇ、ちょっと。これってどういう意味よ?」

こんにちは、久しぶり。典型的な挨拶をもすっ飛ばし、食い気味に問いをぶつけてくる彼女を普段ならば礼儀知らずだなんだと罵るグリーンだが、今日ばかりは何も言葉を発さないまま名前と同じ色の瞳を伏せがちにして低く答える。

「言った通りだ」
「それをどういうことだって聞いてんの。わかんないわよ、『イーブイはいた。なまえが塞ぎ込んでいる。』だけじゃ!」
「だから連絡した内容そのままだ。再会を素直に喜べるほどイーブイはいい状態ではなかっ――」
「わかってるわよ!! アタシはそんなこと聞いてるんじゃない、なまえはどうしたのって聞いてるの! 旅先で何があったかを!」

理不尽な怒りをぶつけられるが、相当に余裕のない青碧の双眸を前にしては反論なんて浮かばない。問いかけへの回答も頭の中からすっかり抜け落ちてしまったように、何も見えない。浮かばない。

「……今のあいつじゃ何を言っても耳を貸さない。元気づけるなんてオレには無理だった。頼む、力を貸してくれ」

そんなの――当然じゃない、と。迷いを消し去った澄んだ青色を一度だけ瞼の奥に隠してから暫しゆっくりと首を前に傾けて逡巡する様子を見せる。

***

グレンタウンの奥深く、エリカに教えられたのは隠れ家を思わせる小さな研究所。隠居している老人研究者がイーブイを保護していたとの情報――ただし彼が元ロケット団員であるということは伏せて――を受けてその場所を訪れたのは、ほんの数日前のことだ。
快く室内に通してくれた家主カツラに、様々な機材や資料棚の並ぶ中から導かれたのはセンターでよく見る回復装置に似た台の真ん前。それまで陽気なおじいさんの印象を与えていたカツラだったが、突然に表情を曇らせるとなまえに向けてこう言った。

『覚悟はできているかね?』

予想は、悪い方向へ裏切られる。

そこで見たものはぞっとするような光景だった。
見開いた両眼に溢れんばかりの雫を溜めて、なまえは思わず口を押えて後ずさる。
それは、恐らくイーブイであると思う。だがその姿は異常、としか言いようがなく、奇形なんて言葉では言い表せない――ぐにゃぐにゃと揺れる影は原型を止めないまま、常に不定の姿をしているのだ。
頭がシャワーズになり、尻尾はブースターとなり、胴体はサンダースとなり。そうかと思えば今度は顔がサンダースとなり、胴体がシャワーズになり……。正しく変化を操れないまま、イーブイであろうそのポケモンは悶え苦しんでいた。
眼前のその子はレッドのブイと全く同じ能力を人の手によって施されてしまった、可哀相な実験台。だがブイと違っている点は七変化ならぬ三変化を自らの意志ではうまく行えない、ということだ。
出来損ない、と言っていいだろう。

『レッド君の手に渡ったイーブイ……。あの子は耳に補助具のような機械を取り付けることで“相手のポケモンのタイプに応じて3種類のポケモンに進化し、イーブイに退化する”ことを可能にしていたが、所詮は機械だ。不具合や、ポケモンからの拒否反応が発生する。だから奴らはあれ以上の成功品を望んだのだ。もっと、自由自在に、進化を、と』

なまえのイーブイが奪われたのは彼がロケット団を裏切った日から大分時間が経ってからのこと。カツラ無しでも遺伝子を書き換える研究を進めようとしていたロケット団だが、有能な研究員であったカツラの抜けた穴というものは予想以上に大きく、また造り変えるまでの時間が足りなかったこともあり、“改造”は上手くいかなかったのだそうだ。

『どんな姿になってしまっても、君はパートナーを愛せるかい?』

悲しい現実を受けいれるための準備は、まだ、整ってなどいなかった。

***

グリーンから聞かされたグレンでの出来事は彼女を絶望させるには十分すぎたと思う。

「ねぇ、なまえ? いるんでしょう?」

数度繰り返すノック音。行く手を阻むように、訪問者を拒むかのように、間に隔てられた木の扉が今だけはひどく分厚いように錯覚してしまうが、お構いなしに戸を叩き続けた。

「なまえ、みんな心配してる。ポケモンたちもそうだし、レッドもグリーンもよ。お願い、出てきて。少しでいいの、話をさせて?」

すると。
ぎぎ、と重苦しい軋みを奏でながらに開かれ、心なしか冷たい風が頬を撫でた気がした。

「ブルー……?」

弱々しい声音が空気を揺らす。
その一言は、いつものなまえとは到底結びつかないほど、感情のない声音で放たれて。思わず息を呑み、口を噤んでしまった。
あぁ、こんなになってしまって。
出来るだけ彼女を憐れむようなことはしない、と心に決めての訪問だったのに、とブルーは苦々しく唇を引き結ぶ。
制約を破る行いを悔やみながらも、入室の許可を得たわけでもないのになまえの部屋へ上がり込める度胸は、ブルー本来の行動力なのだろう。

「……グリーンから聞いたわ」

お疲れ様。辛かったでしょう。でも大丈夫、アタシがいるからね。
そんな風に掛けるべき言葉は、いくらでもあったのだろう。
だが床に沈み込んだ親友の頭を撫でながらに放ったそれは、励ましとは程遠い独白の引き金だった。

「ねぇ、聞いてくれる? アタシの――昔話」

幸せな結末でしか終われない
手の届かないハッピーエンドを望んで溜め息


 

[ back ]
- ナノ -