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13.君が信じる僕を信じてる

カントー地方有数の大都会、タマムシシティ。この地方で一番の規模を誇るタマムシデパートや、大きなゲームセンターなどの施設が数多く並ぶ、住民にとっては一番の遊び場でもある街。
ヤマブキシティがビジネス街なら、こちらは歓楽街、といったところだろう。
しかし、そんな遊びの誘惑には脇目も振らず、私とグリーンが一番に訪れたのはタマムシシティ、ポケモンジム。
手持ちたちの最終コンディションチェックも万全という結果で終わらせている。
それでも、胸にどうしようもなく押し寄せてくる不安感に押しつぶされそうになってしまって、なかなか一歩が踏み出せない。
――と、服の裾をくいくい引っ張る手があった。

「ん、ラッキー、どうかした?」

そちらを見遣ると円らな瞳がじっと見上げてくる。なんだろう、と思いながら見ていると。
応援なら任せてよ、と言わんばかりにくっと小さな腕を曲げて力こぶを作ってみせる。……で、出来てないけど。

「応援してくれるの? 嬉しいな」

ふふ、と顔を綻ばせながらに丸い頭を撫でてやると、ごそごそとポケットを漁り始めた。
じゃーん。取り出したそれは艶やかな白色の、

「う、うーん。たまご、はいらなかな……?」

微笑みを苦いものへと変えて遠慮の意を示すと、しゅんと萎れてしまうラッキー。

「き、気持ちだけっ! 気持ちだけ受け取っておくね。ありがとう」

最後にもう一度なだらかなその体格線を人撫でし、私を待っていてくれたグリーンを向く。

「行こう、グリーン」
「思ったより早かったな。大丈夫か?」
「大丈夫。悩んでても、仕方ないもの」

一歩。踏み出してしまえばなんてことはない。
電子音と共に挑戦者を歓迎する自動ドアから中に進んだ時。

「あら、」

声が、聞こえた。

現れた、幼げで可憐な姿に息が詰まる。
上品に切り揃えられた濡れ羽色の短い髪。純白の色を控えめに反射するブラウスが、雪に近い肌色を美しく引き立たせる。嫋やかな足取りで迎え入れてくれた、自分とそう歳幅もないであろう少女――名をエリカという――は、おっとりとした印象を植え付ける表情に微量ながら驚きの類の感情を滲ませて。頬に手を当て、きょとんとした様子で私と隣のグリーンとを交互に見比べていた。
纏うものは洋服ながらに大和撫子を思わせる佇まいは、そこにいるだけで話し相手を緊張させる。もちろん、いい意味で、だ。彼女自身はこちらが話しやすい空気を作るよう心掛けてくれているようで、どうしようもなくありがたみを感じていた。
どうも、といつも通りの不愛想さで会釈をするグリーンを横目で睨み、エリカさんに向き直ると自分がそうするよりも先に彼女の方から口火を切る。

「あらやだ、突然来たと思ったら……。試合の申し込みですの?」

ええ? はい……そうです。とかなんとかもごもご呟き、ふらふら彷徨わせた視線は自分の手元に落ち着いた。

「ふふ、やはりね。そういう顔をしていらっしゃるから。もちろん喜んでお受けしますが……負けませんわよ」

それは――勝負に飢えた、強者の眼だ。

「わたくしはタマムシジムリーダー、エリカ。お花を生けることが趣味でポケモンは草タイプばかり……。おいでなさい、歓迎します」

「……っはい!」

震えを残した声色ながら、しっかりと、真っ直ぐにエリカさんへ届くようにと響かせる。
建物に入ってすぐの場所に作られた闘技場は美しく空間を彩る草花の甘ったるい香りに満ちていた。
タマムシシティ、ジム戦。どちらかのポケモンが戦闘不能となった時点で試合終了。
ただならぬ緊張に圧迫感にも似た重みを覚えながら、汗の滲んだ拳をきつく握りしめる。

「グリーン……」
「一応ここは見学可能だ。入ってしまった以上、オレから言えることはないが、ラッキーと一緒に応援してる。――がんばれよ」

静かなエールに勇気を貰えたような、背中を押して貰えたような、そんな気がした。
両者、位置につき。
そして、開始の合図が響き渡る。

「ラフレシア、出番です!」

鈴の音のようなエリカさんの声だが、ジムリーダーの肩書を背負った今、そこにはかわいらしさ以上に凛々しさの類の何かを感じさせる力強さがあった。

「お願いロコン!」

破裂音と共に飛び出す赤茶色の影は、着地と同時に毛流れを整えたばかりの六つの尻尾を自慢げに揺らしつつ、大きな黒目を鋭くさせて。

「“ほえる”!」

ひとつ、凛とした力強さを以て場に轟くのは子狐の雄叫び。
勇ましく放たれる咆哮が相手を委縮させて強制交代を促すと、狙い通りにエリカさんはモンスターボールを取ってラフレシアを引っ込める。一番手として放たれた巨花のフラワーポケモンこそが恐らく彼女の手持ちで云う主将だろう。
できるだけ弱いポケモンから相手にしていくことで少しでも多くの経験値を稼ぎ取り、またバトルに慣らすことで後々の戦闘を有利に進めるための策。
さて、エリカさんの次なるポケモンは――!?

「それでは……――モンちゃん!」

フィールドを挟む向かい側。破裂音が炸裂し、眩い光と共に出現したのはブルーの蔓草が全身に絡みついた特徴的なシルエットの、とそこまで思考を巡らせてからマサラ付近の21番水道の分布を思い出す。種族名、モンジャラ。草タイプ。自慢の炎技で焼くも良し、“でんこうせっか”のスピードで翻弄するも良し。ロコンなら有利だ。
良し、行ける。自らを奮い立たせるが如くそう言い聞かせ、子狐に向け指示を下す。

「先手必勝ッ、“でんこうせっか”!」

ロコンの足がフィールドを蹴り上げ、目にも止まらぬ速度を持って突進する。
しゅるり、モンジャラが無数に生やした蔓植物のうち数本を動かした。それが何の合図であるか、考える間もなく指示が飛ぶ。

「モンちゃん、“つるのムチ”で相手を捕まえて、“すいとる”!」
「かわしてロコン、“あなをほる”!」
「甘いですわ! そこには――モンジャラの張った“やどりぎのタネ”が植わっていますのよ!」

あ…、と虚しく空気を震わせるのは己の口から漏れた小声だった。小さな足が地雷を踏んだ、その一瞬。みるみるうちに成長を遂げるやどりぎはあっという間に目を出して、小さな子狐などいとも簡単に束縛してしまう。
私と、グリーンと、数人のジムトレーナー。一体どれくらいの人間がやどりぎの地雷に気付くことができただろうか。仕込まれていたタネによる反撃を予測できていたのだろうか。
相手に何一つとして悟らせない、静と動の使い分け。“さりげない”。そんな言葉が当てはまる、戦い方。

「弱点の多いタイプを扱う者として、当然対策はしてありますわ」

にこり、微笑むエリカさんは大層嬉しそうに。

「“ほのおのうず”!」

ボウッ、と明るく燃え上がる火炎の渦潮が天井高く巻き上がる。

「レベルも低く、技の範囲も狭いロコン。大きなダメージを一度に見舞うことよりも、少しづつでも確実に体力を削る方を選んだか……。いい判断だ」

観客席で微笑を浮かべる緑色と視線を合わせて、腰元へと手を伸ばす。

「ロコン、一旦戻って! ――ニドラン!! “つのでつく”!」

閃光した掌から放たれるのは忠誠心の強い頼れる新入りは、鋭く飛んだ指示通りに地に足が着くと同時に蹴り上げ、バトルフィールドを駆け抜ける。
傷の癒えたばかりの身体で、それも初バトルが対リーダー戦というのは如何なものかとグリーンは渋い顔をしていたが、未進化ポケモンでありながら手持ちの中では一番の攻撃力を誇る騎士だ。
育ち始めて間もない角を蔓の隙間から突き立てて、傷を残す。それを見計らっての次の攻撃を命じた。

「“どくどく”ッ!」

真新しい傷口からじわりじわりと滲んでいく毒々しい赤紫の液体に、モンジャラの苦しげな呻きを上げた。そう、二度目こそが主要攻撃なのだ。“ニド”ランだけに。
しつこいくらいに付き纏う“ほのおのうず”の効力と、全身を巡り始めた毒状態での追加ダメージがモンジャラを苦しめ続け、反撃の余裕さえ与えない。今なら、きっと……

「とどめの“どくばり”攻撃!」

少々視覚への衝撃が強すぎる、猛毒の一撃が振り下ろされて。
勝利を告げる赤のフラッグが翻された。初戦を終えてほっと安堵の息をつき、肺活量のぎりぎりまで空気を吸い込んでから鋭い視線で闘技場を見遣る。向かい側の大和撫子が数歩歩み、そっと青い蔓の身体を抱き上げてモンスターボールを宛がえば腕の中でその影が一点に収束していく。その様子を見届けてから自分もボールを取り出し、ニドラン♂を納めた。お疲れ様、と労いの言葉も添えて。

「お行きなさい、マダツボミ!」

放たれた二番手、マダツボミ。こちらが選択したポケモンは、再びロコン。
ひょろりと細長い、風がひとつ吹くだけで一蹴されてしまいそうな体つきからはどうにも頼りなさを感じてしまう、実力者が扱うにしては何とも弱々しく不釣り合いな印象ばかりを植え付ける容姿に――気を取られてしまったのが最大の油断にして、間違いだった。

「“ひのこ”!」

「“かえんほうしゃ”!」

息を切らした自分の声だけが闘技場に響き渡るばかりで、マダツボミを繰り出してからというもの、エリカさんが何か攻撃を命じるようなことはなく、小さな火炎弾とホース水のように投射される炎が標的を捉えられないまま放たれ続けていた。
ひょろり、ひょろひょろ。頼りない足取りはそのままに、酔っ払いを思わせる千鳥足で身体をしならせ攻撃の嵐を避け続ける。

「もう一回、“かえんほうしゃ”!!」

……嘘でしょ、全然当たらない。呆気に取られて肩を落とす私とは正反対に、得意顔でふんぞり返るフラワーポケモンは特別強い技を覚えているわけでも、人が“才能”と褒めたたえるようなステータスを秘めている訳でもない。
なのに攻撃を当てることができなくて、標的を僅かに掠めることすらできなくて、こちらは体力はもちろんのこと、極限まで研ぎ澄まされた神経をすり減らしていくだけの、一方的な消耗戦だ。
だめだ、だめだ。このままじゃ、負けてしまう。
遠い地方で行われるという闘牛にも似たこの戦況を、何とかして塗り替えてしまわねば。

「そのロコン、戦うことが大層好きなご様子で、それに見合った実力を持っているとお見受けしますが……どんな攻撃も当たらなければ意味はありませんのよ。ではそろそろこちらも参りましょうか。“はっぱカッター”!」

発射されたいくつもの木の葉は一つ一つが確かな切れ味を誇る武器である。しかし、研ぎ澄まされた剣といえど所詮は一度も進化を経験していないマダツボミの攻撃だ。タイプ相性の面から見ても有利なロコンに対し致命傷となり得るダメージを与えるにはいくらか不十分過ぎる。
だけど。

――どんな状況でも油断はするな。

「っ、“おにび”!!」

強者相手の油断は命取り。ただの攻撃に見せかけて、次の一撃を確実に当てるための策謀である可能性。紛れ込ませた小さな刃に気付かせず、相手の傍まで届かせるためのカモフラージュである可能性。
一撃一撃にあらゆる可能性を秘め、試行錯誤を要してくるのが強者の戦い方なんだ、と緑の瞳は言っていた。

空中に点火させた数十もの火の玉が、標的ロコンへの軌道線を数寸も乱すことなく流れてくる木の葉とぶつかり合って、ただの灰散に変えていく。その中のいくつかはマダツボミの体に触れて、火傷を負わせた。

「あなた、見破っていましたの…? “はっぱカッター”に仕込ませた、“しびれごな”を」

策謀か、カモフラージュか。今回はどうやら、後者のようだ。

「それが“しびれごな”かまではさすがに……。でもここで効果の薄い技を打ってくる分には多分何か隠してるなって、思って」
「素晴らしい判断です。…いえ、勘と言った方が正しいかしら。マダツボミ、まだ戦えますか?」

むくりと跳ね起き、細腕ながらも力こぶを作って体力の余裕をアピールする。

「それではそうしましょう。次の攻撃はそちらから来てくださいな」

挑発だろうか、と一瞬頭で考えるも、攻撃命令を放っていた。

「“ひのこ”だよ、ロコン!」

声高に。
張られた弾幕は空気に触れると共に発火して、これならかわすことも難しい……そう、思ったのだが。器用に上半身をくねらせ、しならせ、尚も攻撃を受け流し続けるマダツボミを視界にいれて、更なる落胆を覚えると同時に、気付く。マダツボミの、微かな変化に。

――ひょっとしたらお前はかなり繊細なんだろうな。
――なまえの長所は人と比べて視野が広いことだ。だからフィールドやポケモンの繊細な変化にも気づけるんだろう。

あぁ、だめだよ私。こんなときに、彼の言葉を思い出してしまったら。

「調子、乗っちゃうじゃん……」

緩みかけた口元で、小さく小さく呟いた。
それがカントーで二番目の実力者がくれた言葉であったから。だから安心して攻撃できる。一瞬たりとも疑うことなく、己を信じることができるんだ。
一か八か。全力で。フルパワーで!

「“ほのおのうず”!」

ぐるん、と円を描いて新体操のリボンのように燃え広がる炎は広範囲を焼き尽くす。発火したそれは小規模な炎の竜巻となり、体勢を崩したマダツボミをそのままもう一度天高く巻き上げた。吹き荒れる空気を焦がすような風。力任せな荒業であるが、今はそれによるダメージしか頼れるようなものはない。

“おにび”で負わされた火傷状態は確実にマダツボミの体力を蝕んでいて。それを少しでも回復するために、マダツボミはその種族の習性でもある行動を起こした。それが、足の根っこを地面に突き刺し、水分補給を行うこと。
遠くからでは確認のしようもないほど小さな足先では、こちらに気づかせることなく回復可能。だがその根は歩行手段でもあるわけで、突然身に攻撃が降りかかれば逃げ出すことなどまずできない。神経の通っている足を強引に引っこ抜き、仮に千切でもしたら……そう思うとぞっとする。
突然の攻撃を回避できなくなったマダツボミは、ひょろりと上半身を翻すことでなんとか受け流していたようだが、間抜けなことにそこで回避ができる範囲が狭まっていることをこちらに気付かせてしまったのだ。

「マダツボミ、戦闘不能。ロコンの勝ち」

翻されたフラッグに胸の前で拳を握る。
魂が震えるようだった。
繰り広げるのは一進一退の攻防戦。結果を左右するのは自らの下す指示。緊張感と、興奮と、武者震い。ぞくぞくと背筋を駆け抜ける寒気とは半比例するように、身体の芯は確かに熱を帯びていて。
楽しい――楽しい!
終わらせるのが勿体ないとすら思えるほどに、強者を前に全力を尽くすことがこんなにも楽しくて仕方がないなんて。
だけど、ごめんね。
きっとこのバトルを楽しんでいるのは向こうだって同じことで、永遠のように長く感じる数舜をまだまだ感じていたいと思っているのは私だけではないはずで。最後のモンスターボールから放たれる強敵と力を交えることに対しての期待は恐らく絶大だろう。
ごめんなさい。私はやっぱり戦えないよ。
でもだからこそ、戦闘嫌いな私であったからこそ、この作戦の効力が最大限に引き出されるのだ。

だって思ってもみないでしょう――

「これで終わり、です」

最後の最後のとっておきが、戦うことを目的とせずにここまで鍛えられているなんて、あなたは夢にも思わない。

ボールのフラッシュに紛れた一瞬、放たれたポケモンの姿は誰の目にも映らなかった。きっとそれが誰であるかを知っていたのは、ボールを選び取った私だけ。
とどめの一撃は僅かに水面を波立てるそよ風のように、至って静かに穏やかに、繰り出されていた。

君が信じる僕を信じてる
あなたのことばが勇気をくれる


 

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