collar less
12.世界は少しだけ体積を増した

長い長い夜が明け。
そして一日が、幕開く。

***

ふわ…、と盛大な欠伸を漏らしながらに部屋を出ると、隣室を取っていたグリーンと廊下でばったり鉢合わせた。

「お、おはよ」
「………はよ」

何故か据わった目でどんよりこちらを見てくる、緑色の瞳に一瞬怯む。
あまりのテンションの低さに呆気に取られる自分の脇をすたすたと歩いて抜け、グリーンが非常階段のドアノブに手を伸ばした。と、そのとき不意に彼がこちらを振り向く。

「……がんばれよ」

感情のない声でそう言って、グリーンは今度こそ階段に歩み出た。遠のく足音をその場に立ち尽くしながら聞いて、口元を引きつらせる。
朝に弱いことはナナミさんに聞いて、知ってはいたけれど。
何だ、今の静かな嵐。
呆れの意味でため息をつきながら後を追う。

***

結局、クチバシティを出発したのはジョーイさんにニドラン♂の傷に巻かれた包帯を外して貰ってから――数日が経ってからのことだった。

セキチクから西へ伸びる18番道路。北西に進んで17番道路、16番道路……と北方向へ向かって行く。それが徒歩でのタマムシまでのルートだ。
そんな18番道路も終わりに差し掛かる頃、グリーンが静かに向ける視線の先で飛び交うのはポケモンバトル特有の攻撃令で、なまえとコウタと名乗った少年が距離を離して対峙し合う。

「ロコン、“ひのこ”!」
「かわせ、ラッタ!」

ひゅんひゅん、火玉が空気を切って放たれる音を聞く。大きな耳をぱたぱた言わせて技の軌道を読み取りながら、ラッタは器用に炎の嵐の間を縫うように的確に逃げ道を見つけ出す。レベルも経験値もラッタの方が上……さぁ、彼女はどうするのか。

「ロコンッ!」

すっ、とラッタに向けられた彼女の指先は猟銃で言う標準のようだ。

「“でんこうせっか”!」

号令と共に勢いよく飛び出す赤茶の弾丸は、なまえが指し示していたただ一点――一般的に急所として扱われるポケモンの弱点とする部位から、一寸も外すことはなく。ずだぁぁん、強かな一撃を急所に見舞うと、表情を苦痛に歪めた大鼠の身体が大きく反り返る。
たった数度、攻撃を交えた程度なのに弱点を見切る観察眼に驚かされた。
ちょうどロコンの攻撃で勝負が決したようで、くるりとこちらに戻る彼女と視線を合わせて。

「ただいま。どう? ちょっとだけど、戦えるようになってきたよ私」

にこにこと無邪気な笑顔を向けてくる少女に、ふっ、と薄く笑みを浮かべる。

「……ひょっとしたらお前はかなり繊細なんだろうな」

そう言って、いまいちかみ合わない会話に頭上に疑問符を貼りつける彼女と並んで、歩き出す。数歩先に踏み出したグリーンのあとを暫し遅れて追いかけるなまえを振り返り、こう続けた。

「なまえの長所は人と比べて視野が広いことだ。だからフィールドやポケモンの繊細な変化にも気づけるんだろう」
「それはいいこと?」
「当たり前。オレにここまで言わせるやつはなかなかいないぜ?」
「レッドも?」
「レッドも」
「そっかぁー……嬉しいなぁ」

ふふっ、と抑えきれない笑みを顔全体に溢れさせながら言う彼女が、自分の視野の広さを“嬉しい”だけで終わらせないことを願う。

「それから、見ていて思ったんだが、」
「うん?」
「なまえ……お前、戦わない方がいいんじゃないか?」

ざわり。草原を吹き抜ける風が、的を得ない助言に首をかしげるなまえのもみあげを揺らしていった。

世界は少しだけ体積を増した
それはきっと君だけの、


 

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