collar less
11.スリーピングデイズ

アーボックの大きく開かれた口から弾丸の雨のように放たれる“ようかいえき”を小さなイーブイは跳躍で振り切り、渾身の“たいあたり”を喰らわせる。だんっ、と強かな打撃音が鈍く耳を叩き、酸によって溶かされた地にその足が着く――数舜前。
ポケモン同士で交わる視線。射貫くような毒蛇の眼光にイーブイが委縮したのを確かに見た。
“へびにらみ”、だ。遅れて技名を認識したと同時に、毒々しく発光した牙が胴に突き立てられる。激痛に悶えるパートナーの悲鳴が大きく鼓膜を振動させて、思わず耳を塞ぎたくなった。
戦闘不能が確認されると、解放された薄茶の体がゴム毬のように弾んで、力なく地面にくたばった。
イーブイ、と掠れた声で名前を呼ぶ。応答は、ない。
それまでずっと震え続けていた自分の脚が、ついに身体を支える役割を放棄した。
かつん、と満身創痍で跪く自分の眼前で軽い音と共に小石が蹴り上げられた。ところどころが抉り取られた地に置かれた手の上に、影が落とされ顔を上げる。自分を見下ろす大悪党の双眸に嫌な色が灯った瞬間を、見た。
にやり、そいつは気持ちの悪い笑みに口元を歪めて。正々堂々と姑息な手段は使わずにぶつかり合っての結果なんだ、異論はないだろう? そう言う全身黒尽くめの相手の言葉には誠意に似たものすら感じ取れる。そう、だ。確かにそうだ。私は弱かった。だから負けた。……だけど。
だけどそんなの間違っている。
やめて、と叫ぼうとして――気が付いた。声が出ない。全身が硬直して動けない。
なんで、どうして。こんな時に!
やめて。やめて。その手を離して。伸ばした指は微かに虚空を引っ掻くだけで。
本当に大きな力の前では小さな自分一人の力など通用しない。掠り傷一つすら作れない。
色々な想いがぐちゃぐちゃになって涙になって溢れてくる。熱い液体が頬を覆って止まらない。
本物の絶望というものを、その時私は初めて味わった。

***

長い長い、静けさの中で紡がれる独白に終止符を打ち。
そして彼女は、その間ずっと伏せられ続けていた視線を上げる。

「旅に出たのは何よりもあの子を取り戻すためだった。だから私はそのための手段として、あなたたちを“使う”かもしれない」

ロケット団を憎む彼女だから知りえる言葉の重み。
それでは奴らと何ら変わらないじゃないか、同じじゃないか、と確かにあのときグリーンはなまえに言った。本当に、その通りだと思う。全部を見透かしたようでいて、自分はきっと何も見えてなどいなかったのだ。

「みんなを守れるくらいに私も強くいなきゃいけない。強くなるためにジムに挑みたいけど、私一人じゃ何もできない。だから力を貸して欲しいの。――ニドラン♂、あなたにも」

言葉を聞いて、ニドラン♂がどう思ったのかなまえにはわからない。
薄闇のベールを纏い、ニドラン♂が動く。
そっとなまえの前に進み出て、視線を合わせる。綺麗な、赤の瞳。
ゆっくりとその頭を垂れていく。まるで土下座のような、だがこれは違う。騎士が主に捧げるかのような、それは確かな忠誠だった。
ニドラン♂…、と微かな声が名前を呼んだ。呼応するよう彼は頭を持ち上げる。

「ありがとう――みんな。本当にありがとう。」

私はだめだね、とか。こんなトレーナーでごめんね、とか。そんな卑屈で後ろ向きな言葉は要らない。
今、胸にあるのは感謝だけだ。それを真っ直ぐ伝えるために今はこの声があれば、それでいい。

***

遠くの夜空で薄桃色の流星が微かに瞬き、流れた。
細く長い尾を引いて悠々と空を泳ぐそのポケモン。大きな青の双眸には確かな明日だけを見据え、少女を祝福するかのように。
人がその姿を確認するよりも先に、名もない幻の存在は風の中へと消えていく。

スリーピングデイズ
今、目覚めよう


 

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