collar less
10.君の幸せが夜空に溶けきらない内に

暗い部屋。ポケモンセンターの宿泊施設。窓から差し込む月明りだけが視界を明るく照らす照明だが、不思議と電気を点けようとは思わなかった。

あたたかい。そう感じるのはロコンやラッキーがすぐそばにいてくれるからだろうか。
腕を伸ばし、自分の毒を気にしてなのか少し距離を置いた場所で安定した吐息を立てるニドラン♂の背中を撫でる。そっと、傷に障らないように。すれば、薄く開かれた片目とかち合ってしまい、てっきり寝ているものだとばかり思っていたなまえは少なからず驚かされた。
ごめんね、と囁く静穏が暗闇の中にひとつ、溶け落ちていく。
なんだか少し、沈んだ気分だった。
思わずなまえが息を漏らすと背後にと微かな振動を気配を感じた。昼間よりも幾分音量を落とした羽音がぶんぶんと空気を揺らして、背中を丸める小さな主人に寄り添うのは、普段は情動の薄いスピアー。
なんだみんな起きていたのか。
いや、違う。なまえは彼らに心配されているのだ。

「平気だよ。ちょっと考え事してただけ」

そう言ってロコンの体を抱き上げると、スプリングを軋ませてマットレスに沈み込んだ。

「ロコンにもぼんやりとしか話してなかったね。私の、昔のこと」

それは過ぎた昔話でありながら、現在にも影響をもたらし続ける消えてはくれない古い傷。全ての終わりであるそれは、また別の何かが始まる合図でもあって。彼女を冒険の旅に押し出した、唯一無二の理由であった。

「いい機会だから聞いてほしい」

なまえは手持ちに語りかける。

「私は1年前に手持ちだったポケモンを手放してるの」

思い出すのは、今も消えない痛みの記憶。

***

その子は6度目を数える誕生祝いの贈り物だった。

「今日からこの子があなたのパートナーよ」

小さな体を覆う薄茶色の体毛はふわふわとしていて、触れてみると触り心地は予想通り、おろしたての毛布のよう。長い耳を生やした毛糸玉を思わせる風貌だったが、人よりも少し高い体温を触った掌に感じ取ると生きていることを実感する。
振り子時計のようなゆったりとした動作で、ゆさゆさ揺れる大きな尻尾。猫じゃらしのような動きに食いついたのは、ポケモンではなく6歳になったばかりである人間の少女なのだが。
幼い生き物を差し出す両親は驚き様子を伺うばかりの慎重な娘を微笑ましく見守っていた。

おいで、なまえ。
8時過ぎになってようやく帰って来た母親が食事の後に突然そう言って、薄茶のもふ毛をなまえの前に突き出したのだ。

「パートナー?」
「そう。なまえのお友達だよ」

ポケモン、ということは理解する。だけどなまえの拙い知識だけでは、ただでさえ希少で、経験を重ねた大人でさえ実物を見ることが難しい珍種ポケモンの名前なんて言い当てられるはずがない。

「ポケモンさん、お名前は?」

そっと頭を撫でてあげながら、自分の声が優しく、柔らかく聞こえるようにと心がけて問いを発する。すれば、きゅう、と円らな瞳がかわいらしい声を上げた。

「きゅうだって!」
「ふふっ、そうね。その子はイーブイっていうの。仲良くしてあげてね」

いーぶい。口の中で復唱した。
きゅうではなくて、いーぶい。
わたしの、はじめてのともだち。

イーブイは柔らかな笑顔でなまえのことをじっと見ている。よろしく、と言うように。
ポケモンは人の言葉を喋らない。どこまで意志を持っているのかも定かではない。そう云われている。
だけど不思議とそのことに疑問は持たなかった。
この子は限りなく自分に近い存在なんだと、幼いながらに――否、幼いからこそ、そんな裏付けるものも何もない確信を彼女はその手に握りしめていた。



贈られたイーブイをなまえは甲斐甲斐しく世話をした。食事を手ずから与え、食し終わるまで見届けその食器を洗ったり。外で遊んで傷を作ってしまった時は消毒と包帯の交換を進んで行ったし、一緒に風呂にも入った。毎日同じ布団で共に寝た。
そんななまえの様子を両親は微笑ましげに見つめていた。
元々少し、なまえは度胸不足の臆病な子だった。ポケモンに対してもそれは少なからずあるようで、昔から一緒にいる両親のポケモンにこそ心を開いているようなのだが、それが野生となるとうまくはいかない。
だけど本来の彼女はきっと、誰かを慈しむことが好きな子なのだろう。それ以上に自分のだめな部分は直していこうと努力する頑張りやな子なのだろう。
少しづつ、少しづつ、人見知りな性格を和らげていく娘の姿を見届けるのが寂しくもあり嬉しくもあり、両親にとっての何よりの至福であった。

君の幸せが夜空に溶けきらない内に
色を忘れた遠い日々


 

[ back ]
- ナノ -