collar less
09.お日様と友達になろう

硬いプラスチックの椅子に腰かけて、足の爪先で何度も何度も床を叩く。
目の前に光るのは『治療中』と書かれた赤いランプで、嫌に緊張感を煽る字体を視界に入れるとなまえは膝の上でスカートの裾を握る手にぐっと力を込めた。

「大丈夫かな……」

か細い声がポケモンセンターの狭い廊下に響く。
ここに駆け込んでからもうどれくらい経ったのだろうか。目の前の赤に光が灯されてから、自分の見つけたニドラン♂の治療が始まってから、どれくらい経ったのだろうか。
考えれば考えるほど、不安は心に募っていく。

「あなたも心配?」

隣で座っていたまあるい桃色に向かって、控えめに尋ねてみる。ラッキーというらしいそのポケモンは、気付けばサファリを飛び出した辺りから自分たちの傍にいて、何故だか逃げる様子もなく追いかけてきて、追い払う余裕などなかったために放って置いたら居座り続けて現在に至る。
サファリゾーンに出現する珍しいポケモン、というお得な掲示板にミニリュウと並んで記載されていたはずだから、元はサファリのポケモンなのだろうが、なぜくっついてきてしまったのかは疑問である。

そのとき。
ふっ、と赤ランプが目の前で光を失った。扉が開く機械音に耳を傾ければ、現れたのは見慣れたナース服の代わりに白衣を着込んだジョーイさんと、その腕に抱かれた紫色。それをぼーっと見つめるなまえに向かって彼女はにこりと微笑んだ。

「お待ちどうさま! お預かりしたポケモンはすっかり元気になりましたよ。ただ、怪我が酷かったのでしばらくは安静にしておいた方がいいと思います」
「あ……りがとうございます」
「どういたしまして。その子、とっても頑張ったから褒めてあげてくださいね」

始終ぼんやりとしていたなまえにニドラン♂を抱かせるとジョーイさんは扉の奥へと消えてしまった。

ニドラン♂を抱いて、手持ちの一員ではないラッキーを引き連れて、ロビーまでの道を歩く。短い通路に満ちる静けさの中に自分たちの足音だけが溶け落ちる。
ニドラン♂の治療にあたって緊急事態であるにしろ手続きが不要であるという理由にはならない。あくまで仮だが、なまえのポケモンということで治療室に運び込まれたため、部外者であるグリーンはロビーで待つように言われてしまったのだ。
心配する気持ちは同じなのに、と思うがそれが決まりならば仕方がないと妥協したのは記憶に新しい。

「なまえ。」

こっちだ、と言うように自分の名を呼ぶグリーンが目に入る。後ろにラッキーがいることを確認してからそこまで歩いて、すとん、と隣の空きスペースに腰かけた。

「私ジム戦をやってみたいの」

訝しげに眉を寄せた、それが彼の答えだった。

「突然どうした」
「突然じゃないよ。セキチク着いて、ちゃんと決めてから言おうと思ってた」

そう言うなまえは視線を落とし、膝の上のニドラン♂を見つめた。
小柄ななまえの膝に乗るには随分と大きく、前足だけを乗せて眠るニドラン♂。その表情は苦悶に歪んでまだ傷が痛むのだろうと思わせる。

「私はグリーンと違ってトレーナーとして未熟だから。だからポケモンバトルを勉強したい。それにね、とっても楽しかったの」
「楽しかった?」
「うん。グリーンと戦ってるときも、スピアーと戦ったときも。私は何もしてないけど、でもロコンやスピアーと力を合わせて戦えたことがとっても嬉しかった。この先戦う力は必要だろうし、強くなりたい。だからジム戦に挑戦してみたい、って……だめかな。こんな理由じゃ」

指先で頬を掻いてグリーンの横顔を盗み見るが、酷く考え込んでいる、ということくらいしかわからない。

「ジムリーダーは生半可な気持ちで挑んで勝てる相手ではないぞ」
「わかってる。覚悟の上だよ」

視線同士が絡み合う。
自分の中には強い意志が存在しているのだと、そんな決意を込めた眼差しを送り、射貫くような双眸と向かい合う。
やがて。

「好きにするといい」
「うん。そうする!」

大層嬉しそうななまえの笑顔に静かな光を湛えた深緑の双眸はその表情を微かに、だが確かに柔らかなものへと変えた。きっとこの予感は単なる予感などでは終わらない。
ポケモンと同じ景色を眺め、同じ道を歩む彼女だから。共に旅の大地を踏みしめる彼女だから。
彼女が、共に歩む者だから――。
だからきっと、乗り越える。そんな気がしたのだ。


お日様と友達になろう


「そういえば2時間ほど前にレッドから連絡が入っていたんだがな」

グリーンから切り出された話に、それまでラッキーの頭を撫でたり小さな手と握手を交わしたりと戯れていたなまえは少なからず驚いた。

「え、レッド? なんて?」
「知らん。意味不明な留守電だった」
「そこはかけ直そうよ…」
「お前絡みということはまぁわかったんだが、」
「まさか」
「そのまさか。時間切れ」

制止役のいない留守番電話サービス相手となると、レッドならあり得る。想像するのがあまりにも簡単で、ついなまえは笑いを零してしまった。

「じゃあ私からかけ直すね」
「そうしてくれ」

手を鞄に滑り込ませて最近ようやく使い方を覚えたばかりの携帯電話を取り出すと、電話帳を機動させる。一番上に登録されているのはなまえに使用方法を伝授したブルーの名、その下の家族に続いてグリーン、ナナミ、オーキド、最後にレッド……という順なのでぎこちない操作ながら、カーソルを下部に合わせて発信ボタンに触れる。
慣れない作業を一つ成功させ、ふうっ、と息をついたあと電話を耳に押し当てた。それから、数秒が経って。

「あぁ、もしもし? レッド? 私だよ、なまえ」

どうやら向こうと繋がったらしい。

「さっきグリーンに私のことで電話したんでしょう。……えっ、私にもかけてたの? ごめん、不在着信の見方わからなくて」

なかなか始まらない本題に苛立ち始めた合理主義者、グリーンは早く切り出すようにと視線で訴える。

「それで、何の用だったの?」

そこからはレッドが一方的に話し始めたのか時折彼女が相槌を打つ程度で、その受け答えから会話の行方を察することは困難だった。
「うん」とか、「本当に!?」とか、挟みながら進んでいく会話。
スピーカー部分を塞いでちら、とグリーンに視線を送るなまえが目に止まり、どうかしたかと小声で言った。

「グリーン、タマムシって遠い?」
「いや…セキチクの北だから、すぐに行ける距離だぞ」
「うん。そっか、ありがとう」

薄く笑って通話に戻る。

「…それで、何だっけ。タマムシの……あぁ、うん。エリカさんね? わかった」

微かにだが受話器の奥から聞き慣れた少年の声で、『突然悪かったな』と一言漏れ聞こえた。

「ううん、こっちこそありがとうね。それじゃあね」

ピッ。と通話をオフにする。
彼女の両目がこちらに向いた。

「結局何だったんだ?」
「うん、あのね、タマムシに行けば何かわかるかもしれないって」

――イーブイの事。
どういうことだ、と尋ねればなまえは耳に入れた情報をぽつぽつと紡ぎ始めた。

「タマムシジムリーダーのエリカさんって人。レッドがブイと出会ったときにその人がロケット団の研究材料だったイーブイを保護しようとしていたらしくて、何か知ってるかもって」

伏し目がちな彼女の提案に、グリーンは。

「行ってみるか?」
「え?」
「ジムに挑戦するならいい機会だろう。挑むついでにイーブイのことは聞けばいいからな。……どうした?」
「だって、なんかあっさり認めてくれるから。却下されるんじゃないかなって思ってた」
「そんなわけないだろう。そもそもの旅の目的だ。今日出発すると言うなら賢いとは言えんがな」
「そこは平気。ばたばたしてたじゃない、ちゃんと休むよ。ニドラン♂のこともあるし」
「連れていくのか?」
「うん。放っておけないもの」

身を守るための毒針であるというツノの部分は外して、紫色の頭を撫でると、ぴくり、耳が揺れて反応した。くすぐったく感じているのだろうか。

「ならそのラッキーもだな」

そう零したグリーンは次の瞬間、なまえの口から放たれた一言に絶句した。

「私…、捕獲用のモンスターボール、ない」
「…………。」


 

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