collar less
08.ドライフラワーが泣いている

15番道路の先にある、ピンク色の街セキチクシティ。
“賑わい移りゆく”と紹介されるこの街はかわいらしい桃の屋根の並ぶ華やかな場所だ。誰もが一度は行ってみたいと思う遊戯施設、サファリゾーンがあることで知られている。

「サファリゾーン……!!」

センターロビーでポケモンたちの回復が完了するまでの間、グリーンからの借り物であるタウンマップの紹介欄をそれはもう穴が空くのではないかというほどに凝視した後、なまえは天井に向けて呟きを放つ。

「いい加減にマップを返して貰いたいんだが」
「あ、ごめんね。はい」

買い換えたばかりの新品マップはこれまでにない街々の観光スポットや特産品など、旅人には嬉しい機能付き。しかしそんなものに興味を持つことをせず目もくれないグリーンは、写真を見る度に歓声を上げるなまえを理解できずにいた。別にそんなもの、なくてもいいのではないか、と。
そんな合理主義者の溜息に重ねるように、回復完了を知らせる呼び出しアナウンスが鳴り渡る。
いってこい、と視線で促す緑の目に頷いて、なまえは席を立った。
それから少し経ってから腰にいくつかのボールを取り付けた彼女がグリーンの傍まで戻ると、彼もソファーから腰を離して踵を返し、並んで歩行する二人は自動ドアの外へ消えていく。
後を追いかけてくる、一人と一匹の足音には気づかないままで。

「なまえさん、お電話入っていますが……って、あら? もう行っちゃったのかしら」

右頬に手を当てて小首を傾げるナース服を纏ったジョーイさんの横で、お手伝いのラッキーもそれを真似るように首を傾けた。

***

視界一面に広がる人工ジャングルを仰ぎ、声を上げた。

「わぁあーー!!」

叫びに応えるかのように、園内を流れる水路に沿って箱型のゴンドラが動き出す。
しっかりと手すりを掴んで、私は大きく身を乗り出した。ぐるりと周囲を見渡すと、目を凝らすまでもなくここに生息しているポケモンを数体発見する。
草むらを歩き、水浴びをし、木に登っているサファリゾーンのポケモン達。名前が分からない種もちらほらといるのは、それだけ珍しいポケモンが集まっているということだろう。
前方の一点を指差して、叫んだ。

「見て、あそこ走ってる……茶色くて大きいポケモン!」
「ケンタロス」
「おぉっ、今度は赤くて三角の、虫かなぁ?」
「パラセクト」
「見てよグリーン、水の中にも色々いるよ。赤い魚、は、コイキングだよね?」
「トサキント」
「違うもん、これはそうだけどさっきのは本当にコイキングだった!」
「そうか。よかったな」

そうか、ってなにさ。
ちらりと一瞬そちらを見やっただけのグリーンは、さらりと冷たいテンションで返してくるだけで図鑑もなしに通り過ぎるポケモンたちの種族名だけを淡々と述べていく。後方の手すりにもたれかかった彼を睨み、口をへの字にして呟いた。

「もうちょっと、楽しまない?」
「楽しんでる」
「どこがっ!?」

クールで無口で、年齢に不釣り合いなほどに不愛想。
取って付け足したような“楽しんでる”の感想を信じられずにあんぐりと口を開いた。

「草むらの方も見てろよ。あの辺にいるはずだぞ」
「えっ、なにが?」
「お前の右側。緑の中に青い蔓の塊みたいなのが混じってる」
「あ、ああ!」
「騒ぐな。あれがモンジャラだ」

全身蔓の巻きつく小さな体。ぎょろりと両目だけを覗かせて、赤い靴を履いたような足でてけてけと身を隠しながら歩く姿がかわいらしい。

「マサラの近くにもいるよね、モンジャラ。入っちゃいけないって言われてたとこ」
「21番水道か。勝手に入って戻ってこれなくなった奴がいたな。幸い見つかったらしいが……その1年程前に女の子が連れ去られる事件があったから、大騒ぎになったんじゃなかったか?」
「そうそう、それ。でさ、それって今考えるとレッドじゃないかなーって」

迷子になった男の子はパートナーにニョロモを連れていたというし、びしょ濡れ状態で発見されたその子のニョロモはニョロゾに進化していたそうだし。ね、ぴったりでしょ? と人差し指をぴんと立てての発言にグリーンは一度だけ眉を寄せて。

「……あり得るな。あいつなら」

答えを聞いて、だよね。と私も笑う。

ゴンドラの手すりに頬杖を突き、草むらを駆けるドードーを見つめる。
日差しは柔らかく温かで風も無い。サファリのポケモン達ものびのびと遊び、戯れ、見ているこちらも思わず微笑んでしまうほどに穏やかな、あぁ、なんていい日だろう……

――あれ?

過ぎ去る景色の端の方にちらりと映る、草むらの陰。あちこちに元気よく棲んでいるポケモンとはほんの少し様子の違うなにかが、そこにいる。
気づけば、体が勝手に動いていた。ゴンドラの手すりを握りしめ、かけた足に自分の体重を預けるとそのまま蹴り上げ飛び出した。

「なまえ!? おい、待てなまえ!!」

グリーンの制止を振り切って、早足に近寄ってみると草花が生い茂り、知らなければ見過ごしてしまいそうな草の影に、小さな紫色の体が隠されるように埋もれていた。その体には痛々しい傷が刻まれ、荒い息が埋もれた草の一部をほんの少しだけ揺らしている。
僅かな隙間に目を凝らせば、紫の体に大きなツノのあるポケモンがたくさんの血を流して倒れているのが見えて――瞬間、息が詰まる。
しかし行動に移すのは、ニドラン♂という種族名を理解するより先だった。
小さな体を覆い隠す草をかき分け、手を伸ばして草陰の中から掬い上げる。予想以上の重さによろめきながらもしっかりと抱きとめ、そして自分の手や服に触れた部分から滲み始めた赤に慄いた。

「グリーン……どうしよう、この子……」

つんと嫌な鉄の臭い。
ゴンドラ備え付けの緊急時用ツアー停止ボタンを起動させ、後を追いかけてくるグリーンに腕の中で浅く呼吸を繰り返すばかりのその子を見せる。
背中に大きな傷を負った、小さなニドラン♂が声を発することはなく、それが危険な状態であることは誰が見ても明らかだ。

「ひとまずセンターに連れて行こう」
「うん……」

大丈夫。大丈夫だからね――と。
弱りきったニドラン♂に声をかけながら自分の胸に抱いて走り出す。その後を、心配そうな面持ちで眺める、ピンク色でころころ丸い影。追いかけるか否か躊躇いながら数歩進んで、立ち止まる。だがすぐに浮かべる表情を真剣なものへと切り替えて、地を転がるようにわたわたと走り始めた。
先を行くなまえもグリーンも、桃色の存在に気づくことはないままに。

ドライフラワーが泣いている
救けを求めるその声を
無視する非情さはありません


 

[ back ]
- ナノ -