collar less
07.全てを許せるような気がした

シオンタウンから南方向。
現在地、12番道路。

改革の進まない自然道は一面緑で、若草の香りが夏を実感させる。
楽しそうに道を進む少女なまえとは対照的に、少年グリーンはどこか浮かない顔つきで自分の眼前を行く小さな背中に向けて不満を放つ。

「どう考えてもリザードンで飛んだ方が早かっただろう」
「そんなこと言わないでよ。私、ほとんど徒歩圏内から出たことないから新鮮なんだ」

11歳でカントー全土を渡り歩いた自分と違って、なまえにとっては初めての旅。旅立つ際に姉に言われたことを心の内で復唱すると、少しばかり反省した。もちろん、なまえはそれに気づいてなどいないのだが。

「ねぇ、ジムバトルってどんな感じ?」

また彼女は突拍子もないことを言う。

「なんだ、興味でもあるのか?」
「ちょっとね。私じゃ立てない舞台だから、どんなかなって」

そりゃあお前の力量ではな。皮肉めいた彼女への評価が喉元まで出かけるが、不用意に傷つけようものなら帰宅後に姉からの叱りを受ける羽目になるので口を噤み、別に用意した言葉を投げかけた。

「ジムバッジは持っているだけでも強者の証だ。不要なバトルは避けられるかもな」
「それはいいね」
「結果的に挑戦者は増えるだろうがな」
「うっ…」

ぴく、と一度震えて固まった肩が気になって顔を覗き込んでみると苦虫を噛み潰したように小難しい表情が飛び込んできて。

「トレーナーって……難しいね」
「おう?」

***

彼らに飛行手段がないというわけではない。グリーンの所有する中には最高速度は実にマッハ2と云われているピジョットや、一度に数人を乗せて飛ぶことも可能なリザードンがいるのだ。
敷かれた人口道という名のルールに従って歩かなければならない地上と違い、空路を辿ればシオンとセキチク間の距離など半日と経たずに往復することだって可能なはずで。
それを知っているのかいないのか、無知ななまえが選択したのは渡るだけでも数日はかかるであろう陸の道。
と、いうことは、今夜の寝る場所も必然的に

「今日はここら辺で野宿になるぞ」

そうなってしまうわけだ。

「野宿……」

地方全土を歩き回ったグリーンにとって屋根のない場所での寝泊りにも慣れたものだが、なまえにとってそれは初の体験である。
どうせここにきて徒歩での移動を後悔したのだろう。しかし、そんなグリーンの予想は裏切られる。

「楽しそう」
「は?」

ぱぁっと顔を明るくし、両目をきらきら輝かせる様子を見る限り、それは子供じみた強がりなどではないようで。だからこそグリーンは余計にわけがわからなくなる。
喜ぶか、普通。喜ぶか? 野宿だぞ。
呆れやら何やら、色々な感情の入り混じって零された溜め息だが、これ以上ないほどに楽しそうななまえを目にしてはそれらは全て吹っ飛んでしまう。楽しいのならそれでいいか、と。
元より、落ち込んでいるであろう彼女を元気づけるための提案だ。本人が明るくふるまえることが一番なのだろう。

「普通は不満を言ったりするところなんだがな」
「いいじゃない。何事も経験だし?」

モンスターボールから放たれて、嬉しそうに飛び回るロコンと明るい笑顔で戯れる彼女にほんの僅かに、気付かず見過ごしてしまうくらいに薄っすらと口元が緩んで、笑みが零れた。

「あ、笑った」
「……陽が落ちる前に枝集めるぞ」
「はーい。ねぇ、でも今笑ったでしょ? 笑ったよね?」
「その辺のも拾っとけ」

少々無理がある誤魔化し方だが、しかとを決め込むと諦めてくれたのかなまえはおとなしくなった。素直になればいいのに、照れ隠しですか。と呟く声が耳に入るが、断固無視。
そんなつもりはなくてもなまえに冷たく当たってしまうのは、“素直じゃない”からなのだろうか。頭の片隅に思考を転がしながら、足元の枝切れに手を伸ばす。

***

ぱちぱち、と火の粉が弾ける音を聞いていた。
広がる闇に覆われた夜。申し訳程度に灯された焚火だけでは数メートル先の景色ですら確認し難い真っ暗闇。時折抜ける涼しい風が木々のざわめきを生んで、空気が僅かに揺れる度、目の前の炎はそのありようを変えていく。
――静穏。
ただひたすらに満ち足りた、静かな夜だった。

「グリーン……私、バトルを好きになれるかもしれない」

ふと自分の口から零れ落ちた独白は、赤目の少年と並ぶ戦闘凶の同行者に向けて発するには随分と不似合いとも思えるもの。どこかに置き忘れた遠慮を拾いに戻る間もなく、彼はこちらに視線を投げて。

「それは、いいことなんだろう?」

てっきり、いつものようなぶっきらぼうな無表情で平淡に「そうか」とだけ答えを寄越してくると思っていたのに。

「うん。いいこと」

いいことでは、あるけれど。
自分の中で起き始めた変化に、一番に戸惑っているのもまた、自分なのだ。受け止めきれない現実と、受け止めていいのかわからない現実。
“好きになれるかも”。その言葉を選んだ時点でそこに至るまでの私はバトルが嫌いで、戦うことに対する苦手意識を認めているも同然だ。
イーブイを失って、自分の心も傷ついた。そんなポケモンバトルを自分が好きでいてもいいはずがない。そう思ってしまったのだ。
嫌悪。憎しみ。それから後悔。
旅の間、ずっと抱えていた感情はそれらすべてが複雑に入り混じった結合体だから。

その時足元に触れたのは人間よりもずっと高い、ポケモンならではの温もりだった。思わず目を見開いて下を向けば、目に留まるのは赤茶の尻尾。

「ロコン?」

名を呼べば円らな瞳がにこりと微笑む。

「元気出せって?」

そうだと言わんばかりに大きく頷く。かわいいな、なんて思いながらその頭をそっと撫でた。

「そっか。ありがとう」

絡まり合った螺旋をほどいていくように、その温かさは心を溶かしてくれる。そんな気がした。

全てを許せるような気がした
中和されていく、抱えた冷たさ


 

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