正直者は、馬鹿をみてる

 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。


 このことわざが、未だかつてこんなにしっくりとくるレディがいただろうか。いや、いない。


 相対する女性に見とれながら、サンジはすっかり夢見心地になった。


 初めて***が自身の経営する店に訪れたあの日から、ちょうど一ヶ月。


 サンジは、その時***と一緒に来店した、通称「マドンナ」と食事の約束を取り付け、ようやく再会を果たした。


 現れたマドンナは、前述したことわざよろしく、清廉な美しさであった。着飾ることなく、人の目を惹きつける。それは、外見を磨いているだけでは到底身につけられない、内面からにじみ出る美しさだ。


 女神……女神が今まさに、おれの目の前にいる……。


 鼻の下を伸ばすのも忘れて、サンジはただただ目の前の女性に驚嘆した。


「あ、あの……サンジさん? どうかされました?」


 自分を見つめたまま微動だにしないサンジを訝しんだのか、マドンナはフランス人形のような目をまるめて、サンジにそう問いかけた。


 サンジは、はっと意識を取り戻して「すまない」と詫びた。


「君の美しさに、つい見とれちまって……」

「や、やだ。サンジさんったら……」


 マドンナは扇状のまつ毛を伏せて、照れたように笑った。


 ああ……夢か。これは夢なのか。夢ならどうか、覚めないでくれ……。


 サンジはついに、いつもどおり鼻の下をぐいんと伸ばした。


 それから二人は、他愛もない会話をしながら、食事を楽しんだ。


 話してみると、やはり性格の良さが伺える。趣味も休日の過ごし方も、華やかな見た目からは想像もつかない質素なもので、サンジは彼女に対してますます好印象を持った。


 今日の今日で愛を伝えるには、さすがに早すぎるよな……。ああ、でも……この美しさ……我慢ならん……。


 サンジがそわそわと体を揺らしていると、マドンナは「そういえば」と話題を切り替えた。


「サンジさんって、***さんと一緒に暮らしてるんですよね?」

「ぶっ……!」


 サンジは思わずコーヒーを吹き出しそうになった。


 「大丈夫ですか?」とマドンナが心配そうに眉を寄せたので、「だ、大丈夫」と答えながらサンジは口元をナフキンで拭った。


「な、なぜそれを……?」


 こめかみから冷や汗をダラダラと垂らしながら、サンジはマドンナに訊ねた。もちろん、「なぜ知っているのか」という問いである。


 マドンナはきちんと質問の意図を理解していて、にっこりと笑って答えた。


「***さんに聞いたんです。***さんが異動してきた時に」

「な、なんて?」

「『幼なじみと一緒に暮らしてる』って」

「……」


 なるほど。口止めをする前のことか……。


 サンジは心底苦々しく思った。


 もちろん、黙っているつもりはなかったし、これまでだって、付き合った女性には隠し立てすることもしなかった。隠す必要なんて、まったくないからだ。


 けれど、幼なじみだろうが枯れ果てていようが、性別は〈女〉。好きな男が他の女と暮らしていて、おもしろく思う女性はいないだろう。


 だからこそサンジはいつも、二人の仲がじっくりと深まってから、そのことを話した。


 それを了承の上で付き合ってくれる女性がほとんどだったが、中には納得できないと言った女性もいた。そういう女性からは、サンジは泣く泣く手を引いたのだ。


 つまり、何が言いたいかというと、マドンナに対してこの話を持ち出すのは、まだまだ先の予定だったということだ。


 それがまさか、おれたちが出会う前に、もう知られていようとは。


「この前、『おれの大事な幼なじみ』って、サンジさんが仰ってたので。***さんが一緒に暮らしてる幼なじみって、サンジさんのことだったんだって」

「ま、まァ、幼なじみだからね。ただの。男と住んでるのと、そうそう変わらないっていうか。もはやアイツも男にしか見えないっていうか」


 言い訳がましくそう言い並べると、マドンナは「いいなァ」と口にした。


「***さんと一緒に暮らしてるなんて、うらやましいです」

「へ? うらやましい?」


 おれと一緒に暮らしててうらやましい、ではなく? と、サンジは心の中だけで続けた。


「***さん、素敵な方じゃないですか。女性が憧れる女性っていうか」

「……え? そう? なの?」

「マイペースだけど協調性があって、飄々としてるけど仕事も丁寧で早いし」

「……」

「目立つようなことはしないんですけど、一緒に仕事していて、とても気持ちが良いんです」

「……へェ」


 ……知らなかった。家でゴロゴロしながらビール飲んでる***しか見てねェし。仕事のことは、家で全然話さねェしな。アイツ……。


「だから、いつも***さんと一緒にいられるサンジさんがうらやましいです。……あ、でもこれ、***さんには内緒ですよ。照れくさいから」


 そう言ってマドンナは、頬を赤らめて人差し指を口に当てた。


 クッソかわいいなおい。


「そっかァ。おれァてっきり、職場でもダラダラして皆さんに迷惑かけてんじゃねェかと思ってたが……それを聞いて安心したぜ」


 無意識のうちに、サンジはネクタイを緩めた。***のカオを思い浮かべると、どうも肩の力が抜ける。


「***さんは、家ではどんな感じなんですか?」


 マドンナがそう訊ねてきたので、サンジは前のめりになって身振り手振りで話し始めた。


「そりゃあもう、ひどいもんだよ。まず、おれが帰宅してすぐの第一声が『サンジー、お腹空いたー』だからね」

「へェ! 意外です。お料理とか作って待ってそうなのに」

「まさか! そんなことがあったら、槍が降ってくる」

「やだ。ふふっ」

「それから、冷蔵庫のビール切らすと機嫌が悪くなるし、サンジも一緒に飲もうとか言って絡んでくるし」

「……」

「それでいてツマミ作ってこいとか人を顎でこき使うし、皿は洗わねェしリビングで眠りこけるしイビキはうるせェし」

「……」

「ああ、そうそう! この前なんて――」


 話しながらぱっとマドンナを見ると、マドンナはあぜんとした表情をしていた。


 サンジは、慌てて身を引いた。


「ま、まァ、いいか。アイツの話はもう……」


 笑顔を取り繕って、サンジはコーヒーカップに口をつけた。


 しまった。何をあんなに浮かれて……。


 心の中で反省していると、マドンナが「あの」と切り出した。


「失礼ですけど、サンジさんってもしかして……一つの恋愛、長続きしないタイプじゃないですか?」

「……へ?」


 サンジは思わず、まぬけなカオをマドンナへ向けてしまった。まったくもってそのとおりだったので、答えを言い淀んでしまう。


 が、すぐに「いやっ、そんなことはっ」と、両手の平をマドンナへ向けて首を左右に振った。


 しかしマドンナは、表情を変えないまま真っ直ぐにサンジを見つめてきたので、サンジは観念してこっくりと頷いた。


「ふふっ、やっぱり」


 そう言ってマドンナは、なぜか楽しそうに笑った。


「バレたかァ。なァんかおれ、すぐ振られちゃうんだよなァ。自分でも気付いてねェ、何か悪いとこがあんのかな?」


 いつのまにか、口調がすっかり元どおりになる。***の話ばかりしていたからだろうか。


「悪いところっていうか……やっぱり、好きな人の気持ちには、敏感になるじゃないですか。サンジさんの前の恋人たちも、きっと今の私みたいに、分かっちゃったんじゃないかなァ」


 マドンナは、ホットココアの入ったマグカップに口をつけながら言った。


 伏せられた目が、少し切なげだった。


「"分かっちゃった"? 一体何を……」


 言われていることの意味がまるで理解できなくて、サンジは金髪の頭の上に疑問符をいくつも並べた。


 目の前の"牡丹"は、にっこりと笑って、言った。


「自分の気持ちに正直になったら、分かるかもしれませんよ」





 さっぱり分かりません。マドモアゼル……。


 デートからの帰り、サンジは車のハンドルを操作しながらうなだれた。(とは言っても運転中なので、心の中でだけ)


 自分の気持ちに正直にってなんだ? いつだっておれは自分の気持ちに正直だ。正直に――麗しいレディが大好きだ。


 しかし今回は、どうやらもう振られてしまったらしい。帰り際彼女は、「今度は***さんと三人でご飯食べましょうね」と言って、去っていった。


 やっぱり、***の話をあんなにしたのが間違いだったか――だがしかし、彼女は***を慕っているようだった。うらやましがられたのは、むしろおれの方だった。


 女性の胸の内は難しい。信号待ちで、サンジはついに本当にうなだれた。


 ふと、視界の端に眩しい蛍光灯の明かりが映り込む。コンビニだ。


 そういえば、ビールのストックはあっただろうか。脳裏にそんなことが浮かんで、次の瞬間にはサンジはハンドルを切っていた。


 車を停めて、店内へ入る。アルコール飲料の売り場まで向かうと、視線の先に見知った緑色の髪が見えた。


 思わず、「げっ」と声が出る。


 その声で、緑色がこちらを振り返って、同じように「げっ」と言った。


「……」

「……」


 お互いに睨み合うだけ睨み合って、サンジとゾロはすれ違った。ゾロの買い物カゴの中には、ビールやら焼酎やらが山盛り入れられており、サンジは心の中で「アル中クソマリモめ……」と毒づいた。


 冷蔵庫の扉を開けて、500mlの缶ビールを数本カゴに放り込む。目的はそれだけだったので、サンジはすぐさまレジへ向かった。


 会社員の帰宅時間帯だからか、レジがいつもより混んでいる。一つのレジには一人が並び、もう一方のレジではゾロが会計の真っ最中だった。後ろに人はいない。


 サンジは、渋々ゾロの後ろに並んだ。その際、十分に距離を取る。


 ゾロがサンジの気配に気付いて、後ろへ振り返った。


 そして、サンジの買い物カゴの中身を見て、一言言った。


「アル中」

「おまえに言われたくねェんだよっ! このアル中クソマリモっ!」


 怒髪天をつきながらサンジが言い返すと、ゾロは知らんカオでふいとそっぽを向いた。


「あの幼なじみのか。過保護だな」

「保護じゃねェ。ストック切らすとうるせェんだよ」

「……へェ?」


 そう言ってゾロはにやにやと笑った。そのカオが気に入らなくて、サンジは「けっ」と下唇を突き出した。


 会計が終わって、ゾロは去っていった。


 ったく……なんでよりにもよって、あんなヤツと最寄りのコンビニが同じなんだよ。


 思い起こせば、***がゾロに初めて会ったのも、このコンビニだった。それからというもの、***は二言目には「ゾロくんゾロくん」と言うようになって――。


 胸の中がもやっとした。ああ、忌々しい二人を、同時に思い出したりするから……。


『自分の気持ちに正直になったら、分かるかもしれませんよ』


 ポリ袋に収められていく缶ビールを目で追いながら、彼女の言葉を思い出す。


 大丈夫。おれは、自分の気持ちに嘘なんてついてない。


 だって、おれはずっと――***の隣にいたいのだから。


 2,840円です。店員が、元気にそう言った。


正直者は、馬鹿をみてる


 おれはいつでも正直者です。マドモアゼル。


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