アンタ、あの娘の何なのさ

 サンジに初めて出会ったのは、両親に手を引かれて訪れたレストランだった。


 オーダーを取りに来たのがまだ十歳くらいの彼だったので、「何よあなた。子どものくせに生意気ね」と大人の口真似をして言ったら「お前も子どもでありますねクソ野郎」と精一杯の丁寧語で返された。


 第一印象はお互い最悪だったのに、なぜか私たちはいつも一緒にいた。私はよく彼のいるゼフさんのレストランへ遊びに行っていたし、彼も我が家へ出向いたりした。


 口を開けばお互い文句ばかりで、本気で腹が立って取っ組み合いの喧嘩までしたことがある。それでも私はサンジのことが好きだった。


 だけど、サンジが私をどう思っているかは分からなかった。きっと嫌われている。あの頃の私はそう思っていた。他の女の子と私に対する態度が、あまりに違かったことも原因の一つだ。


 ある日、近所のガキ大将に私はいじめられた。両親の共働きを馬鹿にされたのだ。「ビンボー! ビンボー!」と、今にして思えばボキャブラリーの欠片もない言葉に、当時の私はひどく傷ついたものだ。


 その時、私を庇うように立ちはだかったのは、サンジだった。いつものコック着を着たまま、サンジはガキ大将と相対した。


 当然、ガキ大将からしたら「なんだよお前」である。「お前、コイツのなんなんだよ」と、昔の歌の歌詞みたいな台詞がガキ大将の口から飛び出した。


 私は急に不安になった。サンジにとって、私は一体なんなんだろう。友達と言われれば少し違う。サンジもきっと、そう思っていたに違いない。だから不安だった。


 「そういえば、なんだろう」とか考えられて、このままサンジが逃げてしまったらどうしよう。ガキ大将にいじめられる恐怖に駆られながら、自分より一回り広いサンジの背中を見つめた。


 サンジは逃げなかった。それどころかガキ大将を見事ボコボコにやっつけて、「二度と現れるな」とか格好つけて言った。サンジはこの頃から無駄に喧嘩が強かった。


 ガキ大将は頭に出来上がったタンコブを抑えながらもう一度言った。「お前、一体なんなんだよ!」


 コック着についてしまった砂埃を軽く叩いてから、サンジはようやくその質問に答えた。


「コイツはおれの――」





「***? ***ったら。おおい、聞いてる?」


 その呼びかけで私は我に返った。タイムスリップしていた脳みそが現代に引き戻されて、慌てて声のした方を見た。


「ご、ごめんごめん。ちょっと放心してた」

「なんでこんな状況で放心できるのよ」


 彼女があきれて笑うのも無理はない。現在私たちは絶賛合コン中である。店内は賑やかだし、私たちのテーブルにだって順調に会話に花が咲いていた。


「あれっ、こんな料理あったっけ?」


 いつの間にやら目の前に置かれていた料理皿に、私は目を丸くした。今回の合コンの幹事である同僚は、ついに溜め息を吐いた。


「さっきコックさんが持ってきてくれたでしょ」

「コックさん?」

「ほら、ここのオーナーの」


 言いながら彼女が目配せしたのは、オープンカウンターから見える厨房の方だった。忙しなく右往左往するコック達の中心にいるブロンドの人物に、彼女の視線は向かっていた。


 視線に気付いたのか、金色の髪が揺れてカオがこちらを向く。同僚が手を振ると、コックは目を優しげに細めて手を振り返した。


 私も笑顔で手を振ってみた。返ってきたのはぐるぐる眉を思いきり歪めたしかめっ面だった。その目は「絶対言うなよ」と言っていて、私は「分かってるって」と頷いて見せた。


 時を遡ること約一時間前。男性側の幹事がそろそろ店を変えようと言い出した。とっておきの店があるんだと、鼻息荒く連れて来られたのがサンジの経営するお店だった。


 まさか初めての来店が合コンになるとは夢にも思わず、サンジも私が来るなんて思わない。私を見た時のサンジのカオときたらもう。音で表したらまさに「ぎょっ」である。


 「お前、なんでここに」の「お」の形を作ってから、サンジの口は動かなくなった。意識が何か違う方向に捕らわれたのだ。


 「何か」に注がれた視線の先を辿ると、そこには一緒に合コンに参加していた我が社きってのマドンナがいた。


 サンジの恋心は安い。ハート型になった心臓をまるごと地面に落っことして、彼はあっという間に恋に落ちた。


 するとサンジは、こほんと空咳を一つしてから「いらっしゃいませ。はじめまして。プリンセス」と微笑んだ。……私に向かって。どうやら私とは、真っ赤っかの他人を決め込みたいらしかった。


 全身にそそり立つトリハダをさすりながら、私はやっとの思いで「はじめまして」と応えた。サンジは納得したようにさらに微笑みを深くした。


 席に誘導されるや否や、幹事の男性が得意げに「予約取るの大変だったんだ」とか「この料理が絶品だ」とか「メニューは僕が決めちゃうね」とか喋っている。その間、私はサンジの方をちらりと見た。


 サンジは厨房のど真ん中で仁王立ちをしながら私を見ていた。ちょっと。仕事しなよ。


 すると、髭を蓄えた顎をくいと左に逸らして私を呼びつけた。私は溜め息を漏らしてから「ちょっとお手洗い」と断って席を立った。


 サンジの顎が示した方へ行くと、物陰からぬっと手が現れて一気に中へ引き入れられた。


 「ぎゃっ」と叫びそうになった私の口を押さえつけながら、サンジは口元に人差し指を立てた。


「騒ぐんじゃねェ! 蹴るぞ!」

「強盗か!」


 サンジの手が離れると、私は少し乱れた服を直した。落ち着いて辺りを見回すと、どうやらスタッフルームのようだ。


 スタッフルームまで無駄におしゃれだ。テレビで観た高級ホテルの一室を思わせる。


 サンジは胸元から煙草を一本取り出して、それに火を点けた。


「で?」

「は?」

「は? じゃねェよ。誰だよ。あの麗しい美女は」


 どうしてここに来たのかとか、なんなんだあの男たちはとか、少しは気にしてくれたんじゃないかと思っていた。


 が、やはりそんなことは彼にとってどうでもいいことらしい。私はわざとらしくあきれた表情を作ってサンジを見た。


「……ミスコングランプリの女子大生はどうしたの」

「……恋と書いて、儚いと読む」

「うっそ、もう別れたの? 告白されたって言って家で小躍りしてたの一ヶ月前だよね?」

「今となってはいい思い出だな……」

「どうせ振られたんでしょ。はァ、もう。いい加減にしなよほんと」

「……うっせェ」


 罰の悪そうなカオをして、サンジは不貞腐れた。来るもの拒まず、去る者追わず。サンジの恋はいつも長続きしない。哀れ。


 「いやしかし」と言って、サンジはカオの筋肉の力を抜いた。不貞腐れたりでれっとしたり、本当に忙しい男である。


「あの悲しい別れも無駄ではなかった! ウェルカムニュープリンセス!」

「私もう戻るね。サンジもちゃんと仕事しなよ」

「待て待て待て待て」


 むんずと襟ぐりを掴まれて私はつんのめった。とても悪い予感しかしないから「なにさ! 協力なんてしないよ!」と先手を打った。


「お前! 常日頃のおれへの恩を仇で返す気かっ!」

「誕生日に料理作ってあげたじゃん!」

「いつの話持ち出してんだ! それにおれは毎日お前のメシ作ってる!」

「いつもありがとう! 助かってます!」

「分かってんなら役に立て!」


 ぜーはーぜーはーと息を荒くしてお互いを睨み合う。そろそろ戻らないとみんなに変に思われる。お手洗いなんて言うんじゃなかった。私はお手上げポーズを作った。


「分かったよ。もう」

「ほんとかっ?」

「でも、大したこと出来ないよ。とりあえず他の虫は寄せ付けないでおく」

「十分だ。仕事しながらじゃ、プリンセスを守れねェからな。心配するな。口説き落とすのは自分でやる」

「心配なんてまったくしてない」

「それからっ!」


 やけに語気を強めてサンジは言った。おまけに一歩詰め寄ってきたもんだから、暑苦しくなって私は一歩退いた。


「な、なにさ」

「絶対言うなよ」

「……何を?」


 なんのことを言っているのか。そんなことは解りきっていた。伊達に幼なじみなんてやっていない。


 しかし、それはもちろんサンジも同じことなので、彼は私が解りきっているのを解りきって言った。


「おれとお前は本日、赤の他人だ。いいな」

「ええ、じゃあサンジきゅんって呼べないね」

「呼ばんでいい。っていうか日常でも呼ぶな。気色悪ィ」


 心底嫌そうなカオをして煙を吐くサンジを上目遣いで睨み付ける。くそう。かわいくなー。


「分かったってば分かりました。その代わり、美味しいご飯たくさん作ってね」

「誰にもの言ってんだ。当然だ」


 胸元から取り出した携帯灰皿に煙草を押し付けて、サンジは肺に残っていた煙を名残惜しそうに吐いた。


 「変な男引っ掛けんなよ」と保護者面した言葉と共に、サンジは先にスタッフルームを出た。


 時間差で私もスタッフルームを出ると、席へ戻った。男性陣は一次会から変わらずマドンナに夢中で、私が席を外していたことにも気付いていないようだった。


 同じく置いてけぼりを食らっている女性陣だけが「遅かったね」と声をかけてくれた。


 とりあえずサンジの言いつけ通り、マドンナを守るべく男性陣を押し退けてマドンナの隣の席を確保した。「なんだよこの女」という男性たちの視線が遠慮もなしに私に注がれる。


 仕方ないじゃないか。文句ならあそこにいるキザったらしい男に言ってくれ。


「ここのお料理美味しいね。***ちゃん」


 マドンナがかわいく笑って言った。「そうだね」と、私も笑い返して答えた。


 天は二物を与えず、なんて誰が言ったんだ。せめてこの子の性格が、うんと悪ければいいのに。


「……料理出来る男性って、どう思う?」

「えっ、すごくいい! あ、でも。ダメ出しとかされたらヘコむかなァ。私、あんまり料理得意じゃないから」

「よろしかったらお教えしましょうか?」


 突然会話に参戦してきた声に、マドンナは「きゃあ」と子猫のように叫んで振り向いた。


 器用に両手両腕に料理皿を乗せたサンジが、にっこり微笑んで立っていた。


「そんな。プロの方、しかも有名なコックさんに教えて頂くなんて」

「なんて奥ゆかしいレディだ。あなたの美しい手に調理される食材は幸せ者だな」

「まァ……」


 照れくさそうにマドンナは俯いた。頬が赤いのは、サンジの歯の浮くようなセリフが嬉しかったからだろう。


 顔面の作りは良いので、こんなことを言われて嫌なカオをするのは私と彼の友人のナミちゃんくらいだ。あ、そもそも私は言われたことなかった。


 男性陣からの非難まみれの視線もなんのその。サンジはマドンナの耳元に口を寄せて甘ったるい声で料理の説明をしている。


 女性陣も「なんでこの子ばかり」と嫉妬を含んだ面白くないカオをしていたが、そこはさすがスケコマシ。他の子達に対しても一人一人の目をみつめながら丁寧に対応することを忘れない。


 次第に女性陣たちは「まァこの子なら仕方ないか」と、理解ある大人の女風な空気を醸し出すのだ。もちろん、サンジがそういう方向に持っていくよう仕向けているのだが。


 馬鹿馬鹿しくなって、私は品の良い料理をばくばくと食べた。言っておくけど、サンジがこっちに歩いて来たのが見えたから、マドンナにあんな話題振ったんだからね。少しは感謝してほしいよ、ほんと。


「お味はいかがですか?」


 突然、耳元で砂糖菓子みたいな声が響いた。耳を押さえて慌てて振り向くと、サンジが意味ありげな怪しい視線を流して私の隣に立っていた。


 そうだ。赤の他人。赤の他人。


「……お、美味しい、です」

「それはよかった。そんなに勢いよく口にお運び頂けて光栄です、プリンセス」


 そう言ってサンジはにやりと笑った。私にしか伝わらない、巧妙に隠したイヤミが腹立たしい。


 もしこれが二人きりだったら、今のセリフは大方「もっと落ち着いて食えよ。ガキじゃあるまいし。だから太るんだぞ」といったところだろう。


 ごゆっくり、と恭しく頭を下げてサンジは一旦退いた。女性陣がきゃあきゃあと黄色い声をあげて、マドンナはうっとりとサンジの背中を見つめている。男性陣がやけ食い気味に料理に手をつけていた。


「あの人、テレビで観るよりカッコイイね? ***ちゃん」

「う、うん。そうだね」

「彼女とかいるんだろうなァ。そういえば女優さんと週刊誌に載ってたことあるよね。やっぱり、モテるんだろうなァ」


 なんて恐ろしい男だ。狙った獲物が、早くも罠にかかり始めている。蜘蛛の巣に足を取られていることにも気付かずに、マドンナは物憂げに溜め息を吐いた。


 もはや手助けもいらなそうだが、後々のことを考えて私は多めに恩を売っておくことにした。


「連絡先、渡してみたら?」

「えっ、まさか! 無理だよ!」

「さっきの感じ見てると、あっちも満更じゃなかった気がするけどなァ」

「まさか……そんなこと」

「このお店、滅多に予約取れないみたいだよ? 繁忙期は三年先まで予約が埋まってるとかテレビで言ってたし」

「……でも」

「もう会えないかもしれないよ? それでもいいの?」


 最後のダメ押しが効いたのか、マドンナは数秒逡巡してから意を決したように席を立った。カウンター席の女性客と話し込んでいるサンジに小走りで駆け寄って、声をかける。


 マドンナに気付いたサンジは一言二言彼女と会話すると、カウンターに座った女性客に軽く会釈して、マドンナと共に店の隅へ寄った。


 狩りに走った女は強い。他の女性客の妬ましい視線を受け流して、マドンナはサンジに連絡先を渡していた。


 サンジはそれを有難そうに受け取ると、自分も胸元から名刺のような物を取り出してマドンナに差し出した。


 お似合い。並んだ二人を見て、私は素直にそう思った。


 彼女は「どうして一般企業で働いているんだ」と思ってしまうくらいに美しいし、サンジだってブロンドが馴染む外国人のような顔立ちをしている。


 おまけに二人して背が高い。並んだら二人ともすらっとしているから、知らない人から見たらモデル同士だと勘違いして見惚れてしまうだろう。


 頬杖をついて二人を見ていたら、私のじめっとした視線に気付いたのか、サンジがこちらを見た。にかっと笑って、マドンナから見えないようにOKサインを出す。ああそうですか。よかったですね。


 私はぷいとカオを逸らすと、再び料理を食べ始めた。こんな気持ちで食べるのがもったいないくらいに、サンジの作ったご飯はやっぱり美味しかった。なんだよ、もう。


「そんなガツガツ食うなよ。品がないな」


 一瞬、自分に向けられた言葉だとは思わなかった。全神経が違う方へ向かっていたから、気が付かなかったのだ。


 私がようやく反応できたのは、数秒経ってからだった。


「……はい?」

「だから、そんな勢いよく食べる料理じゃないんだよ。君この店の評判知らないの? 各界のセレブ御用達の店だぜ? よくそんな品なく食べられるな」


 ひねたように笑って小馬鹿にしてきたのは、幹事の男性だった。


 マドンナをイケメンコックに取られてむしゃくしゃしたのだろう。半ば八つ当たりのように彼は私に突っかかってきた。まァ、確かにガツガツ食べてはいたが。


 「すみません」と言って、私はフォークをテーブルに戻した。席が気まずい空気に包まれてしんと静まり返る。


 まさかこんな雰囲気になるとは想定していなかったのだろう。幹事の男性は急におろおろと慌てだして「なんだよ。本当のことだろ」と開き直ったように口にした。


「大体さ、今回レベル低すぎるんだよ。美人ばっかりって言ってたじゃないか、君」


 君、と名指しされたのは、女性側の幹事である同僚だった。彼女は嫌悪を隠すことなく、憮然としている。まずい。私がいじけてガツガツ食べたばっかりに。


 自分がどうこう言われたことよりも、私はこのテーブルに流れる不穏な空気と彼の声のデカさにどぎまぎとした。


 そもそも、合コンの二次会で訪れるようなお店ではないのだ。周囲の客が、この異様な雰囲気を横目で観察している。


 サンジのお店なのに。どうしよう。


 ちらりとサンジたちの方を見れば、マドンナは状況に気が付いたのか不安げにこちらを窺っている。


 サンジはといえば、その隣で平然とコップに水を注いでいた。


 私は失望した。かつてガキ大将から私を守ってくれた彼は、もういなくなってしまったようだ。美しい花を知りすぎて、雑草には目もくれなくなったのかもしれない。


「もっとさ、男が連れて歩きたいって思わせるような女にならなきゃダメだよ。そんなんだからいつまで経っても男が出来ないんだよ」

「……あはは、そうかもしれませんね。すみません」


 愛想笑いで乗り切ろうと決めてカオをあげた時だった。くどくどと的外れな説教をし続ける彼の頭上に影が差した。


 なんだろう、と思ったのと同時に、彼の頭には大量の氷と水が降り注いだ。


「なっ……! なんだっ?」一番驚いたのはもちろん彼だろう。振り向いて、その原因を見上げた。


 サンジが、コップを傾けたままにっこり微笑んでいた。


 丁寧に作り上げられた営業スマイルとやっている行為が、まるで噛み合っていない。


 店員に水をかけられたんだとようやく理解した彼は、恥も外聞もなく吠え始めた。


「何すんだよ……! おれは客だぞ!」

「これはこれは。大変失礼を致しました。頭が沸いていらっしゃるようでしたので冷やさせて頂きましたが……お気に召しませんでしたか?」

「なっ……!」

 彼はあっけに取られた。それもそのはず。飲食店で突然店員、しかもオーナーに頭から水を浴びせられたのだから。しかもご丁寧に氷入り。おまけに口から出てきた理由がそれじゃあ、訳も分からないはずだ。


「きっ、客にこんなことして、ただで済むと思ってんのか……! ネットで拡散してやるからな!」

「どうぞお好きに。そんなんで潰れるくらいの店なら、おれもまだまだだ。潔く辞めてやるよ、クソ野郎」

「ク……! クソだと……!」


 プリンスキャラのメッキが剥がれ始めている。普段優しい彼が怒ると……という例の典型がサンジだ。サンジはキレると手がつけられない。私は慌てて席を立った。


「あっ、あのっ、サン……じゃなくて、コックさん! 騒がしくして、すみませんでした! 今店を出ますか」

「それから一つ、言っておくがな」


 私の言葉を無視してサンジはこちらへ手を伸ばすと、立ち上がった私の頭をがしっと掴んで自分の方へ引き寄せて言った。


「今日の***は、これでもまだ品が良い方だ。いつもの***ときたら米粒はこぼすわ口にケチャップはつけるわ箸であちこち手をつけるわ、意地汚さは空腹時の犬よりひでェからな」

「ちょ……!」


 その言い草に腹が立つより先に、サンジが私の名前を当然のように連呼していることに動揺した。本日は赤の他人作戦が……!


 案の定、皆はサンジの言葉の内容よりもそこに反応していた。私とサンジを交互に見て、不思議そうなカオをしている。


 もちろんマドンナも例外ではなく、「***ちゃん、オーナーさんと知り合いだったの?」と不審げに訊ねてきた。


「ああ、その。ええっと、ほら、これはねっ」

「なんだよお前ら! グルだったのかよ!」


 余計なところで幹事の男性が口を挟んできた。いつかのガキ大将を彷彿とさせる意地の悪さだ。彼はこう続けた。「お前、この女のなんなんだよ!」


 ――お前、コイツのなんなんだよ。


 あの時のガキ大将のセリフが、そのままフラッシュバックした。そして、あの時感じた不安な気持ちも。


 私はサンジを見上げた。あの頃よりも彫の深い、整った横顔をただただ見つめた。


 ゆっくりと、サンジの口が開いた。


「コイツはな。おれのクッソ大事な、ただの幼なじみだよ」


 ――コイツはおれの、クッソ大事な幼なじみだ。


 あの時、サンジはそう言った。そう言って、ガキ大将を追い払ってくれたのだ。


 嬉しくなって、安心して。思わずサンジのコック着にしがみ付いたのを覚えている。サンジは嫌そうにしてたけど、それでも私の手を振り払うことはしなかった。


 さすがに今は、抱きつくなんて所業はできない。その衝動を堪えるように、私はぐっと拳を握った。


「何が幼なじみだよ! 覚えてろよ!」


 捨て台詞までガキ大将と同じだった。幹事の男性はカオを真っ赤っかにして尻尾を巻いて店を出て行った。


 なぜか店内には、拍手喝采が巻き起こっていた。





「あの頃は、ただの、なんてついてなかった気がする」


 半歩前を歩いていたサンジが「あ?」と言って振り向いた。私はもう一度繰り返した。


「さっきさ、おれのクッソ大事な、ただの幼なじみって言ったでしょ? あの頃は確か、クッソ大事な幼なじみって」

「あーあーあーあー! うるせェうるせェ! そう何度もそのセリフを繰り返すんじゃねェよ、むず痒い!」

「……自分で言ったんじゃん」


 うるせェ、と、負け惜しみのようにサンジは口の中で小さく呻いた。金髪の隙間から覗く耳が少し赤い。私はにやついた口元を必死に引き締めてサンジの隣に並んだ。


「あーあ、せっかく連絡先交換できたのによ。とんだ邪魔が入ったぜ。不審そうなカオしてたよなァ、彼女。もうダメだよなァ……」


 深い深い溜め息を吐いて、サンジはがくっと項垂れた。


歩くたびにふわふわと揺れる毛先が、月明かりと街灯に交互に照らされて透けている。サンジの髪って柔らかそう。触ったら怒るかな。


「大体よォ、お前もあそこまで言われて黙ってんなよ。いつもの威勢の良さはどうした」

「……あれ? そういえば私、何言われてたんだっけ?」

「お前はニワトリか」


 嘘。本当は覚えてるけど、この時間をあの不快な出来事の話で終わらせたくない。


 だって、サンジと二人で一緒に帰るとか。初めてだし。


 あの後、何となく全員が三々五々に帰って行って、合コンは静かに幕引きとなった。


 一人残った私が「ご飯食べてから帰る」と言えば、サンジは「もうすぐ終わるから待ってろ」と言った。


 他のスタッフさんに仕事を任せてきたらしく、サンジは二十分後に私のいるテーブルに戻ってきた。右手には、コースに含まれていない炒飯が乗っていた。


「あの炒飯、美味しかったなァ」

「ああ。いつもと違ったろ」

「うん。もちろんいつもの炒飯も美味しいけど、なんか味が違った。なんで?」


 そう訊ねれば、サンジは得意げににっと笑った。


「ダシが違うんだ。調理器具が揃ってないとできねェ下準備があってな。家では作れねェ。きちんと管理してねェと風味が落ちるから、家にも持ち帰れねェしな」

「へェ! そうなんだ……」


 料理のこととなると、サンジは途端に饒舌になる。ハタチもとっくに越えているくせに、こういう時のサンジの目はチビナス時代と同じくらいにキラキラしていた。


 サンジのこういうとこ。好きだなァ。


 ポケットに突っ込んだサンジの右手首からは、さっき寄ったコンビニの袋がぶら下がっている。「今日はおれも飲む」とサンジが言ったので、中には缶ビールが二本。


 コンビニに寄って、二人で同じ部屋に帰るとか。なんか、いい。


 いつの間にか、また半歩遅れを取っている。そうか。サンジの脚が長いからだ。あの頃は、歩幅も一緒だったのにな。


 一回りどころか、私がすっぽり隠れるくらい広くなった背中を見つめる。カッコ良くなったよ。ほんと。


 勝手に大人になって、勝手に有名になって、勝手にカッコ良くなって、勝手に遠くへ行ってしまって。


 だけど、そう思っていたのは私だけだった。「お前が一人暮らしなんて、毎日が不安で逆に迷惑だ」と、サンジは同居を提案してくれた。


 サンジは昔も今も、私を大切に想ってくれている。ずっと一緒にいてくれる。


 それは、私が「幼なじみ」だからだ。


「……カッコイイって言ってたよ」

「あ?」


 未だに料理の話を熱弁していたらしく、サンジはほうけたカオをした。


「マドンナ。私のこと庇ったサンジのこと、カッコイイって言ってた」

「まっ、マジか……!」

「連絡してもいいのかなって、悩んでたよ。有名人だからって遠慮してるみたい」

「見た目通り、奥ゆかしくて謙虚なレディだな!」

「連絡してあげたら?」

「おう! そうするそうする! サンキューな!」


 嬉しそうに笑って、サンジは私の頭をくしゃくしゃっと撫でた。


 「やめてよ」と怒ってみせても、サンジの頭はもうお姫様のことでいっぱいだったようで、デレついたカオで上の空だった。


 クッソ大事な幼なじみと提言されたあの日から。芽生え始めていた私の小さな恋心は、あの頃の大きさのまま宙ぶらりん。


 幼なじみ以外になってしまったらきっと、サンジは本当にどこか遠くへ行ってしまう。


 そう思うと、とても怖くて。嬉しい反面、少し切なかった。


 なんだか悔しくなってきて、「なんたって、クッソ大事な幼なじみのためですから!」と、わざと大きな声で言ってやった。


 「だからもうそれは言うなよ……」と、サンジは照れくさそうなカオで憮然としたので、ざまあみろっておかしくなって笑った。


アンタ、あの娘のなのさ


 大事の上にさァ、「クッソ」ってついてるからさァ。相当だよねェ。


 ……ああ、もう。……はいはい。そうですね。


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