一歩、一歩 -03.09.2013-

「リアリティがない」

「……」


 3月9日。


 久しぶりに幼なじみを訪ねてみれば、開口一番そう言われた。


 おまえ、今日なんの日か知ってるか?


 もっと他に言うことあんだろ。なんて、そんな不満は自分のケツと一緒に床に置いておく。


 腰を落ち着かせたところで状況を読もうと辺りを見回せば、テーブルの上に一冊の本。


 なるほど、先程不満げな表情で放たれた台詞の原因は、どうやら今テレビで理想論を語っている政治家に向けられたものではなく、


 ましてや、先日の幼なじみからのプロポーズに向けられたものでもないらしい。


「『これ』のどこがリアリティがないって?」


 そう問いながらそれを手にしてパラパラと捲る。


 なんてことはない。ただの少女漫画だ。


「シャンクスもこれ読んだの?」

「まァ、そもそもおれがうちの女性社員に借りたヤツだし。でも、どんな話だったっけなァ」

「人気者の主人公が地味で目立たないヒロインに恋して、様々な困難を乗り越えて成就させる話」

「なんだ、いい話じゃねェか」

「……ほんとにちゃんと読んだの?ほら、よーく見て」

「?」


 そう言って***は、あるページを広げてシャンクスに見せてみせた。


そこには、ヒロインのアップの絵。


「……これがなんだよ」

「どう思う?」

「なにが」

「この見た目」

「……」


 眉をひそめて、改めてその絵を見つめてみる。


 ぱちくりとした大きな瞳に、ぷっくりとした唇、ほっそりとした身体。


 地味なキャラクターということもあってヘアスタイルや格好はイマイチだが、現実にいたらまァ美人な方だろう。


「現実にいたら美人だろうなって思ったでしょ」

「……」

「だからリアリティがないの」


 そう口にして、ポイッとそれをテーブルに放った。


 おいおい、借りモンだぞ。


「こーんなかわいい子だったら、うまくいくに決まってるじゃん」

「まァ、そうだな」

「ライバルだったクラスのアイドルとだって、全然大差ないんだもん」

「おれはあっちの方が好みだけどな。気強くて」


 テーブルに置かれたせんべいに手を伸ばしてそう答えると、***はあからさまにあきれたようにため息をつく。


「じゃあシャンクスはあれだ、最初はヒロインにちょっかいだしてたけど、主人公にフラれて傷心なアイドルになんやかんやで惹かれちゃうオサムくんタイプ」

「……文句言うわりには結構読みこんでんじゃねェか」

「あーあ、ダメダメ。こんなの。もっとリアルな恋愛を描いてほしいよねー」


 そう嘆くように言うと、***もせんべいに手を伸ばす。


「ほう、例えば?」

「え? だから……ヒロインをもっとダッサダサのブッサイクにしてさ」

「描いてみろよ」


 そう言って、手近にあった広告とペンを差し出す。


 それを素直に受け取って、サラサラとペンを滑らせていく***。


 風呂上がりで濡れた生乾きな後れ毛が、目と下半身に毒だ。


 歳を取るということは、ガキの頃思っていたよりも相当厄介なモンで。


 幼なじみに会いに来るのにもいちいち理由がいる。


 正直、この漫画の内容なんて、まったく覚えてない。


『おもしろいらしいから読んでみろよ』


 そんなことを口実にコイツに会いに来ているおれの臆病さなんて、きっとコイツは分かってない。


「ったく、…いい加減にしてほしいぜ、ほんと」

「うそ、そんなにひどい?」

「あ? あァ、見せてみろよ」


 そう言いながら***の手元を覗くと、シャンクスはそれを見て思いきり笑い出した。


「だーっはっはっ! おまっ、これっ……! おまえの学生の頃に生き写しじゃねェか!」

「……」


 涙を浮かべながらヒーヒー笑っていると、***がじとっとシャンクスを睨み付ける。


「……どうせ私は地味で冴えない女ですよ」

「くくっ、しかも卑屈……!」


 そのトドメの一言に、***は広告をぐしゃぐしゃと丸めると、シャンクス目掛けて投げつけた。


「ね? こんな子じゃ主人公となんてうまくいきっこないでしょ?」

「わかんねェじゃねェか、万が一がある」

「ないよ。現にどっかのだれかさんだって気の強い美人なクラスメイトと付き合ってたじゃん」

「……」

「……」

「お、おれのことか?」


 目を丸くしてそう問い掛けると、***はプイッとカオをそらして再び漫画に目を落とした。


「なんだよ、ヤキモチか? そんな学生の頃の女に」

「ねーねー、シャンクスって恋愛で悩んだこととかあるの? ないよね。だって片想いなんてそうそうないでしょ?」

「……」


 スルーされた。地味に傷付く。


 っていうかいつまで続くんだよ、この漫画討論。しつこいようだが、おれ今日誕生日だぞ。


「あるよおれだって。恋愛で悩んだことくらい」

「へェ、どんな?」


 意外そうに目をまるめて、***は瞳の奥に好奇心を写した。


「そうだな、初めて付き合った女の時はどうやってキスまで持ちこもうか悩んだな」

「どうやって持ちこんだの?」

「夜景の見える綺麗な山に連れていった」

「山って」

「それからあとは、アッチの雰囲気に持ちこむためにはどうしたらいいのかとか」

「持ちこむことばっかじゃん」

「男なんてそういうモンだ」

「そうなんだ。大変だね」

「……」


 平然としたまま、さほど興味もなさげにそう呟く***。


 ヤキモチ妬かせよう作戦、失敗。


「……それから今で言うと」

「今?」

「プロポーズにOKしたはずの女が、全然指輪はめてくれねェなァとか」

「……」

「合カギまでやったのにちっともおれんち来ねェなァとか」

「……」

「いっそもう引っ越してきてもいいんじゃねェかとか」

「……」

「……そろそろキスくれェさせてくれてもいいんじゃねェかとか」

「……」

「まァ、そんなとこだな」

「……」


 じとっと***を横目で見つめれば、***は聞いてるんだか聞いてないんだか漫画から目を離さない。


 べつに、急かそうってんじゃない。愛だの恋だのなんて気配はこれっぽっちもない、ただの幼なじみだったんだ。***が戸惑うのもよくわかる。


 だが、こうもなにも変化がないと、そりゃ不安にもなる。


 後悔してんじゃねェかとか考え直してんじゃねェかとか『やっぱやーめた』とか言い出すんじゃねェかとか……。


 こうみえて、何ヶ月も悩んでようやく踏み出した一歩だったんだ。


 安易に考えてほしくない。


 ……百歩譲って、せめて誕生日くらいは思い出してほしい。


「あ、もうこんな時間」


 掛け時計を見上げながらそう言うと、***は散らばった漫画本をまとめた。


「これ。漫画本。ありがと」

「ん? あァ。……寝るのか?」

「うん。シャンクスも明日仕事でしょ? 早く帰って休みなよ」

「……あァ」


 ぐしゃぐしゃとまるめて投げ捨てられたせんべいの袋が、なんだか自分と重なった。


 ……あー、もう。来るんじゃなかった。


 こんなに空しくて、寂しい気持ちになるくらいなら。


 ……女々しいな。女か、おれは。


「じゃあね、シャンクス。おやすみ」

「鍵は?」

「お父さんもうじき帰ってくるから開けっ放しでいいよ」

「不用心だな。いいよ、おっちゃん帰ってくるまでいるから」

「あ、そう? あと5分くらいだから、多分。じゃあねー」

「あァ、おやすみ」


 あっさりと去っていく***の後ろ姿を、なけなしの意地で見送らずに漫画本に目を通していると、「あ」と小さく声を上げて、***が戻ってきた。


 なんだ? 忘れモンか?


 そう思って***の方を見上げようと、漫画本から目を離した、


 その時、


 暖かいオレンジの光が、何かの影にさえぎられる。


 ちゅ、というかわいらしいリップ音と一緒に、額に柔らかな感触。


「誕生日、おめでと」

「……」

「おやすみー」


 そう言って、今度こそ***は去っていった。


「……」


 ぽかんと、まぬけに口を開けっ放しにしたまま、自分の額に触れる。


「……おでこにチューって……幼稚園児かよ」


 そう不満を口にしてみても、ゆでダコより真っ赤にしたこんなカオじゃあ、説得力もないか。


一歩、一歩


 どうやら、進んでいるらしい。


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