愛おしいということ

 そう、違和感だ。


 たとえば、パンツを裏表逆にして履いてしまったときのような。


 ん? なに、分かりにくいって?


 まァとにかく、そんな小さな、ちょっとした違和感だ。


 これは今に始まったことじゃない。もう十年以上、この違和感と付き合ってきた。


 今までなら放っておいてもいいような気がしていたが、最近はこの違和感がやたらと気になって仕方がない。


『そろそろ向き合え』


 そう。これは、本能が訴えている警鐘だ。


「ねェ、聞いてる?」

「……あ?」


 ベッドの上からほうけたカオでその声の主を見上げれば、女は大きくため息をついた。


「……結婚。私たち、いつするの?」

「あァ、なんだ。またその話か」


 そう言って眉をハの字に下げて笑えば、女はむっと眉を寄せた。


「なによ、またって。大切なことじゃない」

「そう怒るなよ」


 シャンクスはベッドから出ると、全裸の上にバスローブを羽織って女の隣に座った。


「どうしてそんなに結婚がしたいんだ?」

「だって……シャンクスとずっと一緒にいたいもの」

「今のままでもずっと一緒にいるだろ? 一緒に住んでるんだし」

「そうだけど……でも……」


 口ごもる女の頭をゆっくりとなでながら、シャンクスは続けた。


「悪いが、結婚はまだするつもりはない。必要性を感じないんだ。……それが嫌なら」

「わかったわ。その先は言わないで」


 女はシャンクスの手を取ると、その手のひらにそっと口付けた。


「シャンクス」

「ん?」

「……私を愛してる?」

「……」


 シャンクスは少しだけ息を詰まらせると、にっこり笑って言った。


「あァ……愛してるよ」


 ……ああ。ほら、また。





「あァ? 違和感?」


 焼き鳥にかぶり付きながら、ヤソップは怪訝な表情を浮かべた。


「恋人に『愛してる』って言うことがか?」

「あァ。もう何年も前からだ。相手がどんな相手でも、どうもしっくりこない」


 長いため息を吐き出すと、シャンクスはお猪口に口をつける。


 その中身が空だったことを思い出して、シャンクスは小さく舌打ちした。


「そりゃあおめェ、愛してねェからじゃねェのか?」

「……あ?」


 焼き鳥屋の店主から追加の酒を受け取りながら、シャンクスは目をまるくした。


「んなわけねェだろ。恋人だぞ。もう三年も一緒にいる」

「じゃあどうして、もう三年も一緒にいる恋人と結婚しねェんだよ。おまえだっていい歳だろ」

「そりゃあ……」


 酒を注いだお猪口を弄びながら、シャンクスは低く唸った。


「いまいちピンとこないんだよ」

「結婚が?」

「あァ」

「相手が女優だからじゃねェのか?」

「いや、それは関係ねェ。相手が誰でもそうだった」

「へェ。おれァ亡くなった女房とは自然とそうなったけどなァ」

「自然と? 結婚がか?」


 驚愕の表情をヤソップに向けると、シャンクスは小さく「ありえん」と呟いた。


「家族になりてェと思うのよ。コイツとおれのガキが生まれたらかわいいだろうな、とかふと考えたりな」

「子どもなァ。好きだけどなァ。ルフィがいるしな、おれには」

「あれはおまえのガキじゃねェだろ。エースのだ」

「ちげェだろ。ガープだ」

「……ドラゴンだ、バカ」


 不毛な会話に大きくため息をつくと、ヤソップはあきれたように頬杖をついた。


「ま、あせってするようなモンでもねェしな。ゆっくり考えろよ。……おっちゃーん、鶏レバー二本! 塩ね!」


 すっかりできあがってきたヤソップを横目に、シャンクスは小さく「あァ」と誰にともなく呟いた。





「よォ!」

「……」


 夜中の1時。


 なんとなく、ほんとになんとなく気が向いて幼なじみの家を訪ねれば、迷惑そうな寝ぼけ眼に迎えられた。


「……どうしたの」

「ん? なんとなくな! おまえが元気かなって気になってよ! 変わりねェか?」

「……元気。変わりない。じゃあ」

「ああっ! 待て待て閉めるな!」


 閉じかけた戸にがっと指をかけると、***はじとりとシャンクスを睨みあげた。


「……何時だと思ってるの」

「大丈夫だ。非常識な時間だってことはおれが一番よくわかってる」

「……わかってるならいいや。はい、どうぞ」

「いいのかよ!」


 相変わらずな***の様子に、シャンクスは目を細めて笑った。


 古くさい戸をくぐって手狭な茶の間の匂いを胸いっぱい吸うと、突如訪れる安堵感。


「あー、これこれ。落ち着くなー。この窮屈な感じ」

「……ケンカ売ってんの?」

「? 褒めてんじゃねェか」

「……お茶でも淹れる?」

「おー。頼む」

「緑茶? ほうじ茶?」

「玄米茶」

「あいよ」


 ふあー、とあくびをしながら、***は台所へとぺたぺた歩いていく。


 ぴょんとはねた寝癖がなんだかくすぐったくて、シャンクスは思わず頬を緩めた。


 テーブルに頭を突っ伏して目を瞑ると、控えめに睡魔が訪れる。


 耳に届く食器のぶつかる音が、とても心地がよかった。


「結婚、ねェ……」


 そもそも結婚ってなんだ。なんでしなきゃなんねェんだ。たかだか紙切れ一枚のことじゃねェか。なんのためにするんだ。


 ……ダメだ。やはり、まったく必要性を感じない。


 結局辿り着く答えはいつもと同じで、シャンクスは深いため息ついた。


「はい、お待ちどうさん」


 その声にカオをあげれば、***の小さな手がちょうどテーブルに湯呑みを置くところだった。


「おー、ありがとな」

「はい、あとこれ」

「んあ? なんだこれ。おっ、煮物じゃねェか! うまそうだな! おばちゃんのか!」

「里芋は私が切ったよ」

「……里芋ってこれ、切るとこあんのか?」


 そう言いながら里芋をひとつ頬張れば、シャンクスは小さく震えながら天を仰いだ。


「あー、うめェ! これこれ! この味だ!」

「……」

「他のと全っ然違うんだよなァ」

「……」

「やっぱりおばちゃんの煮物食うと癒されるなァ」

「……」

「おまえもこの味早く覚え……ん? なんだ?」


 ふと***に目をやれば、頬杖をつきながらシャンクスを見つめている。


「いや、なんか子どもみたいだなと思って」

「な、なんだよそれ。おまえおれをいくつだと」

「シャンクス」

「あ?」


 小さく、柔らかく笑って、***は言った。


「今日もおつかれさまでした」


 ぺこっと頭を下げたのと同時に、はねた寝癖が揺れる。


 それを見て、胸が心地良くむず痒くなった。


「……あァ。ありがとう」

「なんか私も小腹空いてきちゃった。私も食べよー」


 よっこらしょ、というババくさい掛け声と共に、***は立ち上がった。


 気だるそうに歩くその小さな背中を、シャンクスは目で追った。


 ……ああ。多分、今おれの心が軽くなっているのはきっと、おばちゃんの煮物でも、この居心地のいい茶の間のおかげでもなくて、


 ***の、この笑顔のおかげなんだろうなァ。


 なんとなくなんかじゃない。


 おれはきっと、***のこの笑顔に、ただ迎えられたかっただけなんだ。


 おれの思う結婚とか家庭っていうのは、きっとこういう、


 ……。


 ……。


 ……ん? ……あれ?


「シャンクス。……シャンクス!」

「へ? あ、あァ、なんだ?」

「だから、おかわりいる? って」

「あ、あァ……もらう」

「どうしたの? ぼんやりしちゃって」

「……いや、なんでもねェ」

「?」


 小さく首を傾げながら、***は小皿をふたつ持って立ち上がった。


 キッチンで鼻唄を唄いながら煮物をよそう***の横顔をみつめる。


 シャンクスは、ゆっくりと口を開いて、その横顔に向かって呟いた。


「……愛してるよ」


 すると、***が目だけでシャンクスを見た。


「んー? なに? なんか言った?」

「……」

「あ、わかった。鶏肉多めにしてほしいんでしょ」

「……」

「ざーんねーんでした。鶏肉はもうありませーん」


 ひひっと笑って、***は楽しげにそう答えた。


 ……きた。きたぞ。きっとこれだ。この感じだ。


 たとえば、ずっと見つからなかったパズルのピースがカーペットの下から出てきたときみたいな。


 ん? なに? やっぱり分かりにくいって?


 いや、そんなことは今どうでもよくて。


「はい、鶏肉なしー」

「あ、あァ、ありがとう」

「あーこんな時間に食べたら太るなー。でも煮物だからあんまりカロリーないよね、うん」


 そう自問自答しながら、はふはふと煮物を頬張る***。


 ……まずい。気のせいか、***がキラキラして見える。


 そうなのか? もしかして、おれはずっと、


 ***のことを、


「もうちょいあったかくなったら、どっか行きたいなー」

「……行くか?」

「……へ?」

「おまえの行きたいとこ。連れてってやるよ」

「え、あー……ええっと」


 うん。


 小さく俯きながら遠慮がちに答える***を見て、シャンクスはなぜか無性に泣きたくなった。


 あァ、そうか。


 これが、きっと、


愛おしいということ


 なに人のカオ見てにやにやしてるの。


 ん? いやー、おまえとおれのカオ足して二で割ったらどうなるかと思ってよ。


 ……は?


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